第4話「痛みこそが『真実』を証明する」


 全身に冷や水を浴びせられたように固まる樫村は、部屋中に響き渡る怒気と殺意のこもった「Bourreauブロー:死刑執行人」コールに身を縮ませた。

 言葉の意味は分からない。けれど、周囲の異様な雰囲気から樫村にとっていい意味ではなさそうだ。

 時々、「La peine de mortラ ペーヌ デ モート:死刑」だとか、「Tortureトルチュール:拷問」や「Meurtreエムルトゥル:殺せ」といった言葉が飛び交う中、再び台上に立つ少年が片手を挙げた。

「静粛に」

 少年のひと言でピタリと罵声が止む。

「皆様のお気持ちはよく分かります。ですが、これはあくまでも『裁判』。公平なジャッジで判決を下さなくてはなりません」

 彼の意見を肯定するように、一斉に大きな拍手が沸き起こる。

「ありがとうございます。大多数の方の賛成を頂きましたので、罪人である樫村さんにも発言の機会を与えるということでよろしいですね?」

 今度は拍手の代わりに騒めきが起きる。

「そんな男は殺せっ」

「女の敵よ。さっさと死刑にして」

「生きていることを後悔するぐらい痛めつけろっ」

 憎しみの籠った怒声や、ヒステリックな声には明らかな殺気がこめられていた。

 ここにいる人達は、これから始まる『裁判』の傍聴者であることを樫村は理解した。

『昨夜の女は犯人をおびき出す囮だったのか……くっそ。ツイてないのはオレの方だ』

 嫌な予感と悔しさに奥歯を噛みしめると少年の声が響く。

「皆さん、お静かに。ここは――――ゴウモンサイバンですよ」

やけに低くザラつくような声で、不可解な言葉を言い放った。

『ゴウモンサイバン?』

 樫村は聞き慣れない不気味な響きの意味を理解し、目を血走らせて吠えた。

「お、お前ら! こんなことをして、いいと思ってるのかっ⁉ オレが犯罪者だっつー証拠があるんなら、さっさと出しやがれっ!」

「静粛に」

「アガァッ」

 カッとなって喚き散らしていた樫村の口に、尖端が尖っている革靴を履いた少年の爪先が喉元まで突っ込まれた。あまりの苦しさに樫村の顔が真っ赤に染まる。

「さぁ、皆さん。まずはモニターをご覧ください」

 足元でヒューヒューと苦しそうな息を吐き、目には涙を浮かべている樫村のことなど気にする事なく、少年は『裁判』を進行する。

 四つのモニターに電源が入る。あちこちで息を呑む音や、小さな悲鳴、すすり泣く声があがり始めた。

 緩やかな動作で少年が口の中から足をどけると、樫村は咽返った。

 苦しそうに咳き込む樫村の頭の位置へ移動し、しゃがみ込む。そして、樫村の髪の毛を鷲掴みにすると、ハッキリとした口調で言い放った。

「既に裁判は始まっている。今から虚偽を述べることは許されない。もしも、嘘が発覚した場合は罰が与えられる」

「ゲホッ……は、はぁ? な、なにを……コホッ……」

 樫村は裁判の方法を訊こうとしたが、咳が止まらず言葉が続かない。

 拭う事もできず、鼻水と涙まみれになった汚い樫村の顔を、少年は強制的に一つのモニターへと向けさせた。

 画面に映っているのは、どこかの公衆トイレだ。

 タイルは所々剥げ、壁やドアのあちこちには落書きがある。清掃が行き届いておらず、普段からあまり人が利用していないことが伺えた。

 そんな薄汚いトイレの一室で、下半身丸出しの女性が洋式便器に顔を突っ込んだまま息絶えている画像が映し出されている。

「死因は溺死。全身のいたるところに殴打痕有り。彼女に見覚えは?」

 画面では、まだあどけなさの残る可愛らしい女性の顔写真へと切り替わった。

 咳がようやく収まった樫村は、モニターを凝視した。

 樫村は、気絶させられてからこれまでの間に起きた出来事を、頭の中で素早くまとめる。そして、一つの答えを導きだすと、静かに目を伏せ、首を横に振った。

「まったく知らない女だね」

「本当に?」

 かすかな表情の変化さえも見逃すまいと、少年は平然を装っている樫村の顔を覗き込む。

 樫村は少年の目を真っ直ぐに見つめ返す。

「あぁ。知らない女だ」

 ハッキリと告げた直後、少年はジャケットの中からハンマーを取り出した。それを樫村の左手に向けて、無表情のまま思いっ切り打ち下ろした。

「アギャァァァッ」

 ゴンッという鈍い音に、肉と骨が砕ける嫌な響きが混じる。それと同時に、劈くような悲鳴が響き渡った。

 樫村の左手の指は、すべてハンマーによって潰された。その痛みはかなり激しいのだろう。首やこめかみに血管を浮き上がらせ、樫村は狂ったように叫び続けている。

 そんな痛みに苦しむ樫村の姿を、愉快そうに声をたてて笑う者。

 無様だと揶揄する者。

 こんなものでは足りないと処刑人である少年を罵倒する者。

 会場内にいる人々の反応はそれぞれ違うが、目を逸らす者は誰一人いない。

皆、興奮状態だ。

「あがぁ……お、おめぇ、ざけんな……よ……ほ、本当に知らない女だ……」

 脈打つ痛みに耐えながら、樫村は少年を睨みつけた。

 彼の言っていることは嘘ではない。

「見覚えがあるか」と聞かれ、「正直に話せば有罪判決が下され、嘘をつけば罰を受ける。ならば、嘘をつかずに、尚且つ、自分が犯人だという証言にならない言葉を選べばいい」と樫村は考えた。

 彼女と彼とは被害者と加害者という立場ではあるものの、それ以外は何の面識もない赤の他人だ。

「見たことがない」と言えば嘘になるが、「知らない女」と言えば、決して嘘にはならない。

「ハアハァ……う、嘘をついてねぇのに……罰をあ……たえる……のはおかしいんじゃねぇ……か」

 これではルールもへったくれもないと、抗議するような視線を少年に投げつけた。

 その視線を受けた少年は、無表情なまま首を傾げた。

「これは、『拷問裁判』。痛みは人を素直にする。痛みに耐えて耐えて……尚も貴方が罪を犯していないと言うのであれば、それが『真実』なんです」

 真顔で語る内容は、「あ、そうなんだ」と納得出来るようなものではない。

 要するに、真偽など関係なく、少年──もしくは、この『拷問裁判』の主催者が望む答えでなければ苦痛が与えられ、その苦痛に耐えうることができれば、樫村のいうことは『真実』となる。けれど、それで解放されるわけではない。このあとも裁判は続き、同じようなことが繰り返されるのだ。

 かといって、樫村が彼らの望む答えを告げれば、『有罪』判決となりThe・End。

 どちらにしても地獄が待っている。

「は、嵌めやがって……」

「嵌めてはいませんよ? 痛みに打ち勝ち、貴方が「罪人ではない」という「真実」を勝ち取れば自由になれるのですから……さぁ、次です」

 痛みに顔を歪める樫村の頭を掴み、また違うモニターを見せる。

 今度は飲食店の裏側に面した狭い路地だ。

 薄暗く、あちこちにゴミやタバコの吸い殻が散乱している。今にも饐えた臭いが漂ってきそうな場所に置かれているダストボックスの上に、四肢をダラリと垂らした状態で座っている女性の姿がアップにされた。

 女性は首を横一文字に切り裂かれている。大漁の血液が流れ、元々の色が分からないほど赤黒く染め上がった服は、かなり乱れている。

 生気のない目が恨めしそうにレンズを睨んでいるように見えた。

「死因は刃物で頸部を切られたことによる失血死。貴方はこれを見てどう感じましたか?」

「何を言ったって、痛めつけるんだろっ! 人を縛り付けて泣き叫ぶ姿が見たいだけの変人どもがっ!」

 痛みと苛立ちから、冷静に答える気もなく、カッとなって暴言を吐きつけた彼の右手に、ハンマーが躊躇なく振り落とされる。

「ふぎゃあぁぁぁっ――」

 少年の全体重をのせたハンマーは樫村の右手を勢いよく潰し、血や肉片が弾け飛んだ。

 目の奥で火花が飛び散るような感覚に襲われ、樫村は咆哮を上げた。

 鉄の匂いが濃くなる。

 血肉を目にしたaudience達は益々興奮を高めていく。

 激痛に打ち震える中、あちこちから処刑人への賛辞が投げつけられる。

 大歓声の中、樫村が掠れた声をだす。

「く……るってやがる」

「法廷での侮辱は罪ですよ」

 少年は眉一つ動かすことなく、脂汗を滲ませる樫村の顎を持つ。そのまま顎を仰け反らせるように持ち上げ、樫村に斜め後ろのモニターを見るように促した。

 わずかな振動にも、脳天を突き抜けるような衝撃を感じる樫村は、痛みで顔を歪めた。

「もう勘弁してくれぇ……」

 泣き言を口にする樫村を、少年は何の色も宿さない目で一瞥した。

「彼女は匍匐前進で逃げようとしているところを、鋭いナイフでメッタ刺しにされて亡くなりました。貴方は「やめて」「助けて」と懇願されたら、自分の欲求を満たす行為を止めることはできますか?」

 少年の問いに、心も体も痛みに支配された樫村は、呻き声しかあげることができない。

 答えるのを待っているうちに、誰が始めたのか、観客からカウントダウンが始まる。

「5、4、3、2、イーチ……」

 ゼロのコールが場内に響き渡る。

「時間切れですね」

 少年が樫村の顎から手を離し、ハンマーを振り上げる。次の瞬間、樫村の左足に振り落とされた。

 脛に与えられた打撃は、樫村を磔状態にしている台を大きく振動させた。骨が折れる音と同時に、樫村は背中から尻まで浮かせるほど体を飛び上がらせた。目玉が飛び出るくらい見開き、絶叫する。

 ある者は指をさして笑い、ある者はいい気味だと嘲る。

 誰も彼に同情する者はいない。

 骨が突き出した樫村の脛を見て、少年が満足そうに目を細める。

「そうですよね。貴方は、相手が「嫌だ」「やめて」「許して」と言っても、自分の「殺したい」「ヤリたい」という欲望を理性で止めることが出来ません。それと同じですよ――――」

 そこで一旦区切り、樫村の顔の前でしゃがむ。

「『勘弁してくれ』と言われても、止められないんです」

 少年は裂けた口から真っ赤な舌をだし、とめどもなく流れる樫村の涙をペロリと舐める。

「それに貴方は、彼女達の肉体だけでなく、心も殺しましたよね?」

 少年は、モニターに映る惨たらしい姿の女性に視線を向ける。

 荒々しく引き裂かれた衣服は、彼女の身に何が起きたのかを物語っていた。

「オレは……ヤッてねぇ……お、オレは生きている女なんかに勃ちすらしねえっ!」

 明らかに強姦された死体の映像を見ても樫村は否定する。少年が残った足にハンマーを振り下ろそうとした。途端、樫村は金切声を上げた。

「本当だっ! 信じてくれっ! オレは生きた女は無理なんだ。だから、神に誓って言う。レイプだけはしてない」

 樫村が泣きじゃくりながら訴ええうと、少年がハンマーを持つ手をゆっくりと降ろした。

「今、『生きた女は無理』と言いましたが、それは何故ですか?」

 樫村は、正直に話すべきかどうか迷った。だが、僅かな希望が頭を過り、自分の過去を話すことに決めた。


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