第33話
翌朝、とりあえず、ナツとヤヨに留守番をさせて、私は予備校へ出勤した。家に帰るどころか連絡するのすら怖がるようになったヤヨを一人で放っておくわけにはいかない。
ナツの学校はそれほど厳密に登校しなくても構わないので、ナツもヤヨも1日くらい出席しなくても全く誰も気にしない。良し悪しだが、こういう時は便利だとは思う。
それにしても、悩ましいのはヤヨだ。
深く考えずに家に泊めてしまったのだが、金谷から、ヤヨは違法薬物をめぐる厄介な事件に関わっている可能性があると聞かされてしまった。実際、ナツもヤヨから、いや、おそらくはヤヨと入れ替わっていた双子の妹の桜から、違法薬物のことを仄めかされたと話している。
こういうことに私が首を突っ込みたくない理由は、施設で私が指導者でナツが担当していた生徒だったという関係性が明らかになってしまうことだ。
私は、私情で動いた指導者失格者で、仕事を辞めたとはいえ、元生徒に手を出して交際している。そのことに後悔はない。ただ、それが下手に発覚して、ナツから離れざるを得なくなることが嫌だ。そんなことになったら、ナツが、あの甘えん坊が、また傷ついてしまう。
……いや、そんな形で別れてしまうのは、ナツよりも自分が耐えられないだろう。
今日の業務は授業が2コマと、後は相談なので、相談室でスタンバイして授業の準備をする。
相談の予約をする生徒が少しずつ増えていて、「島田先生」はちょっと人気が出てきたらしい。今日も相談の予約が入っている。
すると、ドアがノックされた。予約の時間よりだいぶ早い。
「どうぞ、空いてますよ」
「失礼します」
きちんと挨拶して入ってきたのは、青島桜だった。
内心、かなり驚いたのだが、それを顔に出さないように、笑顔を作る。
「高校2年の青島さん、ですね。どうかしましたか? そこのソファーに掛けて下さい」
私は、相談用の一人掛けソファーに手のひらを向けて、桜にそこに座るように促した。不自然にならないように桜を見る。綺麗に切り揃えられたショートでストレートの黒髪。黒縁眼鏡。足首丈の白い靴下と黒いローファー。今時珍しいくらいの真面目な雰囲気だ。表情も自然で柔らかい。
ヤヨがあんなに恐れる必要があるようには見えない。
「いいえ、お時間は掛けません」
桜がそう言ってドアの前に立ったので、私はそちらを向いた。
「先生、無理を承知でお願いしたいことがあって来ました」
「はい、無理かどうかは、お話を聞いてから考えますから、とりあえず話してみて下さい」
桜は、意を決したというよう顔を上げた。
「先日まで、この予備校に通っていた人の連絡先を教えていただきたいんです。その方はやめてしまったようですけど、先生とは親しいように見えましたから」
ふんふんと私は頷く。
「あの、金髪の新居さん、です」
ナツ?
「原則として個人情報を教えるわけにはいきません。もし、良かったら事情を教えてくれますか」
「新居さんは、駅裏の単位制高校の生徒ですよね。実は、私の姉も同じ高校に通っているので、制服で分りました」
私が尋ねると、桜は、礼儀正しく、きちんと答えた。
「お恥ずかしいのですが、私の姉が昨日から帰って来なくて、もしかしたら新居さんと一緒にいるかと思って、新居さんの連絡先を知りたいんです」
「なぜ、新居さんと一緒にいると思うんですか?」
「姉と親しいと、姉から聞いたことがあるんです」
違和感。
そんな話ができるような姉妹なら、ヤヨはあんなに怯えたりはしない。ヤヨがおかしいのか、桜が嘘をついているのか。
「では、私が新居さんに聞いてみます」
「ありがとうございます」
桜がぺこりと頭を下げた。
「その結果、お姉さんが新居さんと一緒にいたら、青島さんの親御さんに連絡を入れますから、連絡先を教えてもらえますか?」
桜が一瞬戸惑ったように感じた。
「……いえ、私に連絡して貰えばいいので」
「親御さんの連絡先を教えて下さい」
声音を強く。桜が逆らえないように。
「お恥ずかしい話ですが、姉は、両親とうまくいってなくて、私としか話さないので」
そうきたか。
でも、親はこの姉妹とどういう関係なんだろう、と私は頭の中でメモを取る。
「そうですか。分かりました。とりあえず、新居さんと連絡を取ってみますので、少し、待ってください。では、あなたの携帯電話の番号を教えてもらえますか」
「いえ、今日の授業が終わったら、またここに寄ります」
自分の情報は渡さないが、お前は必要な情報を寄越せ、ということか。図々しいな。
「分かりました。じゃ、また後で」
私は、桜にそう答えると、ドアを開けてやり、退室を促した。
「ありがとうございます、失礼します」
桜が、そう言って部屋を出ようとした時だった。
「ああぁ、いたぁ、桜ぁ」
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