02 〈隠者の森〉にて

 最初の目的地は、〈隠者の森〉を北側に越えた先にある聖堂都市〈ボーグ〉だ。森は人々を惑わせ獣の餌に変えてしまうが、ベルクトは長くここで暮らしてきた。黒い木々が月夜を覆うように伸びていても、そのわずかな隙間から星を読んで、迷わず北に進む事ができる。


 道中には大きな川がある。〈苔背負い〉の群れがザブザブと川を渡っていくのを、ジラーニィは興味深そうに眺めていた。


「大きな生き物!」


「静かに。愚鈍そうに見えるが、耳が良くて警戒心も強い。狩るのは一苦労だが、その代わり肉も皮も骨も余さず使う事ができる……干し肉は十分にあるが、それは獲物が少ない時のためにとっておこう」


「殺して食べるの?」


「薄く切って塩を塗して焼き、干した果実を巻いて食べると美味いぞ」


「……ぅう」


 ジラーニィが殺生と食欲の間で揺れ動くのを見ながら、ベルクトは歯を剥き出しにしてニタリと笑った。


「狙い目はあの一番遅れている年寄りの奴だ。ここで待っていろジラーニィ。獲ってきてやる」


 ベルクトは川沿いに茂るノバラの手前でジラーニィと荷物を下ろすと、岩を蹴ってあっという間に群れに近づき、音も無く老いた〈苔背負い〉に飛びかかった。


 自慢の鉤爪が〈苔背負い〉の首にかかり、分厚い皮膚の下に食い込む手応えを感じる。ベルクトはそのまま水中に〈苔背負い〉を引きずり倒した。大きな落水音で残りの群れは一斉に走り出した。川にはベルクトと老いた〈苔背負い〉だけが取り残された。


 ジラーニィが息を呑んで見守る中、やがてベルクトは仕留めた〈苔背負い〉を引きずって川岸に上がった。


「ベルクト!怪我してない?」


「この程度は朝飯前だ」


 ベルクトはぶるりと全身を震わせて水気を跳ね飛ばした。視線を上げると、ジラーニィがこちらを見てホッと安堵の表情を浮かべているのが見えた。


「もう少し待っていろ」


「うん」


 ベルクトは川岸で手際よく〈苔背負い〉の解体を始めた。あまり大荷物は持てないからいくらか残骸を残していく事になるが、森の獣たちが平らげてくれるだろう。街で高値がつく部位だけを厳選して切り分けていく。特に〈苔背負い〉の名の由来でもある深緑の斑ら模様の皮革は、その分厚さと防水性から重宝されるので、爪で傷つけないように慎重に剥ぎ取る。肉を削いでよく洗った後、ノバラの藪に広げて干しておく。


 それから何よりも、肉だ。一番柔らかくて美味い所を抉り、それを持ってジラーニィの所へ戻る。


「すごいねベルクト。貴方はいつもこうなの?」


「いいや、いつもはもう少し慎重にやる。今は急いでいるからな。ほら、荷物を寄越してくれ。〈まどろみ石〉で火をつける。お前もやり方を覚えると良い」


「うん」


 ベルクトはジラーニィの目の前に座り込むと、近くに落ちていた枯れ枝を組み上げ、その下で二つの〈まどろみ石〉を強くぶつけた。〈まどろみ石〉はパッと黄緑色に発光し、小さな火花を吐き出した。細い枯れ枝に飛び散った火花は大きく膨れ上がり、次第に太い枯れ枝に燃え移って、やがて立派な焚き火になった。


 ベルクトは〈苔背負い〉の肉に塩をすり込むと、枝を払った木の棒に突き刺して焚き火の上にかざした。肉の表面が熱されると油が滴り落ち、その度にボウッと火の勢いが増した。直火に当たると焦げてしまうので、距離を調整しながら慎重に火を通していく。じっくり調理した肉を、川で洗った〈賢人の手〉と呼ばれる大きな葉の上に乗せる。そしてよく拭いた自慢の鉤爪で肉の塊を薄くスライスした。


 まだ芯に赤みが残った完璧な仕上がりに、ベルクトは満足げに鼻を鳴らした。しかし少し思い直して、ジラーニィの分だけ追加で軽く炙った。万が一お腹を壊してしまえば、せっかくの極上肉が苦い思い出と共に記憶されてしまう。


「本当は、」


 ベルクトは干した果実が入った瓶の蓋を開けながら前置きした。


「果肉をすり潰して、ハチミツとスパイスを混ぜてから肉に包むと完璧なんだがな。どちらも滅多に手に入らない。ほら、ジラーニィ」


 ベルクトは取り出した果実を薄切りした肉でくるりと巻くと、食べやすいように〈賢人の手〉で包んでジラーニィに手渡した。ジラーニィはそれを両手で受け取ると、思い切ってかぶりついた。


「ん〜〜!」


 ジラーニィは目を輝かせながら、こくこくと何度も頷いた。口にあったようでなによりだ。ベルクトも大口を開けて肉を貪った。果実は食べず、ジラーニィのためにとっておいた。


 二人は腹を満たすと、火の始末をし、干していた〈苔背負い〉の皮革を回収してから出発した。


 蛇行する川を離れてを北上していくと、小高い台地の上に開けた場所があり、あちこちに光る木の実をつけた低木が枝を伸ばしていた。木の実は青白く燐光しており、ジラーニィが興味深そうにその一つを千切った。木の実の光はたちまちフッと消えてしまった。


「あぁ、消えちゃった」


「〈輝き〉のほとんどがこうして不安定で繊細なものだ。こういうのは商品にならない。干して瓶詰めしておけば、子供は喜ぶがな」


「もしかしてこれがあの果実なの?」


 ジラーニィは手に持った木の実を喜び勇んで口にした。途端にギュッと顔を顰めた。


「酸っぱい……」


「クッ、ハハハ!」


「笑わないでよ!知らなかったの!」


 ジラーニィにベシベシと頭を叩かれながら、ベルクトは膝をついて気の根元を掘り返した。そこには木の実のように青白く発光する土塊がある。ベルクトは鞄から空き瓶を一本取り出し、その中に光る土を詰めた。瓶に移した土の光はすぐには消えない。


「夏と秋の間に月明かりで〈輝き〉を蓄えた木は、それを土に移して溜め込む事で冬を乗り切る。そして春に花を咲かせて結実する時、鳥や虫を誘うために微量の〈輝き〉を放出するんだ」


「じゃあ、光る土がこの木の〈輝き〉の核心なんだね」


「そう。瓶に移した土は次の冬まで光り続ける。溢しても火と違って燃え移らないし、〈明かり虫〉のように逃げる事もない。だから子供や老人のいる家庭に照明としてよく売れる」


「へぇ」


 ジラーニィは感心したように唸った。


「この木はすごいね。ご飯にも明かりにもなる」


「そうだ。だから土は絶対に半分以上残す。木が枯れてしまったら、来年から何も採れないからな」


 ベルクトは光る土を埋め戻すと、採集した瓶を鞄に詰めて再び歩き始めた。


「高く売れるといいね」


 腕の中のジラーニィが鞄を見ながら言った。この量の土ならおよそ銀貨十二枚、〈苔背負い〉の皮革と合わせて二十枚といったところだ。街で数日宿を取って、屋台で食事を三食とっても余るだろう。


「街に着いたら美味いものを買おう」


「楽しみだなぁ!」


 聖堂都市〈ボーグ〉まではあと半日ほど歩く必要がある。ベルクトは夜空の星を見上げて北へ進んだ。

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