03 価値と不自由


「銀貨十五枚か……まあいい」


 ベルクトは贔屓にしている卸業者で、光る土と〈苔背負い〉皮革を銀貨に交換した。買取役の男は少しやつれた顔で買取証にサインをした。


「悪いな〈燈採あかりとり〉、この都市は日に日に貧しくなっているんだ」


「何かあったのか」


「教会が急に献金と称して税を徴収し始めてな。これがまあ、死なないギリギリを攻める嫌な金額なのさ。致命的なものなら〈トリグラフ〉への逃亡も考えるが、道中の危険と天秤にかけると、まだ〈ボーグ〉に残った方がマシかも、といった具合でな」


「……難儀だな。獣の俺には一生縁のない悩みだが」


「まったく羨ましいよ」


 男はベルクトの腕に座るジラーニィにチラリと目線をやった。ジラーニィは〈ボーグ〉に辿り着いてから、ベルクトの言いつけを守って黒い布をしっかりと被っていた。


「それも〈輝くもの〉か?随分大きいな」


「ここでは買い取れんだろう。教会の連中はたんまり溜め込んでいそうだ」


「そうだな、直接僧侶共に売りにいった方がいい。いつもならお前のような獣は門前払いだが、今の奴らは財産に目が眩んでいる」


「そいつは結構」


 ベルクトは男に別れを告げて店を後にした。通りは閑散としており、以前は競い合うように並んでいた屋台は歯抜けになっている。売り物は値段だけが上がって、品数は減っていた。街そのものが極端に貧しくなっているのは本当のようだ。


 遠くに教会の尖塔が見える。塔は鐘楼になっており、青く輝く金属で鋳られた巨大な鐘が吊り下がっている。鐘楼の〈輝き〉は都市全体を明るく照らし、人々が〈混沌〉に呑まれないように守っている。


「ベルクト、あれは何?」


 ジラーニィが広場に立つ青銅像を指差した。それはある男の像で、槍のように先端が尖った杖を持ち、引きずるほど長い衣を身にまとって、頭には猛禽の冠をのせている。


「あれは〈拝光教はいこうきょう〉の主神さ。名前は無い。単に〈王〉とか〈主人〉とか呼ばれる。『この世を闇に還す〈混沌〉は〈王〉の嘆き、この世を照らし導く〈輝き〉は〈王〉の慈悲。生きている限り人々は苦難と共に知識を積み上げ、〈混沌〉に還るときその知識でもって〈王〉の無聊を慰める』……だったか」


「ベルクトはこれあんまり好きじゃないみたい」


「そうだな……昔から嫌いだ」


 だが嫌いな理由は忘れてしまった。生きていく上で考えないようにしてきた事が多すぎる。今もジラーニィに問われなければ、〈拝光教〉の教義の一節を思い出す事も無かっただろう。


「その教会に僕を売りに行くんだよね?ちゃんと売れるかなぁ」


「どうだろうな。良い取引になるかはあちらの出方次第だ」


「ねぇ!」


 急に横から見知らぬ少女が会話に割り込んできた。粗末な身なりの少女は黒いフードを目深く被っており、ベルクトの異形も恐れずに手を差し出している。


「大きな旅人さん!この街を知り尽くした敏腕ガイドはいかが?安くて質のいい宿、美味しいお食事処、ぼったくられない道具屋、なんでもご案内できますよ!」


「間に合っている」


 ベルクトが素気無く断ると、少女はわざとらしい大袈裟な身振りで落胆を示した。


「そんなこと言わずに〜〜!この哀れな物乞いに仕事と金子きんすを恵んでくださいな!」


 ベルクトはうんざりして溜め息を吐いたが、ジラーニィがベルクトの飾り羽を引っ張って耳元で囁いた。


「冷たくしたら可哀想だよ。それに美味しいもの食べようって約束でしょ」


「……あぁそうだったな、仕方ない。おい、駄賃だ」


 ベルクトは銀貨を一枚少女に投げてやった。案内役を雇うには相場より高過ぎるが、あいにく銅貨は手持ちに無い。ベルクトのような獣を受け入れてくれる店探しに難儀しない利益をとって、出費には目を瞑る事にする。


 少女は器用に銀貨をキャッチすると、両手を広げて深々と頭を下げた。


「あぁ、寛大な御心に感謝します。わたくしめはイヴラクシアと申します!なんなりとご用命ください!」


「ではまず安くて美味い飯屋を。子供向けのな」


「でしたら〈めぇめぇ亭〉のトロ羊挽肉ステーキは外せませんっ!こっちです!」


 フードの少女は路地を指し示して駆け出した。ベルクトは小さく溜め息を吐いて後を追いかけた。





「おいしーーい!」


 〈めぇめぇ亭〉の片隅でジラーニィは顔を綻ばせ、全身をパタパタと動かして感激した。トロ羊はその名の通り脂が乗っており蕩けるような味わいで、ベルクトですら思わず感嘆の息をもらしてしまった。


 イヴラクシアは何故かちゃっかりと相席しており、ベルクトが「金は出さんぞ」と脅しても、彼女は「宵越しの金は持たない主義でして」と取り合わなかった。まあ支払う気があるのならいい。


 食事に夢中になったジラーニィの頭から黒い被り布が斜めにズレ落ちる。ベルクトはすぐに直したが、その一瞬の隙をイヴラクシアは見逃さなかった。


「白い……」


「これは商品だ。タダではやらんぞ」


 ベルクトが歯を剥き出しにして威嚇すると、イヴラクシアは苦い表情で肩をすくめた。


「商品、か。〈輝くもの〉の扱いはみんな同じですね。取引の材料、権威の象徴、ただ使い捨ての道具……」


「ベルクトは〈輝くもの〉を大切にしているよ。森の光る土は採り尽くさないようにしているし、僕にも食べものをくれるんだ」


 ジラーニィの弁護にイヴラクシアは目を丸くし、それからクスクスと小さく笑った。肩が揺れ、フードの隙間から透き通るような金髪がこぼれ落ちる。彼女の黒い肌の上に流れるそれは、まるで夜空に輝く流星の滝のようだった。


「純粋なのね」イヴラクシアは囁く。


「餌と役目を与えられて生かさず殺さず……そんなのは家畜と同じではないの?」


「身に覚えでもあるような口振りだな。お前はただの物乞いではなかったのか?」


 ベルクトが問いただすと、イヴラクシアはおどけたように両手を開いた。


「ええそう!お金と人助けが心底好きな物乞いですとも!」


 イヴラクシアは粗末な服装に似合わぬ上品な仕草でステーキを口に運んだ。





 イヴラクシアの案内で、ベルクトたちは良質な宿にありつけた。きっとベルクトだけだったらその風貌のせいで断られていたに違いない清潔でまともな宿だ。


 〈めぇめぇ亭〉でもそうだったが、イヴラクシアは街の住人に顔がきくらしく、宿の女主人はイヴラクシアの客をいたく歓迎し、ことさら丁寧に扱ってくれた。


 彼女はベルクトがやった銀貨で自分の食事代を支払うと、釣り銭でありったけのパンをテイクアウトし、道すがら物乞い達にばら撒いて去っていった。


 ベルクトたちはあてがわれた宿の部屋で荷物を下ろして一息ついた。ベルクトが日課の爪研ぎと羽繕いをして休んでいると、神妙な面持ちになったジラーニィがベッドの上から尋ねた。


「ねえベルクト、彼女も誰かの商品だったのかな」


 ベルクトは抜け落ちた羽根を片付けながら答えた。


「そうだな。あの金髪は見事な〈輝き〉だった。常夜とこよのニンゲンの多くが影のように黒い髪と肌をしているが、生まれながらに〈輝き〉を持つ場合、ああして一部が色づく事がある。そういうヤツは、やはり、高値がつく」


「でも彼女は不満そうだったね。〈輝き〉で誰かの役に立つのは、彼女の望む人助けとは違うのかな?僕だったらそれで満足するけど」


「さぁな。なんにせよ、これ以上俺たちが関与する事ではない。さあ眠れ、ジラーニィ。明日は教会にお前を売り込みにいく」


「うん、分かった。おやすみベルクト」


「……おやすみ」


 ジラーニィは素直にベッドに横たわると、普段の被り布にくるまって、布地に顔を埋めて眠った。


 ベルクトは掃除を終わらせると、ジラーニィの小さな体にかけ布をし、その穏やかな寝姿を眺めるベルクトの心は、靄がかかったように曇っていた。ベルクトはジラーニィの自己への無頓着さが時々そら恐ろしくなる。


 イヴラクシアの言う通り、〈輝き〉はあっても身を守る力を持たない者は、奴隷のように搾取され続けるだけだ。それは純粋な献身や勤労などでは無い。あらゆる自由を奪われ、〈輝き〉が失われるまで一方的に使い潰される生き地獄だ。その果てに待ち受けるのは〈混沌〉の闇だけ。


 〈輝き〉を商品として取り扱うベルクトも搾取する側の存在だ。ジラーニィはそれが理解できていないのだろうか?



——『希望とは、自由を持つ者にのみ与えられる特権だ。持たざる者は粛々と己の使命に殉ずるのみ』——



 急にガツンと頭が殴られたように痛み、ベルクトはこめかみを押さえて唸った。今のは何だ。誰の声だ?分からない。思い出せない。


「ジラーニィ……」


 ベルクトは縋るように翼腕を伸ばし、震える鉤爪の背でそっとジラーニィの前髪を払った。あどけない表情で眠る子供は、本当に無垢で純粋なだけなのか。白く頼りない両足に刺さった四本の黒い杭は、森を出発する前に引き抜こうと腐心したがどうにもならなかった。


 ジラーニィは既に呪いに囚われている。だからこそ全てを諦めてしまっているのではないだろうか。それがあの無頓着さに繋がっているのだとしたら……。


「お前を少しでも良い場所に売ってやるからな。それが〈燈採り〉の俺にできる最大限の事だ……」


 ベルクトは低く唸り、休息を取るため床の上に丸まった。



——『お前はどこまでも自由に飛んでいける鳥のようで、少し羨ましいよ。……いや、戯言だ。忘れてくれ』——



 まだ頭の中で知らない声が響いている。

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