第15話 蕾 5




 葉珠たちと別れて宗正卿の執務室へ戻ると、孟起と宗正卿が向かい合って座っていた。

 部屋へ入った途端に孟起が助けを求めるように慧喬を見た。宗正卿は振り向いて慧喬と目が合うと、残念そうな顔をした。

 二人の反応で、華京を離れていた間、慧喬に何があったのか、宗正卿が孟起から聞きだそうとしていたのを察する。

 慧喬が孟起に向かって、話したのかという意味を込めて眉を顰めると、孟起はふるふると首を振った。

 宗正卿からの攻撃に何とか耐えていたようだ。


「叔父上、時が来たらきちんとお話ししますので、孟起殿をいじめるのはやめてください」


 慧喬が言うと、宗正卿は首をすくめて立ち上がった。それを横目に見ながら慧喬が孟起に言う。


「すまない。待たせた」

「いや、それは別にいいんだ……です」


 宗正卿を気にして言葉遣いを直しながら孟起も立ち上がる。

 その言い方に少し笑うと、まだ何か言いたげな宗正卿を置いて、慧喬は孟起を連れ出した。


「何処へ行くん……行かれるのですか?」

「……王宮だからと言って言葉遣いを変える必要はない。気になるのならば、他に人がいるときだけでいい。却ってやりにくい」


 慧喬が言うと、孟起はほっとした顔で、ふう、と息を吐き、先を行く慧喬の横に並んだ。そして聞き直した。


「何処へ行くんだい?」

「東宮へ」

「東宮? 何をしに?」

「……太子に指名された」

「ん? 誰が?」

「私だ」


 孟起の足が止まる。

 横に並んでいたはずの孟起がいなくなったので慧喬が振り返ると、孟起が垂れ目気味の目を丸くしていた。

 その顔に思わず笑う。


「めったに動じない孟起殿にそんなに驚いてもらえると、ちょっと嬉しいな」

「いや、驚くよ。普通に」


 そう言いながら孟起が慧喬の横まで戻る。それを待って再び歩き始めると慧喬が続けた。


「昨日は、ここまで護衛をしてもらった礼を、と言ったが、しばらくの間、侍従武官として私に仕えてもらえないだろうか」


 それを聞いて口を開きかけた孟起に慧喬が先回りして続ける。


「いや、ずっととは言わない。孟起殿が墨国に行くつもりであることは承知している」


 孟起が慧喬を探るように見る。


「理由は?」

「少し調べたいことがあるんだ。それを手伝って欲しい」

「……まあ、急いでるわけじゃないからかまわないけど……」

「私を狙った人物を特定したいんだ」


 ああ、と孟起が腑に落ちたように頷く。


「そういう事か」


 慧喬は頷き返すと、前方に現れた東宮の門へと視線を合わせた。


「どうも兄上の死には納得できなくて」

「兄上って……落馬したと言っていたね。それが?」

「……兄上が誰かの故意であんなことになったのだとしたら、私を狙った者の仕業だと思う」

「……なるほど。君が狙われたのは次の太子だからってことか。……前太子殿下の事故死を調べるために君を狙った人物を特定するんだね?」

「そうだ」


 きっぱりとした返事に孟起が頭を掻く。そして慧喬の横顔を窺いながら聞いた。


「……こう言っては何だけど、正式な手続きを踏んで公権力を行使した方がいいんじゃない?」


 しかし慧喬はそれに首を振った。


「再調査となると恐らく時間がかかる」


 そして睨むように前方を向いて続ける。


「九日後に冊立式が行われる。それまでに自分の手で決着をつけたいんだ。このまま……兄上の死が有耶無耶のままで太子になりたくないんだ」


 王は孝俊の死を事故死として幕引きをし、早々に後継を立てようとしている。亡くなった者をいつまでも追わないという孝緒王らしい合理的な考えだとは思う。

 しかし、慧喬はそれを受け入れてもやもやしたまま進みたくはなかった。


 孟起は慧喬の決意が揺らぎそうにない横顔を見つめると、小さく息を吐いた。

 そしていつもの穏やかな瞳で微笑んだ。


「……わかった。いいよ。私でよければ拝命しよう」

「すまない。ありがとう」

「どういたしまして」


 振り向いて目にした目尻に皺を寄せて笑う孟起の顔に、厳しかった慧喬の目元も緩んだ。




 東宮へ着くと、既に話が通っており、執務室へとすぐに入ることができた。

 孟起は物珍しそうに部屋を見回すと、あ、と思い出したように言った。


「そう言えば、夕べ同郷の友人に泊めてもらったんだけど、そいつ、胡子顔たちのことを知っていたよ」

「その友人は左衛軍にいるのだったか」


 慧喬は執務机の前の卓に孟起も座るように言うと、自分もその前に腰を下ろした。


「そう。胡子顔は平民の出だけどすこぶる腕が立ったと言っていた」

「……そうだろうな。龍武軍所属の護衛がやられるくらいだからな」

「もう一人、呉文則だったっけ。同じ軍ではないけどあれも弓の名手として名前を聞いたことあるって」


 慧喬が眉を顰める。


「ちゃんと暗殺遂行の可能性が高い者を選んでたということか」

「みたいだね」

「しかし……側妃がそんな情報に詳しいというのは考えにくいな。やはり後宮外に協力者がいるんだろうな」


 慧喬が続ける。


「私を殺そうとした兵士について、宗正卿に確認をしてもらったんだ」

「何て?」


 孟起が身を乗り出すと、戸の外から声がかかった。


「慧喬殿下、よろしいでしょうか」


 入室を許可すると、入って来たのは若い文官だった。


「行成か。待ってたぞ」


 慧喬が立って出迎える。

 温行成は孝俊の側近だった若者だ。官吏登用試験を歴代でも例を見ないほどの成績で合格し、若くして特別に太子の補佐として、東宮詹事せんじ府の副官、少詹事に取り立てられた。

 物静かな雰囲気を纏う理知的な青年で、年は慧喬より六つ上にあたる。

 孝俊と親しかった慧喬は行成とも少なからず面識がある。


「この度は……太子へのご指名、おめでとうございます」


 祝いの言葉を述べたが、その青白い面持ちを悲しみに沈めたまま言った。


「それから……慧喬様には何とお詫びを申し上げてよいか……。孝俊様が……あのようなことに……」


 言葉に詰まり、唇を震わせて頭を下げる。

 行成は職務として補佐としての役割を担うだけでなく、孝俊にとって身内よりも親しい友でもあった。


「其方のせいではないだろう」


 慧喬が言っても行成は、申し訳ありません、と更に深く頭を下げた。

 下げたままなかなか頭を上げない行成に慧喬が聞く。


「……東宮の職員はそのまま引き継ぐことになっているが、行成も引き続き勤めてもらうということでよいか」


 東宮の職員の中でも、特に孝俊の信頼の厚かった行成は是非にと王にも名指しで望んだ。


「はい。陛下より引き続き東宮で太子殿下の補佐を勤めよとご下命いただきました」


 漸く面を上げた行成が拱手する。


「そうか。よろしく頼む」


 そう言うと、慧喬は立ち上がって目立たぬように控えていた孟起を振り返った。


「孟起殿、こちらは温行成だ。兄上……先の太子の側近で、兄上の知友でもあった。詹事府の副官で、そのまま私にも仕えてくれるそうだ」

「李孟起と申します」


 孟起が拱手すると、行成もそれに応えたはしたが、慧喬を問うように見た。

 それに対する答えとして慧喬が言った。


「孟起殿には侍従として仕えてもらうので手続きを頼む」


 見慣れぬ者を突然紹介され、手続きをと言われた行成は戸惑いの表情を浮かべる。

 どうして紅国の兵でもなさそうな孟起が慧喬の側仕えとして望まれているのか、不審に思うのは自然なことだ。


 慧喬は行成に卓に着くように示すと、自身もその向かいに座り、低い声で言った。


「……これから話すことは他言無用だ。しばらくの間は陛下のお耳にも入れないように」


 行成が戸惑いながらも承諾の意を示すと、慧喬が言った。


「何者かが私を殺害しようと刺客を送ってきた」

「……え……?」

「私が狙われた理由は、一つしかないと思う。兄上が亡くなって、私が太子となることに決まったからだ」


 行成が言葉を失い慧喬を凝視する。それに慧喬が頷いて見せる。

 そして明玉の村であったこと、宗正卿に確認してもらった呉文則と胡子顔のことを話した。





「……何という……」


 話を聞き終わった行成は、そう言った後、青い顔のまましばらく動かなかった。

 行成の受けた衝撃が少し落ち着くのを待って慧喬が口を開いた。


「私を狙った犯人を特定したいんだ。協力してくれるか」


 はっと行成が顔を上げる。その見開かれた目を捉えて慧喬が続けた。


「私は、兄上が亡くなったのは、事故ではないだろうと疑っている」


 行成の理知的な瞳が揺れる。

 慧喬の言葉がどういった意図で発せられたのか理解したのだ。


「……しかし……孝俊殿下の事故についての調査は既に終わり、陛下もこれ以上は調査不要と……」


 行成が苦しそうに現状を言葉にする。


「行成はそれで納得しているのか?」


 慧喬が行成の言葉を遮ると、その優しげな顔が歪み、唇が震えた。それが問いへの答えだと受け取り、慧喬が続ける。


「私が狙われたことは公表しないまま、調査をしたい」

「……しかし、殿下の命が再び危険に晒される可能性があります」

「それが狙いだ」

「あまりにも危険です」

「だから、護衛のために孟起殿を侍従として置きたいのだ。さっき話したように二度も命を救ってくれた」


 行成が孟起を見る。

 穴が開くほど見られた孟起は居心地が悪そうに頭を掻く。


「私は反対です」


 孟起から慧喬に視線を移し、行成が懇願するように見つめる。


「もしも殿下の御身に何かあったら……」

「決めたことだ」


 迷いのない琥珀色の瞳が行成に返される。行成はそれを受けてたった。

 その駆け引きは拮抗するように見えたが、行成が緊張を溜息で逃すと同時に目を逸らした。


「……私が反対したところで初めから聞き入れるつもりはないのですね?」

「そうだ」


 あっさりとした慧喬の返答に、行成は煩悶するように膝についた手を額に当てて黙り込んだ。しかし少しすると、大きく息を吐いた後に顔を上げた。


「……わかりました。ご指示に従います」


 そう言うと、再び孟起を見た。


「……実際に慧喬様の御命を二度も救ってくださったのですし、慧喬様がそこまで信頼されておられるのならば、間違いはないのでしょう」


 そして立ち上がると、孟起に深々と頭を下げた。


「どうか慧喬様を必ずお守りくださいますよう、私からもお願いいたします」

「それは、もちろん。全力を尽くします」


 行成の切実な声に、孟起も精一杯の誠意を込めた。

 下げていた頭を行成が上げたところに、慧喬は更に注文を出した。


「あと一人。東宮官に異動させてほしい者がいるんだ。手続きを頼む」


 行成が問うように慧喬へと視線を移す。


「龍武軍の張朱全。紫紅峰で私の護衛を担当した者のうちの一人だ。元々私につけられた護衛だから問題ないはずだ。もうすぐ私が指示したことを終えて帰ってくるはずだから、こちらに来るように手配しておいてくれ」


 行成は「承知しました」と頭を下げた。

 そして胸の内の心配を追い出すように大きく息を吸うと、では早速、と部屋を退出した。


 その行成の後ろ姿を見送りつつ孟起が言った。


「温少詹事は信頼できそうな人だね」


 慧喬は、ああ、と頷いて同意を返すと、執務机へと移動した。

 机は孝俊があるじだった時のままの状態だ。


「行成は官吏登用試験での成績がすこぶる優秀で、兄上自身が引き上げた側近なんだ」


 言いながら慧喬は机の上の文箱にあった筆を手に取り、孝俊の面影を探すように手の中で筆を回し見る。


「元々地方の出の行成には後ろ盾もない。若くして少詹事に引き上げられた時もかなり色々と言われたようだ。兄上が亡くなって行成に利益は一つもない」

「なるほど」

「それに兄上の親友でもあった。だから無念に思う気持ちは私と同じだと思ったんだ」


 慧喬はそう言うと、手にしていた筆をぎゅっと握った。



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