5. 廃棄王女、忠臣達に頭を下げる
――目まぐるしく準備に追われ、気がつけば出立の日。
結局、あれ以来、オスカー様が私の元を訪ねて来ることはありませんでした。どうやら、オスカー様を始めマルセラン家は、お父様と婚約の件で争っているようなのです。
確かに、ミルエラは外見こそ花の妖精の如き愛らしい娘です。しかし、我が儘で怠惰な彼女では、外交官の妻が務まる筈もありません。オスカー様だけではなくマルセラン侯爵としても、気位ばかり高いミルエラの輿入れは何としても防ぎたいのでしょう。
さりとて、国王自らの要望では簡単に突っぱねることもできず、とても私に会いに来る余裕は無さそうです。
「メディア様、出立の用意が整いました」
侍女マリカが迎えに来ました。
「ありがとう、もう行くわ」
マリカに返事をすると、私は書き終えた手紙を封筒に納めて封蝋に
王命を受諾してからずっと、各方面にこうして毎日のように手紙を
本当は会って直接お伝えしたかったのですが、急に決定された婚姻のせいで時間がありませんでした。こんな些細なことにも、お父様の私への悪意を感じてしまいます。
ただ、幸いと言うべきか、私の荷物はとても少ないので準備自体はすぐに終わりました。
マリカと共に表に出れば玄関先に三乗の馬車――一番見栄えが良いのは私とマリカの為、他は数名の侍女と私達の荷物を運ぶ為の馬車です。
大国の姫が他国へ嫁ぐにしてはあまりにも質素で、見ればきっと誰もが驚くでしょう。
「お待ちしておりました」
表に出ると、一人の騎士が恭しく礼をして迎えてくれました。
王族の護衛騎士であるアルトです。燃えるような赤髪に、理知的な青い瞳。アルトは美丈夫と呼ぶに
今では私の護衛騎士であるアルトですが、元はミルエラの専属でした。これは彼の美貌に目をつけたミルエラの我が儘です。ところが、とある事件で、ミルエラを守る為に体を張ったアルトは、顔に大きな傷を負ってしまいました。
王族を守るに命をかけたアルトは、忠義のある立派な騎士です。だと言うのに、ミルエラは顔の傷が気に入らないと、彼を解任してしまったのです。しかも、ミルエラの事となると盲目になるお父様までもが、アルトを左遷しようとなさる始末。
忠義を尽くしてくれた臣下へのあまりの仕打ちに、私は怒りを隠しきれませんでした。ですが、私が苦言を呈すれば、お父様はますます意固地になるのは目に見えています。そこで、私は彼を自分の護衛騎士としました。
彼の右頬を縦に走る傷痕が、苦い記憶を伴って痛々しい。
ですが、同時にそれは彼が忠臣である証でもあるのです。
そんなアルトを筆頭に、玄関先には十名程の騎士が横一列に並んでいます。
「我らが必ずメディア殿下をお守り致します」
アルトが右拳を胸に打ち付ける敬礼をすれば、彼の背後に立つ他の騎士も倣って敬礼しました。その一糸乱れぬ動きは本当に見事です。彼らの有能さが一目で分かるというもの。
「ありがとう」
この小集団がロオカ王国へ赴く全てです。
これから東方の盟主たる大国カザリアの王女が輿入れする。それにしては、あまりにも寂しく小さな集団ですね。これがミルエラなら、百倍近い規模が用意されたのではないでしょうか。
見送りも私の屋敷にいる家人のみ。恐らく、民草は私の婚姻など知りもしないでしょう。他国へ王女を嫁がせるなら国を上げて見送るものですが、お父様は告示していないようなのです。
あまり
振り返ると大きくも壮麗でもありませんが、自己主張が少ないながら品の良い白亜の宮殿が目に入りました。
ここが私の長年過ごしてきた思い出のある月花宮です。その前で並び私を見送る面々が、宮で働いてくれていた者達。これまで宮を維持するのに良く尽力してくれました。
「メディア殿下……」
その中で、栗毛の髪に白毛が混じった初老の侍女が、寂しそうな眼差しを私に向けてきました。今では月花宮を取り仕切る侍女長となったベルナです。
「月花宮のこと……よろしくね」
「主人なき宮は寂しくなります」
早くにお母様を喪くし、お父様から疎まれた私をずっと支えてくれた女性。そんなベルナの目尻の皺もだいぶん増えました。この年輪の数が、私との付き合いの長さを物語っています。
そんなベルナは私にとって有能な侍女であり、気心の知れた友人であり、そして厳しくも温かく育ててくれた母なのです。
できれば、これからもずっと傍にいて欲しいと願わずにはいられません。ですが、彼女ももういい歳なのです。
ベルナもロオカにも一緒に行くと申し出てくれました。それはとても嬉しかったけれど、彼女に祖国の地を二度と見られない寂しい思いはさせたくありません。
「すぐに新しい主人ができるわ……月花宮にも、あなたにもね」
「そうかもしれません」
時は誰に対しても平等で、無情に過ぎ去っていく。
それは思い出さえも飲み込んで流し去ってしまう。
きっと、新しい主人ができればベルナの中の私も薄れて消えることでしょう。
私の胸に一握の寂しさがこびりついて離れない。そんな私の胸中を知ってか、ベルナはいつもと同じ微笑みを浮かべた。
「ですが、新たな主人がどなたであれ、私どもがあなた様を懐かしむ気持ちは色褪せないでしょう」
「ベルナ……」
ベルナの琥珀色の瞳が涙で光る。見れば並び立つ侍女や侍従達の私へ向ける目が湿りを帯びていました。
この者達も私と共にロオカへ行くと申し出てくれました。ですが、全員を連れては行けませんし、この国の縁者と二度と会えなくなる可能性も高いのです。
異邦の地で望郷を胸に果てるのはあまりに忍びない。だから、ロオカへは身寄りの無い者を優先して、彼らは国元に残すことにしたのです。
「これは私、メディア個人としての謝意です」
両手を前に揃え私は頭を下げた。
「今まで世話になりました」
「で、殿下!?」
ベルナだけではなく、皆がざわりと騒がしくなる。
当然ですね。
本来なら王族が頭を下げるなど、褒められた行為ではありません。だからこそ、私個人として彼らの忠誠に報いなければならないのです。
「私は不甲斐ない主人ですね」
逆に言えば、私には頭を下げる他に報いる手段が無いのです。下賜できる財も少なく地位を与える権限も持たない。
「いいえ、私どもにとってメディア殿下にお仕えできたのは喜びであり誇りです」
ベルナの言葉に追随するように他の者も頷いています。
このように良き者達に仕えてもらえて私は幸せでした。
「……ありがとう」
きっと、これが彼らとの永遠の
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