16. 廃棄王女、胸の高鳴りを覚える

「お、叔父上!?」


 ギルス殿下が明らかに狼狽うろたえています。


 先程までの傲慢ごうまんな態度が引っ込んで、どこか怯えたように見えますが……振り返れば、三十前後くらいの男性が顔を怒らせ謁見の間に入ってきました。


 白銀の髪に紺碧の瞳、長身でがっちりした体格の方です。と言ってもいかつくはありません。むしろ、端正な顔立ちで美丈夫と呼ぶに相応しい殿方です。


「いったい何をやっている!」


 ずいぶん顔を険しくされておられますが……ギルス殿下の叔父ならば、この方が戦上手で名高い王弟アルバート殿下でしょうか?


「カザリアの王女が到着したと聞いて来てみれば」


 こちらへ歩いてくる姿は颯爽として、容貌や立ち振る舞いに清涼感があります。


「とても歓迎している雰囲気ではないようだが」

「こんな女を歓迎する必要なんて……」

「遠方からお越しいただいた王女殿下を持て成さず無礼を働く、そんなロオカの品位を損なうような振る舞いはするな!」


 それに、アルバート殿下は誠実そうで、大柄な体格のせいかとても頼もしく感じます。ちょっと素敵な方と感じてしまいました。ギルス殿下の後にお目にかかったせいで余計そう思えるのかもしれませんが。


「元はと言えば、カザリアの方が我らロオカを馬鹿にして……」

「大国から姫君の婚姻を打診するのが、どうして馬鹿にしたことになる?」


 アルバート殿下はこの中では、まともな方のようです。本来なら、東方諸国で一、二を争う大国カザリアの方から縁談の話が出るなどありえないのですから。


「お、俺はこの婚姻に反対で……」

「だとしても、女性一人を大勢で囲んで威圧するなど恥を知れ!」


 大きくはありませんが、王族としての威厳に満ちた声です。ギルス殿下も周囲の貴族も、気圧されてしまったのでしょう。先程から目を忙しなく動かしています。


「それに反対であったなら、なぜ最初にそう主張しておかなかった!」

「そ、それは……は、反対できる……雰囲気ではなかった……ので……」

「なるほど、異国から来られた女性を自分の味方だけで囲めば反対できるわけか」


 ギルス殿下へ向けられるアルバート殿下の目が、見下げ果てた奴と語っています。その視線にギルス殿下は完全に萎縮して黙り込んでしまわれました。


「陛下も陛下です」


 続けてアルバート殿下は堂々とジョルジュ陛下へ諫言を述べ始めました。


「どうしてギルスを止めなかったのですか」

「……この婚姻はカザリアが一方的に申し込んできたもの」


 ずっと沈黙を守っていたジョルジュ陛下がここにきて初めて口を開きました。


「ギルスが嫌と申すのなら仕方あるまい」

「断るならカザリアから申し出があった際にすべきだったのです」


 いかに王弟とは言え、国王に対して明け透けな物言いです。かなり際どい発言ですが、同様にデュマン卿も感じたようです。


「いかな殿下と言えど、陛下に対して不敬ですぞ!」

「デュマン、本来ならお前が諌めねばならないのに何もしないからだろう!」


 国王を輔弼ほひつする立場にあるのは宰相デュマン卿の役目。アルバート殿下の言は正しく、デュマン卿が動かなかった為にアルバート殿下は仕方なく出てきたのでしょう。


「貴様が今回の婚姻に反対だったのは知っている」

「……」

「だが、王女殿下が我が国に来た段階で、この婚姻は無効には出来ないと分からんお前ではないだろう」


 どうやら、デュマン卿は私とギルス殿下の婚姻に反対していたようですが、聞き入れてもらえなかったようです。だから、ギルス殿下の暴走も止めようとはしなかったのでしょう。


 ですが……


「決まってから一人やって来た王女殿下を大勢で囲み、難癖をつけるのは卑怯と言うものでなないか」


 アルバート殿下の仰る通りです。国王が方針を定めた後で、自分が気に入らない決定だったからと私に当たるのは筋違いもはなはだしいでしょう。


「カザリアから申し出があった時に誰一人として反対の声を上げる勇気を持たず、女性一人に衆を頼んで手の平を返すほどロオカは恥知らずなのか?」


 誰もアルバート殿下に対して反論する者はおりません。ですが、きっと心中では反感を抱いているのでしょう。


 アルバート殿下に向けられる目が口ほどにものを言っております。後になって本人のいないところで陰口を叩く卑怯者ばかりのようですね。


 そんな空気がアルバート殿下にも伝わったのか、ため息をつかれています。諦めからか、アルバート殿下はもうそれ以上は何も口にせず、私に真っ直ぐ青い目を向けてきました。


 その涼やかな瞳に見つめられ、私の心臓が少しどきりと高鳴る。


 なんでしょう?


 私はこんなにも浮薄な女だったのでしょうか……いえ、きっと全員が敵の中で心細くなっていたのでしょう。アルバート殿下の擁護に少しだけ……ほんの少しだけ気の迷いを起こしたのでしょう。


 これは、そうあれです。吊り橋効果と言うやつに違いありません。


「メディア殿下でございますね」

「はい、カザリア王国ソレーユ王の娘、第二王女メディアにございます」


 名を尋ねられると、またもや内心でドギマギしてしまいました。それでも、私は何とか平静を装いカーテシーを披露しました。


 物心ついた頃より繰り返し練習してきた完璧な所作であると自負しています。果たしてアルバート殿下から感嘆が漏れ出たのを私の耳は聞き逃しませんでした。


「申し遅れました。俺……私はロオカ国王ジョルジュの弟でアルバートと申します」


 やはり、王弟ブランシェ公爵アルバート殿下でしたか。


「メディア殿下には失礼であるとは重々承知しておりますが、場所をいったん移させて頂けないでしょうか?」

「この状況では是非もありません」


 私はアルバート殿下に促され、謁見の間を退出することにしました。ただ、これだけは言わねばなりません。


 扉の前に立つと私は退室する前に振り返りました。


「私は結婚を間近に控えた婚約者と別れてこの地にやって参りました」


 皆の視線が私に集まります。それは決して好意的なものではなく、むしろ敵意か嘲りを内包した視線。


「それは、今現在この東方諸国を脅かす、ヴェルバイト帝国の脅威に対抗する為です」


 それでも、私は彼らに伝えなければいけないのです。


「目下、ロオカは確かに平和です。ですが、その平和は砂上に築き上げられた楼閣の如く、いつ壊れてもおかしくありません」


 彼らは私の言葉を真剣には聞いてはくれない。そんな彼らが滅びていくのは自業自得かもしれません。


「この国は薄氷の上をそうと気がつかずに歩んでいるのです」


 ですが、彼らの愚かさの代償を何の咎も無いロオカの民が払わなければならなくなるのです。


「もう一度お考え下さい。帝国が今ロオカを攻めないからといって、未来においてもそうである保証はないのだということを」


 私は一礼すると謁見の間を後にしたのでした。

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