04 商談


 翌朝、ベルクトはジラーニィを抱えて〈拝光教はいこうきょう〉の聖堂へ向かった。


 〈王〉の立像がある広場を通り抜けた先に、見上げるほど高い石造りの聖堂が建っている。尖塔には青く輝く鐘が。壁には精緻な彫刻が施されており、〈開かない窓〉には色とりどりに光る石のプレートが嵌め込まれ、一枚一枚が神話の情景を場面ごとに描いている。柱には〈明かり虫〉のカンテラが吊り下がり、聖堂の周辺はとても明るかった。


 大勢の市民が聖堂の前に列を成している。彼らはみな敬虔な信者だった。ベルクトはその列を追い越し、受付役の下級僧侶の前に立った。


「卑しい獣よ、時を待つ事もできんか」


 下級僧侶が信者達の不満を代弁するように告げる。ベルクトは獣らしく歯を剥き出しにして笑い、ジラーニィの被り布を取り去った。


「あぁ……!」


「そんな」


 純白の幼子が姿を現すとたちまち信者達は跪き、恭しく祈りの姿勢をとった。〈拝光教〉はその名の通り〈輝くもの〉を神聖視する宗教だ。先ほどまで不遜な態度だった下級僧侶も、聖なるものを直視する不敬を避けるためこうべを垂れて退いた。ベルクトは周囲の様子に満足して鼻を鳴らした。


「この子の事で教皇と直接話がしたい」

「すぐに取り次ごう。中に入り、案内役のシスターに応接間まで通してもらえ。それからその聖なる子は隠してくれ。誰も顔をあげられなくなる」


「そうかい」


 ベルクトは再びジラーニィに布を被せ、聖堂の扉を潜った。聖堂の内側は静けさに満ちており、〈開かない窓〉の光が神秘的な空間を演出していた。いかにも救いを求めるニンゲンが好きそうな作りだ。ベルクトは内心で舌を出した。


 拝廊の手前に立つシスターが会釈し、手のひらで道を指し示す。ベルクトは案内役に従い聖堂の奥へと向かった。


 その途中、祭壇の前で信者に囲まれている聖職者の姿が遠目から見えた。その女性は最高級の白い衣を身にまとい、輝く長い金髪を左肩から胸の前に流している。その顔だちには見覚えがあった。


「あれ、イヴラクシアだ」


 ジラーニィが小さく息を呑んだ。イヴラクシアは信者達から話を聞き、何か言葉を返していた。街で見せた彼女の溌剌とした雰囲気はなりをひそめ、まるで人形のように無機質な笑みで信者達と接している。


 ベルクトはその様子を見て、憐れむように首を横に振った。


「あれが彼女の役目というわけか……」


 二人は廊下を進み、応接間に通された。その部屋は厳かな拝廊の雰囲気とは全く異なっていた。


 まず目を引いたのは天井に煌めく大きなシャンデリアだ。炎を閉じ込めたようなオレンジ色の結晶が細い鎖によっていくつも吊り下がっており、黒い絨毯の上に光を散らしている。向かい合う上質な革張りのソファや、その間に置かれた重厚な一枚板のテーブルも贅が尽されていた。


「金払いの心配はしなくてよさそうだな」


 ニンゲン用のソファはベルクトには小さ過ぎるので、ベルクトはジラーニィをソファに下ろし、自分はソファの後ろに立った。


 しばらく待っていると、鮮やかな赤い僧衣を身につけた背の低い男が、武装した僧侶を引き連れて応接間に入ってきた。太ったカエルのようにひしゃげた顔は、知性よりも狡猾さを全面に押し出している。彼は教皇の証である優美な杖を携えていた。


拝光教はいこうきょう〉の教皇、この街の最高権力者である。


「慈悲深き〈王〉の導きあれ」


 教皇は聖句を唱えて会釈した。


「そちが聖なる子か」


 教皇に睨まれて、ジラーニィは自ら黒い被り布を取った。白く輝く姿が露わになり、教皇は「おぉ、」と感嘆の声をもらした。


「素晴らしい。確かにこの子は教会で保護されてしかるべき子だ。よくぞここまで無事に連れてきてくれたな、〈燈採り〉。大義であった」


「まだお前に売ると決めたわけではない」


「……ほぉ、売る、だと?」


 教皇は物言いたげに眉をひそめた。


「実に〈燈採り〉らしい言葉だな。しかし聖なる子は単なる〈輝き〉ではない。命ある人間なのだ。力と義を持つものが手厚く守ってやらねばならぬ。そしてそれが我々教会の勤めだ」


「ハッ」


 ベルクトは教皇の白々しい文句を嘲笑った。イヴラクシアの件がなくとも、教皇様のありがたいお言葉は全て薄っぺらく聞こえる。


 何より、商売人としての勘が働いた。教皇が言いたいのはつまり、対価を払わずジラーニィを手に入れたいという事だ。市民から税をかき集め、これだけ財を溜め込んでおきながら、なんとケチ臭い。


「俺は商談に来たつもりだったが、そういう事なら仕方がない。帰るぞジラーニィ。ここはお前の売り先に相応しくない」


「ならん!」


 教皇が声を張り上げると、突然頭上のシャンデリアが強く発光した。

 苛烈なオレンジ色の光が室内の影を濃くすると、途端にベルクトは呼吸を詰まらせ、床に押さえ付けられるようにガクリと膝をついた。体が重く、指一本動かすのですら難しい。息を吸い込む肺も上手く膨らまない。


「ガ……ハッ……」


「ベルクトっ!!」


 ジラーニィが悲鳴を上げる。ベルクトは重圧に耐えながら呻いた。全身の血が下に追いやられ意識が朦朧とする。それを誤魔化すように、ベルクトは歯を剥き出しにして笑った。


「〈拝光教〉で……ッ、魔術は、忌むべきもの……じゃ、なかったのか……?」


「愚か者め。これは神秘だ。神たる〈王〉の御業みわざよ。金の事しか頭にない卑しい獣など、天罰を受けて当然なのだ」


 金の事しか考えていないのはどっちだ、とベルクトは内心で毒づいた。


 教皇が軽く手を振ると、後ろに控えていた僧侶達が歩み出て、ベルクトを取り囲んだ。


「やめて!ベルクトをいじめないで!」


 ジラーニィの制止も虚しく、僧侶達は棍を振りかぶると強くベルクトを殴打した。

 ベルクトは痛みと酸欠で意識を飛ばした。

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