一章 聖女イヴラクシアと強欲の化生

01 旅立ち

 ベルクトはジラーニィを連れて一度巣穴に戻ると、長旅の支度を始めた。


 普段から行商であちこち行き来するため、自分用の荷物は特に迷わず整える事ができる。よくなめした〈苔背負い〉の皮で作った濡れない鞄に、手際よく荷物を詰め込んでいく。


 乾燥させた薬草の束、鹿角の先端をくり抜いて作った軟膏壺、包帯。強く打ち付けるとしばらく発光する〈まどろみ石〉は、火種にも緊急時の明かりになる。それから水筒とは別に、道中集めた〈輝くもの〉を保存するための空き瓶を数本。


 路銀は基本的には道中で集めた〈輝くもの〉を換金して確保するが、非常用に少しだけ蓄財の中から金貨を取り出して黒い小袋に移した。残りは地面に掘った穴の中に隠しておく。


 ベルクトが巣穴の入り口の方にちらりと見やると、ジラーニィはじっと座って準備ができるのを待っていた。ベルクトはジラーニィに問いかけた。


「ジラーニィ、お前の食い物はニンゲンと同じでいいのか?」


「いらないよ。お腹空かないもの」


 ジラーニィがなんでもない事のように言うので、ベルクトは参ってしまった。生きているくせに腹が減らないなんて、そんな事があり得るだろうか。


 ジラーニィの体は相変わらず明るく発光している。この世界で〈輝き〉は力であり、存在強度そのものだ。〈輝き〉を失えばニンゲンも獣も〈混沌〉に還る。それは死よりももっと恐ろしい。だからこの世界に生きる者はみな喉から手が出るほど〈輝き〉を欲する。


 だがその一方で、〈輝き〉があるからといって直接的に死を免れるわけではない。飢えれば死ぬし、病気にもなるし、怪我だってする。死はどこにでもある。ただ〈輝き〉さえあれば、〈混沌〉に還る事なく、再び生まれ変われるという。


 そういう意味では、これだけの強い〈輝き〉を持つジラーニィは不滅の存在なのかもしれない。けれどその生き方はあまりにも虚し過ぎやしないだろうか。


 ベルクトは棚から大きな瓶を取り出すと、蓋を開けて中から干した果物を一つ摘み出し、それをジラーニィに向けて差し出した。


「食え」


「勿体ないよ、いらないんだから」


「いいから、ほら」


 ジラーニィは渋々果物を受け取ると、小さく口を開けて、赤黒い果肉の端っこを齧った。


「……!」


 途端に目を丸くして、ジラーニィは残りの果肉を全部口に放り込んだ。モゴモゴと動く真白い頬が緩んでいる。


「気に入ったか」


「これ甘くて酸っぱくて美味しいね!」


「味わう舌があるのなら、必要がなくても食べられるな」


 ベルクトは干した果物を瓶ごと鞄に詰めた。それから自分用の干し肉と一塊の岩塩をロウを塗った布に包んで鞄に入れた。


 そして最後に寝床から黒綿のシーツを剥ぎ取ると、それをジラーニィの頭からすっぽりと被せた。余計なトラブルを避けるためにも、ジラーニィの強い〈輝き〉は隠した方が良い。


 ジラーニィは黒い布を内側から手に取り、小さな鼻を寄せてスンと嗅いだ。


「ベルクトのにおいがする」


「新品の布は無い。街までは諦めろ」


「ううん、いいにおいなの……」


 ジラーニィは布に包まったままウトウトと船を漕ぎ始めた。ベルクトは歯茎をむずむずさせながら、鞄を背負い、ジラーニィを布ごと抱え上げて巣穴を出発した。

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