第3話 心音Ⅰ①
「ど、どうしたの?
困惑した僕が、逢初さんを凝視してしまっていたので、それに気がついた彼女は、赤く染まった頬を横髪で隠した。
だけど、その動かした分の髪に覆われていた、耳やうなじがあらわになって‥‥‥‥。
髪の合間から見える彼女のうなじや耳朶までも、赤くなっているのが見えてしまった。
「いてててて」
僕の両腕に、徐々に痛みが襲ってきた。筋肉痛のような、というか、それの痛みだ。さっき、身ぶり手ぶりをしようとして力んだから後遺症が出たかも。
「だ‥‥大丈夫?」
逢初さんは再び近づいて来てくれた。ん? あれ? 痛がるとケアしてはくれる?
よかった。てっきり僕が何か、やらかしたのかと。
彼女は、声を押し殺す僕に体を寄せて、痛む両腕を一心にさすってくれた。赤らめた頬は僕から逸らしたままだけど。
う~ん、これは‥‥‥‥もしかして。嫌な予感が走る。
「いてて‥‥あの、逢初さん、栄養剤は‥‥」
「‥‥‥‥はい」
「さっきまで、『肺炎が――』とか『筋肉が――』とか熱心に説明してくれたけど、もう飲んだほうがいいよね?」
「‥‥‥‥うん」
やっぱりだ。
「‥‥違ったらごめん。僕に栄養剤やるのが、その、気まずくなった――とか?」
逢初さんは、首をこくり、と垂らした。黒髪の艶玉が上下する。
「なんだっけ? 『糖なんちゃら』で僕の筋肉は、こうしてる間にも減ってるんだよね?」
こくり。
そう。そうなんだよ。
中学二年生の僕らが、ほ乳瓶で飲む、飲ませるミッション。
恥ずかしいのは、僕だけじゃ無かった。
彼女は顔を伏せて両手で覆ったまま、動かない。
僕は焦った。ほ乳瓶プレイはイヤだけど、筋肉減るのはマジでヤバい!
「ほら、逢初さん、さんざん僕に飲めって言ってたのに。はは」
あ、ダメだ。指の間のでっかい目がうるうる。この娘を責めてもダメだ。
どうする?
このまま彼女が職務を放棄したら? 僕はどうなる!?
それは非常~~にマズい気がする!
「あ、あの! 取りあえず落ち着こう! ね? えっと!」
「‥‥‥‥」
「ぜんぜん大丈夫だからさ! カモ~ン! プリーズ! ミルクプリーズ!」
このセリフだけ切り取られて、拡散されないことを真に祈りながら。
僕は彼女の復活を願った。
***
そして、しばらくして。
「ご、ごめんなさい‥‥‥‥」
万策尽きたベッドの上。
その言葉は、唐突に降ってきた。
申し訳なさそうに、彼女は噛むように話してくれたよ。
「バイト先みたいに、患者様に接する感じで‥‥普通にできるはずなのに。ミルクをあげる時になって、咲見くんと目が合ったら、なんだか‥‥急に‥‥。バイト先は小児科だし、普段男の人に近づくことすら少ないのに
ハンカチで表情を隠すと、ぺこりと頭を下げる。
「そう。バイトしてるんだ。すごいね」
「うん‥‥‥‥れんげ市海軍病院だよ。ここひと月は乗艦船医研修を‥‥」
申し訳なさそうに、彼女はそう言った。そんな逢初さんを見つめていたら――少しわかってきた。
この娘は、「医療従事者」と「中二女子」の2つの顏を持っているんだ。
さっきまで、必死に「医療従事者」として僕に接してきた。けど、ミルクをあげる場面になって、素に戻っちゃった。 我に返ったというか。――そりゃ、僕だってむちゃくちゃ恥ずかしかったんだから、彼女だって恥ずかしいはずだよなあ。
いや、もしかしなくても、僕以上に。
――「中学二年生」の女の子が、クラスメイトの男子に、母親みたいにミルクをあげるミッションなんて――ねぇ?
そういう僕だって。
先ほどまでのBotを排除する掃空任務は必死だった。今現在、この艦に「パイロット役」は僕ひとりしかいない。
今日倒したBotは、性能的に言えば、中型DMTでは勝って当然くらいだ。でも、もし、僕がしくじれば、艦の残りの15人にものすごく負担をかけることになってしまう。そんなカッコ悪いことはできないと、目一杯気を張っていたんだけど。
この娘も、僕と同じ気持ちなのでは?
そう気がついた。この戦艦で、「医者役」、つまり「医療」を担えるのは、彼女ひとりだけ。この娘も、しくじったら後がない。他の誰も医療を扱えないのだから。たぶんそうなんだよ。
なんて思ったら、なんだか急に親近感が湧いてきた。彼女を困らせちゃあダメだ。
そうだよ、協力しなきゃ。
僕たちは、お互い後がない、似た者同士なんだから。
「『医療従事者モード』の逢初さんと『中二女子』の逢初さん、かあ」
「え?」
そう言いながら、うつむく彼女を見た。
「なんでこんなことになってんだろうね。ホント。お互いに。『なんの罰ゲームだよ!』ってツッコミたくなるよ」
僕は、なるべく大げさに、明るく話しかけてみた。
「さっき言ってた『マジカルカレント後遺症候群』‥‥だっけ。これ、他の14人は知ってるのかな?」
「それは、今頃『
「ふ~ん」
「一応、というか、軍事機密みたい。だって、
あ~~。当の本人にも、教えておいて欲しかったなあ。
「何が原因なんだろ? これじゃ今のところ罰ゲームみたいだし」
「重力子エンジンの特性に関係あるらしいよ? わたしは医学方面の事しかわからないけれど、軍では前から知られていた症状なんだって。特定の脳波を持つ人だけに現れる現象で、寝込む引き換えにエンジンの出力がちょっとだけ上がるとか。1000人にひとりの能力とか」
何!! 1000年にひとりのユニークスキル!? ‥‥‥‥キタ。
思わずガッツポーズをしようとするが、当然腕は上がらない。
「‥‥そうか。僕にそんな能力が。ふむ。チートじゃん。1000年にひとり‥‥!」
「‥‥‥‥1000人にひとり、だよ。咲見くん」
顔を隠すハンカチの向こうから、
「1000人にひとり? それじゃあえ~と、ウチの中学に1人いるくらいの計算じゃん。何それ。あ~もっと主人公的な、チート能力がいいなあ」
「それは、そういうマンガとか見すぎだよ。でもすごいんじゃない? 1000人に1人の才能なら」
「その結果、ベッドで動けなくって、ミルクの刑でしょ~」
「うふふ。わたしは、ちょっとこの症状に興味あるかな? 脳波が原因なのに、体に影響が出るなんて理屈に合わないもの。この後遺症状も重力子エンジンも、まだ未知の部分が多くて研究途中なんだって」
「‥‥今、笑ってくれたね。逢初さん」
「え? あ、はい。――そう、だね」
そろそろかな。と僕は考えはじめてる。僕と逢初さんは同じクラスだけど、ほとんど話したことがなかった。こうやって少しでも打ち解ければ「ほ乳瓶とミルク」問題も心のハードルが下がる事を期待して。
「ね、逢初さん」
「何‥‥?」
自分の心に確認する。僕が決して望んでいる訳ではない。そういう趣味もない。
ただ、彼女が困ってるなら協力するだけだ。
そこに壁があるなら乗り越えていくだけだ。
男として。
「あらためてお願いするよ。栄養剤を」
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