閑話① 傷だらけの忠犬は主人を想う

 大陸の南東部には、大小様々な王国がひしめいている。


 その中で、ヴェルバイト帝国と国境を接している大きな国ロオカ。大きいと言っても、南方諸国の中ではと注釈が付くが。


 その国力は帝国やカザリアとは比べるべくもなく、農業や生花を主産業とする牧歌的な国である。


 その国の王都の正門を騎馬に守られた馬車が通り抜けていく。


 簡素だが造りの良い三乗の馬車、その周囲を固めるのは十数騎の騎士。装飾も装いも見るからに、ロオカの外の国からの来訪者と分かる。


 しかし、一般的な貴族の訪問にしては、少々物々しい集団のようである。さりとて他国の王族であれば、馬車や騎士はもっと多いはずだ。


 果たしてこの集団は何者なのだろう?

 行き交う人々の好奇の視線が集まる。


「ここが花の都ベティーズか」


 その馬車を護衛している深い青色の髪をした騎士が呟いた。


 年の頃は二十代半ばくらいだろうか、道行く女達が思わず振り返るほど整った顔立ちをしている。しかし、右頬に縦に走る大きな傷痕が、周囲に威圧感を与えていた。


 傷だらけの忠犬オルトス・スカルペレの異名を持つ、カザリアの騎士アルトだ。


 馬車の速度に合わせ、周囲を警戒しながらも器用に馬を進ませている。街路の石畳は思いのほか綺麗に整備されており、軽快に歩む馬はどこか楽しげだ。


 花の都の名に相応しく、正門から真っ直ぐ王城へと続く街路の両側は愛らしい花で彩られている。


「小国にしては立派な街だな」


 見た目は中々に華やかだとアルトは少しだけ感心した。


(ここが殿下にとって心安らかにお過ごしいただける地であれば良いのだが……)


 故郷であるカザリアは、残念ながら彼の主君にとって決して安住の地ではなかった。


 我が儘ばかりの異母妹ミルエラは、口うるさくいさめるメディアを毛嫌いしていた。実の父ソレーユ国王にいたっては、ミルエラを溺愛しメディアを嫌悪しているありさま。


 この二人との軋轢にメディアは苦しめられてきた。それを間近で見てきたアルトは主人の平穏を願わずにはいられない。


(ミルエラ殿下の美貌を前に誰もが……あの陛下でさえ目が曇ってしまわれている)


 諫言にも耳を傾ける名君ソレーユも、自分の娘達ミルエラとメディアに対してだけはとんでもない暗君へと変貌する。


 そして、周囲は国王の偏愛に誰もがミルエラの観心を得ようと必死なのだ。それでなくとも、絶世の美少女であるミルエラにこぞって未婚の男どもがすり寄っている。


 逆にメディアは国王から忌み嫌われており、黒い髪に赤い瞳の容姿が近寄り難い雰囲気を醸し出してもいて敬遠されていた。


 国王から不興を買うのを畏れたのもあるだろうが、王宮内の貴族達にはエルミラに阿りメディアを軽んじる傾向が強かったのである。


(ミルエラ殿下は人を狂わせる。逆にメディア殿下は人に道を示して下さる)


 故に、メディアの周囲には国を憂う国士や道に迷い苦しんでいる者達が集う。


(どうして貴族達にはメディア殿下の美しさが伝わらない)


 表面を着飾ったミルエラとは違う、気高く凛とした美しさがメディアにはある。それを理解されないことがアルトには歯痒い。


(いや、俺も他人のことは言えないか)


 自嘲気味に笑うと、アルトはそっと自分の右頬に触れた。その指先に古傷の隆起した感触が伝わってくる。


 その傷痕はアルトの苦い過去おもいでであり、メディアとの忘れられない邂逅の記憶おもいで


(俺も目が曇っていた時期があったのだから)


 アルトは以前ミルエラの近衞騎士ロイヤルガードであった経験がある。これはアルトが容姿端麗でミルエラの好みに合致していたからの抜擢だった。


(あの時、俺は自分の能力を買ってくれたのだと有頂天になっていた)


 王宮でもっとも権勢を誇るミルエラの側仕えとなり、アルトは自分が尊大になっていた自覚がある。なんなら今現在アルトが敬愛するメディアを見下してさえいた。


 これは当時の主人ミルエラが、メディアを馬鹿にしているのに同調していたからである。だが、今にして思えば恥ずべき振る舞いであった。


(そんな俺に天罰が下ったんだろうな)


 ある日、ミルエラを守りアルトは顔を負傷してしまった。その傷痕が残ってしまったが、ミルエラを守れたのだから安いものと考えていた。


 ところが……


『何その醜い顔は』


 主人を守った自分に褒詞ほうしがあるだろうと期待していたアルトが賜ったのは、冷たい侮蔑の言葉だった。


『お前はもう要らないわ』


 まるで古くなった玩具のようにミルエラはアルトを捨てた。


(自業自得とは言え、そこからは地獄だったな)


 アルトはミルエラの近衞時代に横柄な態度を取っていた。その振る舞いが祟った。アルトは解任されてから誰も相手にしてくれなかったのである。


 その後、閑職に回され、周囲から冷たく当たられる日々。筆舌に尽くし難い屈辱を受けたのだが、それは自分が近衞時代に他者へ行っていた仕打ちと同じだった。


(美しくないものに価値は無い……そんなミルエラ殿下の嗜好に、いつの間にか俺も毒されていた)


 次第に顔に傷を持つ自分は、価値の無い存在のように思えてきたのだ。


(絶望し騎士を辞めようと決めた時にメディア殿下が俺を拾ってくれた)


 そんなアルトに手を差し伸べてくれたのがメディアだった。彼女が自分の近衞としてアルトを迎えてくれたのである。


 メディアに仕えるようになってアルトは救われた。それでも顔の傷跡が自分の価値を下げているとの考えが抜けず、いつも背を丸め俯いていた。


『私はこの傷が好きよ』


 そんなアルトの気持ちを知ってか知らずか……


『誰が何と言おうと私はこの傷が大好きです』


 ある日、俯くアルトの傷にメディアが手を添えて顔を持ち上げた。


『これは他者を守った優しい傷……アルト、あなたはこの傷を誇って良いのよ』


 アルトは泣いた。


 それは悲しみからでも悔しさからでもない。止めどなく溢れるアルトの涙は、きっとメディアの優しい心が降らせた癒しの雨。それは傷痕にこびり付いた黒い情念を洗い流していった。


 この日、アルトはミルエラの呪縛から解放され、メディアに心から忠誠を誓った。


(メディア殿下は多くの人々に救いの手を差し出している)


 こうやって救われたのはアルトだけではない。月花宮にはそんな家臣で溢れている。


(そんな殿下を必ずやお守りする。この命に代えても……そう決意していたはずなのに)


 先日、国境付近で野盗に扮した帝国兵の襲撃を受けた。メディアが出てきて対処しなければ、それと知らずに賊とみなして応戦していたアルト達に多大な被害が出ていただろう。


「お守りしなければならない殿下に逆に守られた」


 何と不甲斐ないのかとアルトは己が情け無くて仕方がない。。


(やはり、殿下をお守りするのに人員が少な過ぎる)


 だが、メディアは遠い異国の地へ連れて行くのはしのびないと、必要最低限の供しか連れてきていない。


(まあ、奴らが到着するまでの辛抱だ)


 実は近衞騎士や月花宮の侍女侍従で、メディアに随伴したいと申し出ていたものは数多くいた。あまりの志願者の多さに選抜するのが大変であったくらいだ。


(あいつらの顔を見たら殿下はどんな顔をするか)


 そんな選抜から外れた騎士のうち、少なくない人数が職を辞して遅れてロオカへやって来る手筈になっている。もちろんメディアには秘密で。


(かなりの精鋭集団になるな)


 問題児ばかりだが、みな腕はカザリアでもトップクラスの騎士達。


「これで殿下の守りは盤石だ」


 不安材料はあくまで物理的な敵にしか対応できないこと。

 さすがに血を流さない謀略という貴族の戦いには無力だ。


「まあいいさ。この国が殿下を害そうとするなら、俺があの方を攫って生涯お守りすれば良いんだ」


 黒い髪と赤い瞳の美しい主人を腕に抱え、逃避行する自分を想像したアルトはふっと笑った。


 それも悪くないと……

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