第35話

「金谷!今大丈夫?」


 救急病院の出入口で私は金谷に電話を掛けた。

『なんだなんだどうした?』

「予備校の生徒で、青島弥生の関係者、急性薬物中毒と思われる子が出た。今、私が救急車で病院まで来たところ」

『どこの病院!?』

 金谷の声色が変わった。病院名を告げると、スマホの向こうで金谷がバタバタしている音がする。

「稲葉夏菜子、青島弥生の双子の妹、青嶋桜の同級生の稲葉夏菜子っていう子」

 手早く名前を金谷に伝えた。

『青島、桜? おっけ、詳しいことは病院で聞く。今から運転するから一回切るわ」


 稲葉が違法薬として分かっていてクスリを使用していたのであれば、それは違法行為、非行としてケジメをつけなくてはならない。でも、知らないで使っていたのだったら、体にいい薬だなどと騙されて使っていたのであれば、使わせた方の罪となるだろう。

 使わせたのは、青島桜か青島弥生か、両方か、さらに別の人物が関わっているのか。

 全く知らない新たな人物か。



 船が大きく揺れるように、何かが動き出した感じがした。


 ナツ、あんたはヤヨと何を話してる?

 



 __________



 

 あの島田って先生、ムカつく。

 カウンセラーだかなんだか知らないけど、人の顔を見透かすような態度も、稲葉から私を引き離したことも。


 おそらく、稲葉がヤク中だってバレる。

 稲葉のヤツ、まさか、あんなに一気にクスリにハマるなんて思わなかった。しかも、あんなにヨレて外に出てくるなんて、私の名前を呼びながら予備校に来るなんて、やめてよ!

 

 もうゲームはやめだ。

 残ったクスリを捨てなきゃ。


 もちろん、稲葉は私がクスリを売ってるなんて知らない。でも稲葉は私が売人を紹介したと思ってるだろう。もし、それが警察にでもバレたら。でも、そんな証拠は残ってないから、しらを切ればいい。

 私は売人なんて知らない、クスリなんて知らない。

 知らないんだ!


 なんで、こんな時にヤヨがいないんだろ。

 ヤヨがいればクスリを押し付けて捨てさせるのに。

 ヤヨがいれば。


 早く帰って、ヤヨの机の引き出しに隠してあるクスリを処分しないと。



 

 __________


 


 ナツに代わって食器洗いをヤヨが引き受けてくれた。

 施設で鍛えられたナツと違って、食器洗いに慣れていないのか、ヤヨはゆっくり丁寧に食器を洗っている。

 ヤヨはロンTの袖を肘上までまくっており、その左腕の肘の裏辺りに複数の傷跡が薄い縞模様のようになっているのが見えていた。こんな傷があることもナツは知らなかった。人目に付きにくい場所にしか傷はなく、ヤヨは夏でも長袖の服を着ていたからナツが気付かなくて仕方ないことでもあった。

「あ、ごめん、気持ち悪い?」

 ナツの視線に気が付いたヤヨが謝ると、ナツは首を振った。ナツ自身はリストカットはしていないが、施設では、周りにいた生徒たちの多くがリストカット経験者で、そういう傷を見慣れていたし、そうしたくなる時の気持ち、そうした後の気持ちも聞かされている。だから、その傷は気持ちの悪いものなどではないとナツは知っていた。


「ナッちゃん、リストカットだと思うよね。……これね、違うんだよ」


 そこまで言ってヤヨは水道を止めて、食器を水切りカゴに並べた。ナツはそれを取り上げて布巾で水分を拭き取りながら、「違うの?」と尋ねた。


 何秒か、ヤヨは黙って、そして、はあっと息を吐いた。


「あのね、……さ、……桜に、やられたんだ」


 ナツが驚いて手に持っていたマグカップをシンクに落とした。厚手のマグカップだったので割れることはなく、ゴロンと1回転してシンクの中で止まった。

 ヤヨは、ナツを見て、泣きそうな顔をしながら、それでも口を笑顔の形にした。


「ヤヨは、桜に逆らえないの。カッターで手を切られたら、痛いし、怖いの」

「逆らったら、もっと切られちゃう」

「それでね、ヤヨが痛いって泣いてる隙に、桜が先にお母さんに『ヤヨがリストカットしてる』って言いつけるの」

「だから、お母さんは、ヤヨのことはメンヘラで、桜はヤヨを支えてる妹だって思ってる」

「いつも桜は先回りするの。ヤヨが愚図愚図して考えられないうちに」

「ヤヨは、桜にお母さんに本当のこと言っちゃいけないって言われてるし」

「お母さんは、ヤヨが何にも言わないから、桜の言うこと信じるんだよ」

「ヤヨだって言いたいよ、お母さんに助けてって」

「でも、言ったら、もっと切られちゃうよ」

「痛いの」

「ヤヨだって、痛いんだよ。でも、言えないんだよ」

「ヤヨは、バカだから、何も言っちゃいけないって」


 ヤヨは堰を切ったように怒りを溢れさせ、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたヤヨの頭をナツは自分の胸にかき抱くことしかできなかった。

 

 



 

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