第2話 狙った獲物は逃さない


 新宿区周辺で頻発している婦女暴行殺傷事件は、とうとう十件に達したことを警視庁は発表した。

 内二名が未だ昏睡状態で、残る八名は死亡。

 あっという間に全国ネットのニュースで報道された残虐な事件は、都民だけでなく、日本中の女性を震撼させることとなった。

 被害者たちの殺害方法は絞殺、刺殺、溺死と様々で、規則性が全くない。

 検死によって割り出された死亡推定時刻から、犯行は深夜だけに集中しているわけではないこともわかっている。

 昼夜問わずの神出鬼没だというのに目撃情報が入ってこない。

 しかも、遺体の殆どが屍姦されていたにも関わらず、未だに犯人逮捕に繋がるモノは一切見つかっていない。

 また、被害者の外見や性格どころか、住んでいる場所ですらほぼ全員が異なっていた。

 若い女性ということだけしか共通点が無いことから、怨恨によるものの筋も消えた。

 警察は猟奇的な快楽殺人である可能性が高い判断。区内のパトロール強化と、夜間、人通りの少ない場所には警備員や署員を配置するなど、厳戒態勢が敷かれた。


 日本人は危機に関する関心がかなり低い。

 災害や大きな事故が起きても、当事者でなければ単なる傍観者に過ぎず、毎日、どこかで起きている事件のニュースを見ても、どこか他人事でしかない。

 その証拠に、連日連夜、事件が起きているにも関わらず、新宿には昼も夜も関係なく人が溢れかえっている。

 男は人混みをすり抜け、小田急百貨店と小田急ハルクをつなぐデッキの上から人やクルマの往来を見下ろした。

 どの人も、すれ違う相手のことなど興味を持たない。

 他人に無関心な人間が集うこの場所は絶好の『狩り場』だ。

 人混みに紛れてしまえば、あっという間にどこに行ったのか分からなくなってしまう特徴のない見た目が一番の武器となる。

「みーっけ」

 流れていく景色の中に、本日の獲物を発見した。

 男女混合の五人グループが、居酒屋から出てきた。

 その中の一人の女性に目をつける。

 手を顔の前で何度も振り、他の四人に何度も頭を下げている。

 二次会のお誘いを断っている様子だ。

 派手なメンバーの中で彼女の素朴な雰囲気は浮いている。

 慣れない飲み会で疲れたような表情を見せる彼女は、これから一人になると確信した。

 男はペロリと舌なめずりをし、寄りかかっていた手摺りから体を起こした。

「狩りにいきますか」

 立ち話を続けている彼女の服装をしっかり目に焼き付け、周囲の歩幅に合わせて彼女のもとへと歩き出す。

 彼女があの場を離れる前に自分の視野の中に納めたい。

 焦る気持ちを抑え、前を歩く男に続いて階段を降りると、先程まで彼女と立ち話をしていた男女のグループが真横を通り過ぎていった。

「遅かったか?」

 小さく舌打ちをし、前後左右を軽く見渡す。十数メートル先に人混みの中に獲物の後ろ姿が見え隠れしていた。

「運はオレに味方したな」

 男はほくそ笑むと、人と人との隙間をすり抜け、彼女の背中を追った。

 真っ直ぐ駅へと向かうと思いきや、彼女は何故か駅から離れ飲み屋街へと進んでいく。

 新宿という街は不思議なもので、ネオンがギラつく通りや、高架下にある思い出横丁のような飲み屋街のすぐ裏手には、怪しく薄暗い裏通りがいくつもある。

 もう少し真っ直ぐいったところにも、人の往来もまばらで閑散とした路地がある。

 そこは、警察が配置されていない『穴場』の一つだ。

「今日のオレはツイている」

 頭の中でこれからのことを軽くシミュレーションすると、男は足早に彼女へと近付いた。

「ねぇ。夜の街を女の子一人で歩くなんて危ないよ?」

 男は彼女の一歩斜め前に出て、顔を覗き込むようにして声をかけた。すると、俯き加減だった彼女がトロンとした目を男に向けた。

 正常な判断能力が欠けている彼女の顔を見て、男は思わず緩みそうになる口元をキュッと引き締めた。

「あれ? だいぶ酔ってる?」

 眉を下げ、極力優しく心配するように尋ねると、彼女はホワンとした雰囲気で小首を傾げた。

「あなた、られぇ?」

 可愛らしい顔には似合わないハスキーボイスだ。呂律は回っていない。

 吐き出す息はアルコールの匂いがプンプンする。

 慣れない酒の席で、周りに流されるがままに呑まされたようだ。

「酔った女の子一人をこのまま帰すのも心配だし。酔いを醒ましてから帰った方がいいよ」

 安心させるように微笑むと、男は彼女の肩をサッと抱いて歩きだす。

「ほえ? え? なんでぇ?」

 頭が回らず、間抜けな声を出す彼女を宥めながら、人影の少ない方へと移動していく。

「こっちだよ」

 耳元で囁くようにして、お目当ての路地へと誘導する。

《さぁ。ようこそ――――快楽と絶望の世界へ》

 男が心の奥底で黒い笑みを浮かべた時であった。

「あっ」

 自分の腕に抱かれていた女が、急に小さな声を上げて立ち止まった。

「どうかした?」

 振り返る直前、首筋にチクリとした痛みが走った。

 一瞬、何をされたのか分からず、痛みを感じた部分に手を当て、彼女を見る。

 すると、彼女は片手に注射器を持ったまま無表情で立っていた。

 グラリと男の視界が歪みだす。

 全身の力が抜け、地面へと崩れ落ちる。

 意識が途切れる直前に男が目にしたものは、耳まで裂けた真っ赤な口であった。


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