33. 廃棄王女、黒豹に堕とされそうになる

「メディア王女、あなたはロオカにはもったいない」


 私を映すシヴァ殿下の黒い瞳に、どこか湿りを帯びた熱を感じました。それはまるで彼の情念が黒い炎となったよう。


「単なる好奇心で会ってみたが、俺はあなたが欲しくなった」

「お戯れを」


 勘違いしては駄目よメディア。私に言い寄るシヴァ殿下のお考えはわかります。


 ここで私がシヴァ殿下と結ばれれば、ロオカはカザリアによって経済的に殺される。そして、南方諸国の盟主の座ロオカから転落するのは目に見えています。その後釜は間違いなくサメルーン王国でしょう。


 だから、シヴァ殿下が私を誘惑するのは、すべてサメルーンの国益のためであって……


「聡いあなたのことだ。俺が南方の盟主を狙っていると思われているのでしょう」

「――ッ!?」


 まるで心を読まれたようで、私の心臓が飛び跳ねそうになりました。


「否定はしません。その考えがまったくないとは申しません」

「ならば、その努力は無駄だと申し上げておきましょう」


 それをわかっていて、私が安易に靡く軽い女と思わないでいただきたい。私とてカザリアの王女。


 恋愛感情で自分を見失ったりなど……


「ですが、それは今となっては些細なこと」

「ん――ッ!?」


 いきなりシヴァ殿下が私の手を取りました。

 ちょっ、そんなに迫らないでくださいまし!


「王女の立ち振る舞いを見ていて、あなたに惹かれた。はっきり言って惚れた」

「わ、わ、わ、私はロオカに嫁ぐ身です」


 どうしてしまったの?

 上手く口が回らない。


「おやめなさい、こんな国。さっきも申し上げたが、あなたに相応しくない」


 シヴァ殿下がグイッと私の手を持ち上げ、ちゅっと甲にキスを落とす。その音が意外と響き、私の頭に血が一気に上ってきました。かあっと頬が熱くなるのがわかります。


「それよりも、俺と共にサメルーンへ行こう」

「シヴァ殿下、お戯れはそれくらいで……」


 シヴァ殿下の黒い瞳が妖しく光り、私の心を惑わす。こんなにも私の心がぐらぐらと揺れてしまうのは、きっとギルス殿下のあまりの愚行のせい。


 そうでなかったら、こんな誘惑なんて……ですが、シヴァ殿下の瞳を見ていると私は……


 耐えられず、私は顔を背ける。彼の黒曜のように黒く輝く瞳に直視されると、どうしてだか引き込まれてしまいそうになるのです。心臓がやかましく鼓動を打ち、胸がきつく苦しい。


 このままではいけない――


「メディア王女殿下、あなたは我が国の王太子妃になられる身であろう」


 そこへ横から初老の男性の声が割って入り、私はハッとしてシヴァ殿下の手を振り払う。


「軽々な行動は慎みなされ」


 声の主はロオカの宰相デュマン卿でした。彼はまるで敵を見るかのように私を睨んでいます。


「おやおや、これはこれは宰相殿、ご登場ですね」


 シヴァ殿下はまるで私を庇うように、デュマン卿の前へと出ました。口調に少し棘があります。まあ、確かに彼の登場は遅きに失している。


 私が貴婦人達に囲まれていたのを傍観していたのは間違いないでしょう。


「シヴァ殿下もあまり感心しませんぞ」

「ほう、俺が何かしましたか?」


 デュマン卿が鷹の目のごとく鋭い眼光を向けられましたが、シヴァ殿下は気にした風もなくうそぶく。


「他国に嫁ぐ王女を誘惑していたではないですか」

「まだメディア王女はロオカに嫁いではいないでしょう」


 デュマン卿の正論をシヴァ殿下は屁理屈で返しました。ですが、なんでしょう。デュマン卿の方が空々しく感じます。


「それに、あなた方は彼女をいらないのでしょう?」

「そのような事実はない」

「そうですか?」


 シヴァ殿下は余裕の笑みで周囲を見回す。


「その割にメディア王女に敵意剥き出しのようですが?」

「言いがかりはよしてもらいたい。隣国の王子と言えど無礼が過ぎますぞ」

「無礼?……俺が?」


 途端、シヴァ殿下がお腹を抱えて笑い出しました。


「くっくっ、いや、これは失礼……ぷっ、しかし、これは、くっくっくっ……」

「な、何がおかしい!」

「いや、まさかロオカの宰相殿にまで道化師の才能がおありとは驚いた」


 笑いを収めたシヴァ殿下は、今度は冷ややかな目をデュマン卿へと向けらる。明らかに侮蔑の色が含まれています。


「無礼とは先程のドレスを着た貴族もどきの振る舞いでしょう。そして、それを止めず外からにやにや笑っていたあなた方も」

「そ、それは……」

「はっきり申し上げて、俺は、いやサメルーンはロオカを信用できない」

「なっ、シヴァ殿下、あなたはご自分が何を仰っているのか分かっておられるのか!?」


 デュマン卿が驚くのも無理はないでしょう。シヴァ殿下はサメルーンの王族として、ロオカを突き放す発言をしたのですから。


「分かっていないのは、あなた方の方でしょう」

「何ですと?」

「デュマン卿、あなたは今までは大過なく国政に携わってきたようだが、失礼ながらずいぶん耄碌もうろくされたようだ」

「なんだと!」

「あなた方のメディア王女への仕打ちは己が溜飲を下げたのかもしれない。だが、他国の者からすれば、ロオカは閉鎖的で、礼を知らず、信用に値しないとしか思えない」


 指摘されてデュマン卿は他国の使者が集まる一画へ視線を走らせた。彼らの向ける目が、シヴァ殿下の発言の正しさを物語っています。


「それに今回の軍事演習の件だが……どうやら外部に筒抜けのようだ」


 そう言って私をちらりと見てシヴァ殿下は含みのある笑いを浮かべる。秘密裏に入国していたシヴァ殿下の存在を、ロオカへ来たばかりの私が知っていたのです。


 まあ、当然その結論に達するでしょう。つまり、ロオカで情報がダダ漏れだったと事が露見したのです。これは私も迂闊な発言でした。


「そうだ、どうして王女殿下はその事実を知っていたんだ!」


 デュマン卿の敵意の視線が、シヴァ殿下の背後にいる私へ向けられる。その鋭い眼光は、か弱い令嬢なら悲鳴を上げるところでしょう。この一事でも彼の私に……いいえ、カザリアに対する敵愾心が見て取れます。


「まさか、貴様は我が国の機密を盗みに……」

「それについては私から話そう」


 デュマン卿の険のある言葉を遮ったのは白銀の髪に紺碧の瞳の美丈夫。


「アルバート殿下」


 アル様が厳しい目をデュマン卿へ向けていました。

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