05 虜囚


 信者達の礼拝の時間が終わり、聖堂は閉め切られ、僧侶だけの場所となった。しんと静まり返った空間は重苦しい圧迫感がある。


 ジラーニィは教皇の近衛に運ばれて、祭壇の上に座らされた。大勢のニンゲンに囲まれてひどく緊張する。ベルクトの温かい羽毛が恋しかった。


「聖なる子よ」


 教皇が祈りの姿勢をとる。


「その大いなる〈輝き〉の力で、我ら迷い人を導きたまえ」


「ベルクトはどこ?」


 ジラーニィが尋ねると、教皇は憐れむように微笑を浮かべた。


「ここまで運んでもらった恩があるのは分かるが、かの獣の事はお忘れなさい。獣とは邪悪の証左。存在そのものが罪悪なのだ」


「……どういう意味なの?」


「それを説明するには、まずこの世界の仕組みを語らなければならぬ」


 教皇は〈開かない窓〉に描かれた神話の情景を杖で指し示した。冠を被り長い杖を持った〈王〉が大勢のニンゲンの上に立っている絵だ。杖の下で打ちのめされているニンゲンは黒い影の中に沈みかけており、その先におぞましい怪物が潜んでいる。


「この世界にはもともと人間しかいなかった。〈王〉の指導のもと彼らは互いに助け合って暮らしていた。しかしいつの世も罪を働く悪人はいるものだ。そのような罪人つみびとは〈王〉の裁きを受け〈混沌〉に還された。だがそれが繰り返されるうちに〈混沌〉は膨れ上がり、やがて世界そのものを飲み込むほど大きくなった。〈王〉は人々の愚かさを嘆き、〈輝き〉だけを残してお隠れになられた。そして膨れ上がった〈混沌〉からは醜悪な獣が産み落とされた。〈王〉が残した慈悲すらも貪り、世界の全てを〈混沌〉に還すために」


「ベルクトは〈輝き〉を貪ったりしない」


 ベルクトは〈隠者の森〉で光る土を次の年のために残した。それは知性あるおこないだ。貪るなどと断じて表せはしない。


 ジラーニィが反論すると、教皇はたしなめるように緩く首を振った。


「〈輝き〉があっても、食べるものや着るものがなければ人は苦しみ死に至る。かの者は〈燈採あかりとり〉という聖職の裏で、長い時間をかけて人間から財産を奪い、苦しめる腹づもりなのだ。その本性は獣らしい狡猾さと残忍さよ」


「そんなの信じない」


 ジラーニィは教皇から顔を背けた。


「今は信じられずとも構わぬ。だがいずれ理解できる。無理強いはせんよ、聖なる子」


 教皇は微笑んで祭壇の前から離れていった。お付きの僧侶達もそれに続き、ジラーニィはたった一人で祭壇に取り残された。ジラーニィが自力で歩けないのはとっくにバレていた。


 ジラーニィは自分の小さな両手を見つめた。祭壇から飛び降りて、這って進めば聖堂の外まで抜け出せるだろう。しかしきっとすぐに見つかって連れ戻されてしまう。仮に逃げ延びたとしても、のろまな子供は街の外で獣に食われる。どうすればいい?このままでは遅かれ早かれジラーニィの旅は終わってしまう。


「そんなのだめだ、〈王さま〉との勝負に勝って、約束を果たしてもらわなくちゃいけないのに」


 ジラーニィは黒い杭が刺さった忌々しい両足を睨みつけた。なんて不自由な体なんだろう。


 旅を続けるためにはベルクトの助けが必要だった。獣は強くて頑丈だから、きっと彼は生きているはず。逃げるより先にまずはベルクトを探そう。そうして一緒に逃げ出すのだ。


 ジラーニィは祭壇の縁に移動し、床の上に飛び降りようとした。そして絶望した。急に体がぴくりとも動かなくなったのだ。


「う……この……このぉ!」


 ジラーニィは涙を流しながら、精一杯体を動かそうともがいた。しかしそれは叶わなかった。自由を奪う杭の呪いは、ジラーニィの自力での行動を全て戒めていた。


「どうしてなの、僕は、たったこれだけの事すら……」


 ジラーニィは打ちひしがれて、祭壇の上で倒れ伏した。静寂に満ちた聖堂で小さくすすり泣く声が響いた。





 ベルクトは全身を太い鎖で縛られて、聖堂の地下にある懲罰室に押し込められていた。荷物は全て奪われている。


 明かりのない暗い地下室は〈混沌〉の気配が色濃く満ちていた。おそらくこれまでも多くのニンゲンがここに閉じ込められて、〈混沌〉に呑まれて消えたのだ。


「まさか教皇が魔術を使うとは……油断した」


 ベルクトは悔しさで歯噛みした。おそらく教皇の魔術は対象に圧力を与えるものだろう。それがシャンデリアの〈輝き〉によって大幅に増幅された。——いや、本当にそうだろうか?決めつけずによく考えてみるべきだ。


 なんにせよ、教皇はあの力で気に入らない相手を文字通りひざまずかせて、なんでも思うがままにしてきたのだろう。まったく不届きな輩だ。


「次に会った時はハラワタを引きずり出してやる」


 ベルクトは憤懣の唸りを上げた。とにかく地下の牢獄から脱出しなければならない。そしてジラーニィを助け出して、共に〈ボーグ〉から脱出するのだ。

 体に巻かれた鎖はどうにかすれば引き千切れそうだ。あとは牢の堅牢な鉄扉と、僧侶たちの包囲網を突破する方法を考えなくてはならないが……


「おい、獣!エサの時間だ!」


 突然鉄扉が開かれ、外から何かが転がり込んできた。扉はすぐにバタン!と強く閉ざされてしまった。


「……ハッ、これがエサだと?」


 ベルクトは目の前に倒れるものをみてうんざりした。それは黒いローブをまとったニンゲンだった。布の隙間からは煌めく金髪がのぞいている。


 イヴラクシアだった。

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