第37話
予想通り、稲葉は幻覚剤の多量摂取による急性薬物中毒の診断が下され、即入院となった。そのタイミングで金谷が現れ、私の目の前で簡易の事情聴取が行われた。私は弁護士の代わりのようなもので、金谷たち警察官が不当な対応をしないか見張る役割をしながら聴いていた。
稲葉はクスリについて極秘の精神安定剤と聞いていたと真面目に答えた。青島桜に教えてもらったアドレスにメールを送信して連絡すると販売会社に繋がり、指示通り現金を私書箱に送ると10錠くらいの小さなタブレットが送られてきたと言う。そんな形で手に入る薬がまともである訳がないのに、稲葉は桜の紹介だからと信じてしまった。
そして、1錠飲んで、成績低下や対人関係の煩わしいことが忘れられるような楽しい気分になれた。効果が切れたら、また飲んだ。
しかし、すぐに薬がなくなってしまい、代わりに、薬を飲む前以上の不安や不調を覚えることになってしまった。もう1度薬を頼もうにも販売会社には連絡は繋がらないし、私書箱のある郵便局に連絡してみても、情報は手に入らなかった。クスリが欲しくて、どうしていいか分からなくなって、とにかく桜を探そうと高校に行ってから予備校にたどり着いたが、そこから先の記憶はなく、気が付くとこうして病院にいることになっていた。
稲葉はそんな話を一生懸命に話して、それから眠ってしまった。
「青島桜に会ってくる」
そう言って金谷は病院を出て行こうと立ち上がった。
「場合によっては青島弥生の話も聞きたい」
「分かった」
______
ヤヨとナツと、チェーン店のファミレスで待ち合わせて合流した。
二人の気晴らしになるかと思ったし、夕飯の準備をするのが億劫だったてのもある。
食事をしながら、ヤヨが桜にされていたことを聞かされた。
そんな酷い話はにわかには信じられない。
それこそヤヨが桜を陥れようとしている可能性だってあるとは思う。でも、今それを口にはできず、とりあえずドリンクバーで淹れてきた紅茶に口を付けた。
「ユカさんには信じてもらえないですよね」
ヤヨの口調には、どうせ誰も信じてくれないという含みを感じた。そう言いながら、ヤヨは腕の傷痕を見せてくれた。
「この傷が桜に付けられたって証拠はない、か」
ナツも困ったな、という顔をしたが、私は傷をじっと見て違和感を持った。
ふと引っ掛かるものがあった。
「ヤヨちゃん、桜さんも右利きよね」
「え? そうだけど」
まず、傷の方向。左腕の内側の傷。ヤヨは、左手の手のひらを上に向け、肘裏の下に並んだ傷痕を見せてくれた。パッと見には、ヤヨが右手に刃物を持って切ったように見える。
ただし、ヤヨの傷は腕の骨方向に対して完全に垂直な横線ではなく、少しだけ左手の親指側に傾いている。そして、傷の線は左の小指側の方がわずかに深い。つまり、左手の小指側に刃を当てて、左手の親指側の方向に切った傷だ。右手に刃物を持って自分の左手を切ったらこの傷と逆になる。だから、自分の右手で左腕を切った傷というより、向かい合った相手の左腕を左手で持って、右手の刃物で切った傷といった方が可能性が高い。
「もちろん自分でやったという可能性が消えるワケじゃないんだけど」
私が話している間、ナツがヤヨの腕を持って、割り箸を当てて傷の方向を確かめていた。
「なるほど、ユカちゃんすごい」
「あと、ヤヨちゃん。もしかしたら、警察があなたに話を聞きに来るかもしれないの。クスリのことなんだけど」
ビクッとヤヨは震えた。
「今日、稲葉さんが急性薬物中毒症で入院したの。それで警察も来た」
ヤヨだけでなく、ナツも驚いた顔で私を見た。
「あなたたち姉妹が、幻覚剤の売買に何らかの形で関わってる、って警察は見てる」
「……やっぱりバレたんですね」
ヤヨは真っ青な顔でこぼした。テーブルの上で握り合わされた手がぶるぶる震えている。
「もういいや、ヤヨ。警察に捕まってもいい。どうせ今までだって桜に支配されてきたんだもん」
強がるように、ヤケクソのようにヤヨは言葉を吐き出した。
「ヤヨ、あんたクスリって……」
ナツがヤヨの顔を覗き込んだ。
「ヤヨはクスリ売ってないよ! 桜に飲ませられたことはあるけど」
「ヤヨちゃん、あなた、どこまで知ってるか話せる?」
「ヤヨが知ってるのは、桜がたくさんクスリを手に入れたとこまで、です」
_____
ヤヨは、桜と二人でカズキを殺し掛けたことを、私とナツに告白した。
つかえつかえで、
たどたどしく。
時に泣きながら。
「……カズキが死んだと思った。すごい、血ぃ出てて、うめき声がどんどん小さく、なって」
ヤヨは顔をぐしゃぐしゃに歪めた。
私は私で、カズキを階段から突き落として、カズキの持っていたクスリや現金を奪ったという話が事実であるとは思いたくなかった。それが事実なら、「強盗致傷」事件だ。成人なら一発で何年も刑務所に入れられるくらいの重罪だ。
しかも、奪ったものが違法薬物と知って売ったとなると。
ヤヨも桜も庇いきれない。
背中がひやりとした。
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