第28話『あの日見た虹 青』
【青色 アオイ】
「撮るなって言ってんだろうがっ!」
あの時ユリポンが止めてくれなかったら、間違いなくあたしはあいつのスマホを叩き割っていた。
ずっと溜まっていた何かがあの時破裂したんだと思う。
「んー。二杯目以降は覚えておらーん。大丈夫大丈夫。きゃはははは」
有希は酔うとこんな風になるのか。結構飲んでたから、有希も何か溜め込んでいたのかもしれない。
まあ、大人になるってことは自分の酒量と、どっかで溜め込んだガスを抜く方法を知ることと、水道光熱費と税金をきちんと払うことと、選挙にきちんと行くことだって誰かが言ってた。あたしはあたしのペースで飲んで、あたしのやり方で発散する。それだけ。
カレンも何か溜め込んでいたのかな。物販でカカシが「あいつらはオタク失格」って言ってるのが聞こえたから、カカシに愚痴でも聞いてもらっていたんだろう。
あ、オタク失格。そうか。
あたしの中に溜まっていたのは、たぶん他所のオタクへの不満だ。
ワンマンの時は私たちのライブを観に来たドリーマーしかいないからいい。
でも対バンの時は違う。ライブハウスは色んなオタクで溢れかえって、だいたい4つのブロックに分かれている。
客席の中央には、その時にパフォーマンスをしているグループのオタクがいて、MIXを打ったりコールしたりして盛り上がっている。終わったら、周りに「推しのライブを盛り上げてくれてありがとう」という感謝の言葉を大声で述べて、次のグループのオタクに場所を譲る。「いやあ実は次の出番のグループにも推しがいるんだよねえ」なんていうDD(誰でも大好き)はそのまま残ったりする。
客席の後方。照明が当たらず、ステージ上のあたしたちからはよく見えないこのスペースにいるオタクは、推しの出番を待っていたり、スマホでタイテや物販場所を確認していたり、推しのパフォーマンスが終わってドリンクを飲んで休んでいたりする。前は『後方彼氏面』って腕組んでる人がいたけど、最近は見かけない。あたしたちのライブを初めて観て「お?」と思った人は一歩二歩前に出てノッてくれたりする。
中央両サイド。ここには、次やその次に出番があるグループのオタク、あたしたちを二推し、三推しぐらいで応援してくれているオタク、中央に行くのはちょっと恥ずかしいと思っているオタク、ドリーマーなんだけど応援スタイルが地蔵のオタクがいる。手拍子や合いの手を入れてくれたりする。
どんな曲でも基本Aメロは「ン、パン!ン、パン!」、Bメロが「パン!パパン!」かオーイング、サビ直前の転調時の間が合ったら「イエッタイガー!」か「イエッタイガファイボワイパー!」、最近だとMIXを入れることもある。サビは「パン!パン!パン!パン!」、サビ中に「フッフー(パンパン)フワフワ」とか「はいせーの!はーいはーいはいはいはいはい」とパターンが決まっているので、慣れているオタクなら初めて聴いた曲でも手拍子や合いの手は入れられる。カカシやイーグルみたいな猛者になるとMIXやコールもどこで入れるか分かるらしい。現にカラオケオフ会の時、氷川きよしやサザンの曲で沸いてた。米津玄師の曲で「けんしー!」コールや、ハム太郎で沸いてた時はさすがに笑った。
訳が分からないのが最前列。いわゆる最前管理の連中。最後の方に出番が来るメジャークラスのオタクが、ライブのスタートから場所取りをしている。もちろん中には最初からきちんと観てくれていたり、レスを送ったら笑顔を返してくれるオタクもいる。でも大概は興味なさそうにじっと下を観ていたり、マナーが悪いのになるとスマホを操作していたりしてむかつく。本当に酷いのになると、今日みたいに「撮影禁止です」って言っているそばからスマホを向けたりしてくる。
ドリーマーには最前管理をする人はいない。断言できる。なぜなら対バンの時は必ず最前は知らない顔ばかりだから。
キャパの大きいライブハウスでワンマンをやることが多くなってきたあたしたちはまだいい。他のグループの子たちはどう思っているんだろう。特にいつも最前に知った顔が揃っているグループの子たち。他所のオタクから不満の声があがっていることを知らないはずないのに。どんどんやれとか言っているんだろうか。『オタクは推しに似てくる』っていうし。
「よし、そろそろお開きにするか」
「えーーー」
そんなオタクみたいこと言っているのはもちろん有希。
「はい、有希帰るよぉ」
「次行くやついるか?」
杏花が有希の両腕をしっかりとおさえている。みんなパスか。あたしはもう少し飲みたいから行くか。はい。
「またアオイだけか。よし、みんな気を付けて帰れよ。特に有希」
「はい!大丈夫です!」
『おつかれさまでしたー』
二軒目はいつものカラオケのあるバー。高梨社長は意外と歌が上手い。昔バンドでギターボーカルと作曲をやっていた経験があるらしい。本人には聞けないけど、ちらっと噂で聞いた話ではホームレスの経験もあるらしいけど。
その社長が歌います。聴いてください、TUBEの『BEACH TIME』
≪あー私の恋はー南のー風に乗って走ーるわーーーあー青い風ー切ーって走れあの島へーーー≫
あはははは。なんじゃそりゃーー!店の中爆笑の渦。
「どうだ?」
「何がですか?」
「今の『青いBEACH TIME』」
「なんでピッタリ合うんですか?」
「知らん。若い時に気が付いた」
「へえ」
「なんか面白いことないかな。アオイ、なんかないか?」
「ないですね」
「即答か!」
女性三人組のお客の一人が、有名なガールズバンドの曲をカラオケで歌っている。
「あ!ひらめいた」
何?高梨社長はスマホを出して何やら文字を打っている。高梨社長は両手フリック打ち。あたしなんかい行はガラケー打ちなのに。
「よし、こっちはどうだ」
今度は別の人?LINE?
「よし、えーと山内。ちょっと動画撮れ。そうそこから」
何が始まるんだろう。
「アオイ、お前ベースやれ」
「えーー?なんでですか?」
「女の子がベース弾いてるのカッコいいだろ?」
「はあ、はい」
「ベース買って猛練習してくれ。領収証切るの忘れないでくれよ。弾きながら歌えるようになったら教えてくれ」
「わかりました……」
翌日、御茶ノ水の楽器店へ行き、店員さんのアドバイスの元、ベースを買って動画を観ながら練習をした。
ちょっと弾けるようになったら、めっちゃ楽しくなって練習しまくった。ベースに慣れてくると、既存曲のベースだけを聴き取ることができるようになったので、レッチリのベースが超カッコいいことが分かった。
『そこそこ弾けるようになりました』
『りょ』
十数分後。
『明後日14時。新宿のミルクスタジオにベースを持って来てくれ。顔合わせをする」
顔合わせ?誰と?
スタジオの入口で、高梨社長とバッタリ会った。
「おお、ちょうど良かった。他はもう来ているかな」
誰が待ってるんだろう。
スタジオ内からドラムとギターの音が聴こえる。高梨社長が重いドアを開けた。
「おつぽよ」
「おはぽ……あっ、おはようございます」
「おはようございます」
「えっ?カレンとリナチー?」
「あっ、ベースはアオイ様かあ」
「この三人でスリーピースバンドをやる。バンド名は『プリズム』だ」
「プリズム?」
「ああ、たまたまなんだがこの三人の担当カラーは赤青緑、光の三原色だ。この三色でどんな色でも作ることができる。可能性は無限なんだ」
「どうして私たちなんですか?」
「莉奈がドラムをやっていたのは聞いていたし、華蓮はギターが弾ける。あとは……」
あとは?
「思いつきだ」
やっぱり。
最初は有名な曲を練習してカバーした。その後はカレンが作詞作曲した曲を演った。
今は私も作詞作曲に挑戦している。
「これどう?」
「アイデアは面白いんだけど、正直ちょっと……」
やっぱり。DEADGDのリフでDEAD GODって安直だったし、DOGにしてもAGEにしてもイマイチなのはあたしでも分かっていた。
「このビバルディの『夏』のアレンジが主旋律になってるなのはモノになりそうじゃない?『冬』や『革命』は音ゲーにテクノアレンジがあるから、ロックでもイケそうだと思う」
「『ギガロソニック』はどう?」
「ムリムリ。こんなメガデスより速いのは、私叩けないよ。YOSHIKIじゃあるまいし」
「私もイングヴェイはムリ」
「そっか」
「もうちょっと詰めてみようよ、それより練習しなきゃ」
「じゃあ『イカロス』合わせてみようよ」
「おっけー」
「いくよ、1、2、3、4」
≪太陽の光が照らす海 イカロスは蝋で翼を作った 高く高く飛び立つ夢でも 心は不安で震えてた 「もっと高く、もっと遠くへ」父の声が空に響く 翼は風に揺れて未知の世界へ向かってく 燃える太陽熱い風 イカロスは飛ぶ 翼崩れて深い海へと落ちるその時まで≫
「いいんじゃない」
「次、『プリミティブスペース』」
「はい、1、2、3、4」
≪星屑舞い散る闇の中 原始の宇宙が目覚めてく 無限の時 無限の空 あたしたちは輝き始める Someone’s watching us 遠くの星々が囁く 生命の芽が花開く瞬間 私たちは宇宙の子供たち
Cosmic dawn light breaks through
In the void
we find our hue Galaxies spin
planets dance
We're stardust dreams in cosmic trance≫
プリズムの強みは全員が演奏しながら歌えること。元々ダンスをしながら歌うことに慣れていたからかもしれない。
作詞も三人ともできた。でもデビューライブを経て活動していく内に気付いたことがあった。
まずあたしは他の二人に比べて引き出しの中身が圧倒的に少なかった。引きこもっていた空白期間だけでなく、そもそも触れてきたものや人生経験に大きな差があった。あたしは好きなものやのめり込んだものがほとんどなかったし、綾香以外にそれをいっしょにする相手がいなかった。
あたしは引き出しの中身の少なさを気取られないように必死で集めた。カレンに聞いたおすすめのドラマや映画、リナチーに聞いたアニメやマンガ、ミオタンに聞いた小説で気になったキーワードをノートに片っ端からメモしていった。辞書を開いて良い言葉をたくさん見つけていった。ラジオアプリで流行りの曲を聴いて、歌詞を検索して勉強した。名曲と呼ばれる曲を動画サイトで聴きまくって研究した。
でもいつまで経っても埋まらない空っぽの引き出しがあった。『恋愛』という名の引き出し。同じ『恋愛』の曲を歌っても、あたしの時だけ気持ちのこもっていない薄っぺらな歌に感じた。メンバーはみんな大なり小なり恋という気持ちを現在進行形で持っているらしい。
好きって気持ちは分かる。両親や、あたしを推してくれる人のことは好きだ。カレンに「想像力でカバー」と言われたから、想像してみた。異性と手を繋いで二人きりでどこかに出かけられるか、と言われたら「イエス」。でも二人でずっと一緒にいられるか、一緒に暮らせるかと言われたらクエスチョンマークがつく。それ以上の関係となったら、想像の範囲内でも「ムリ」。
想像していると、ネットで知り合って襲いかかってきた男の姿に変わっていき、醜くて吐き気がするおぞましい顔になる。
あたしは恋愛ができない。
この欠落はいつか埋まるんだろうか。
そんなことを思いながら、ニジドリとプリズムの活動の二刀流をこなしていたある日。
高梨社長から春のツアー、限定ユニットとプリズムのコラボの話があった。
「それと、これが一番重要なんだか……おい、澪聞いてるのか」
「あっ、すみません」
「春にツアーだって」
「で、次の秋に澪が……」
えっ?ええっ?
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