6. 廃棄王女、宰相より花を贈られる
「メディア殿下」
別れを惜しんでいた私達の間に、割って入る声がありました。聞き覚えのある声に振り向けば、立っていたのは白髪の小柄な老爺。
「出発に間に合って良かった」
「これはエドガー卿」
大国の宰相でありながら、
「ご挨拶もせずに出立せねばならないのは、心苦しく思っておりました」
「なんの、本来なら私どもが殿下の壮行の儀をご用意しなければならなかったのです」
いつもは微笑みを絶やさぬ方なのですが……
「どうにも陛下はメディア殿下とミルエラ殿下の事が絡むとおかしくなられる」
普段はあれ程ご聡明なのに、と漏らしながらエドガー卿は珍しく苦り切った顔をされました。そのご様子から、再三お父様へ諫言を呈し、全てが徒労に終わったのだと察せられます。
私の前では醜態を晒すお父様ですが、朝議では立派な君主なのだそうです。何故か私とミルエラの事柄となると感情が勝ってしまうようですが。
それゆえにお父様の前では私の話題は御法度なのだそうです。
「あなた様を手放すのが、カザリアにとってどれ程の損失か……」
「宰相閣下がご健在ならお父様も道を誤らないでしょう」
あれでもお父様は、私とミルエラが絡まなければ臣下の諫言をきちんと取り入れる明君です。賢臣であるエドガー卿がお側に居れば、お父様の治世は安泰でしょう。
「ソレーユ陛下の御世は問題ないでしょう。ですが、カザリアの未来には影が既に落ちております」
「お兄様はそこまで暗愚ではありませんよ?」
お兄様――王太子モーリスは決して愚鈍な方ではありません。まあ、少々為政者としては優しすぎるきらいはありますが。それゆえ、家臣の中には危ぶむ声があるのも事実です。
ですが、だからこそ兄妹の中で浮いている私とも仲良くしてくださいます。また、私が政治の話題をしても、真摯に耳を傾けてくださる度量もお持ちです。
「モーリス殿下ではなく、ご子息のホルス殿下の方にございます」
「ホルスが?」
お兄様の子であるホルスはまだ五歳の元気で可愛らしい男の子です。
「ミルエラ殿下の影響を受けていらっしゃいますので……」
「あの子は愛らしい甥っ子を猫可愛がりしていたものね」
ミルエラは美しい容姿のホルスを溺愛し、大そう甘やかしているとは私の耳にも届いております。
「私はホルス殿下を見限っております」
「あの子はまだ五歳ですよ?」
その判断は早計でしょう。いくらなんでもホルスが可哀想すぎます。
「あの子が大人になるまで判断を保留にできませんか?」
「ミルエラ殿下の五歳の時を覚えておいでですか?」
私は七つでしたので、薄っすらとしか記憶にはありません。
「陛下に溺愛されたミルエラ殿下は既に矯正不能な状態でした」
「あの子も誰か途中で道を
「それを
エドガー卿の言わんとするところは私にも分かります。
「三つ子の魂は百まで続くものでございます」
「実際に三歳で性質が決まってしまうわけではありません」
「ええ、そうです」
しかし、三歳まで過ごした周りの環境が変わらない限り、矯正の機会はありません。
「モーリス殿下は優しすぎてミルエラ殿下に強く言えません。恐らくこのままではホルス殿下はまともに教育を受けてはくれなくなるでしょう」
恐らくエドガー卿の予測は正しいのでしょう。私も彼の言葉を否定するだけの根拠を示せません。
「私としましては、ミルエラ殿下には是非ロオカへ嫁いでもらいたかったものです」
好々爺然としたエドガー卿にしては毒を含んだ発言です。
「ロオカの王太子は無類の女好きだとか。容姿だけは非凡なミルエラ殿下とは相性が良かったでしょうに。加えてカザリアの病巣も取り除けてまさに一石二鳥」
「それではまるで、我が国の厄介事をロオカに押し付けているみたいですよ」
私は苦笑いしました。
ミルエラをロオカにと私もお父様に具申しましたが、当然あれは当てつけであって本気ではありません。
「いいではありませんか。どうせ帝国との戦争で時勢が読めないロオカは、その命脈も長くはありますまい」
「ロオカにはロオカの事情があるのでしょう」
エドガー卿の意見には内心で賛同いたしますが、私はあえてロオカを擁護しました。
「はっ、事情ですか」
珍しく感情を露わにエドガー卿が鼻で笑いました。
「各国から間諜が入り込み、もはや自分達の尻に火がついているというのに……彼らの関心は狩りと夜会、そして社交界のゴシップだけ」
いつにない明け透けなエドガー卿の物言いに、私は暗澹たる気分になりました。ロオカはこれから私が嫁ぐ先なのです。
「次代と次々代の国王がまともなら、カザリアはあと百年は安泰でしたでしょう」
これほどエドガー卿が毒を吐くのは、よっぽどお父様のなさりようが腹に据えかねたからでしょう。そして、私相手とは言え、このような悪態を公言なさるのは、聞かれても構わない意思の表れ。
「まさかエドガー卿は、お父様に直接そのような諫言を呈されたのですか?」
「陛下は私の忠言などもはや必要とはされていないようです」
それが答えでした。つまり、エドガー卿は引退を考えておられるのです。
「メディア殿下はカザリアに必要なお方です」
「ふふふ、それは買い被りです」
国を支えてきた名宰相の進退に比べれば、私の去就など大したことではないでしょうに。周りを見れば月花宮で私を支えてくれた臣下とエドガー卿のみ。
「この寂しい別離の様相を見てください」
「いえ、誰も理解していないのです」
際どい内容に少し茶化してみましたが、エドガー卿は譲るつもりは無さそうです。
「殿下がカザリアを去るのは、この国の未来が閉ざされるのと同義なのに」
「私ごときの去就でカザリアは揺るぎはしませんよ」
「確かに我が国は東方諸国において強大です。ですが、どれほど栄華を極めた大国でも、永遠に存続できはしません」
エドガー卿の言は普遍の真実。どんな頑強な人間でも永遠に生きられないように、どんなに大きな国でも滅びは必ずやってくるのです。
「カザリアはまだまだ盛況です」
「滅びは突然訪れる場合もあるのです」
靴底が摩耗し擦り減っていくように、徐々に衰退し消えていく。国の盛衰とはそんな分かりやすいものではありません。
「帝国の脅威はきっと退けられます。それでもカザリアは衰退するとお考えで?」
「恐いのは外患よりも内患でございますから」
エドガー卿が暗示する内患とはミルエラであり彼女に育てられたホルス、そして彼らの周囲に集まる阿諛追従の臣下たち。
私とエドガー伯爵の間に重い空気が漂いました。
「殿下の門出に愚痴など口にして申し訳ございません」
「構いません」
自嘲が漏れる。
「どうせ私はカザリアにもロオカにも望まれぬ花嫁でしょうから」
大国であるカザリアから強制されたような婚姻なのですから、ロオカ側もあまり歓迎はしていないかもしれません。
「花嫁と言えば、ロオカは花の産地で有名ですね」
「ええ、そうですね」
確かにロオカは色とりどりの花で彩られた美しい国です。ですが、時間の無い中でエドガー卿ほどの御仁が意味もない話を突然振ってくるとは思われません。
「メディア殿下の
「それは素敵なご提案ですね」
「ご覧になるのならアセビは絶対に外せません」
「アセビ……ですか」
「他にもダリアや月桂樹の花、それからカルミアも殿下のご期待を裏切らないでしょう」
「なるほど」
裏切らないのですね。
「決してお忘れなきよう」
「ええ、心に留め置いておきましょう」
「そう願います」
意味深なエドガー卿の言葉を私は胸に深く刻み込みました。
「きっと、どれも殿下と関わる花でしょうから」
これがエドガー卿から贈られる私への最後の献花なのですから。
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