第30話
ナツが拳を振り上げながら、ヤヨに向かって一歩踏み出した。
私はそれに気付いて、そんなナツの動きに体が反応し、ヤヨに殴りかかろうとするナツに飛び掛かるように、後ろから羽交締めにした。
勢い余って、二人でヤヨの前に転んでしまったが、ナツがヤヨを殴らずに済んだという安心の方が大きい。アスファルトに打ち付けた膝が少し痛いが、倒れたままナツを地面に押さえ付けた。
ナツはヤヨを殴りたくてジタバタしているが、本気だったら私一人でナツを止められる筈はないので、ナツもヤヨを殴るのにはためらっていたことが察せられた。
「ナツ!私は怒ってないんだから、キレないの」
「だって!!」
ナツを宥めようとすると、ナツは反論しようとしながらも、ふうーっと息を吐いた。よし、気分を落ち着かせようとしているようだ。
すると、ヤヨが膝をついて、ぺたんと地面に座った。
「……ごめんなさ、い。怒らないで、ナッちゃん」
ヤヨも少し落ち着いて、私に暴言をぶつけるのをやめる気になったらしい。もう大丈夫だと踏んで私はナツの背の上から体をずらした。
「助けて、助けてよ、ナッちゃん」
ヤヨが哀願しながら顔を覆った。
「助けてって言われたって、あたしにできることなんてないよ」
ナツはそう言いながら、ゆっくり立ち上がると、私に手を貸して立ち上がらせてくれて、膝とかについた埃をパンパンと払ってくれた。
「ヤヨ、助けてほしいことあるなら、ちゃんと言いなよ」
それから、ナツは、ヤヨの前にしゃがみ込んだ。
「言ってくれなきゃ、助けられない」
ナツはそう言って、髪をかき上げた。ヤヨは、化粧の剥げかけたひどい顔をナツに見せて、それから、私の方をうかがうようにチラリと見た。私はヤヨに向けて、目を細め、怒ってないよ、と両手を広げて見せた。
「ナツ、その子、連れて家に帰るよ」
「えぇぇえ?」
ナツが私に対して不満の声を上げた。何か気に食わないらしい。
「いいから、連れておいで」
「え?」
びっくりしたようにヤヨが顔を上げて、私を見た。
「……駄目、無理」
ヤヨがつらそうに、弱く声を出す。
「無理じゃない。親がうるさいの?」
ヤヨは、う、という顔をしてから、また首を振る。
「心配なら、私が親御さんに電話してあげるから」
しかし、ヤヨは次第に震え始めた。
この子は、何かに凄く怯えている。
ヤヨのスマホが振動する音がした。
「電話、出ないの?」
ヤヨは震えるばかりだ。
「ナツ、うちに連れていくから立たせて」
「はあい」
ナツは、少し乱暴にヤヨの腕を引っ張って立ち上がらせた。
私は、その隙に通りかかったタクシーを呼び止めて、ヤヨを挟むように後部座席に座り込み、自分のアパートの方に向かうように運転手さんに頼んだ。
やたら明るい夜の街から、少し暗い住宅街に向かって、タクシーは滑るように動き出した。
「お姉さん、その子たち高校生? なんか大変だねえ」
運転手さんが悪気なく言った。金髪とピンクの髪の女子高生を連れたスーツの女が私だ。どう見えるかなんとなく想像は付く。
「本当、大変なのよ」
運転手さんに向かって苦笑いした。私の隣で、ヤヨは震え、ナツは拗ねていた。
____
かつてないほど、私のアパートの空気が重かった。
とは言え、まだ、引っ越して来てからの日は浅いから、かつてない、なんていうほどの時間は経っていないんだが。
私がシャワーを浴びて、上下スウェットに着替えてダイニングに戻ると、玄関を上がってすぐのダイニングの床の上にヤヨは座り込んでいて、テーブルに肘を置いて椅子に座ったナツがヤヨを見下ろしている。二人とも何も語っていないようで、沈黙が垂れ込めていた。
「ヤヨちゃん、ひどい顔だから、顔を洗っておいで。適当にクレンジングとか使っていいから」
そう言うと、ヤヨは両手を頬に当てて、自分の顔の手触りを確かめた。
「ヤヨ、すごいブスになってる」
ナツがいきなりひどいことを言ったので、ヤヨがひっくとしゃくりあげた。
「ナツ、顔を洗わせてあげて」
私は、ナツの頭を私は軽くはたいた。全く言葉のチョイスが悪すぎる。
「はー、洗面所はこっち」
ナツは、盛大にため息を一つつくと、ヤヨを立ち上がらせて洗面所に連れて行った。
その二人の背中を見ながら、ヤヨに声を掛けた。
「ヤヨちゃん、洗面所の隣がお風呂場だから、シャワー浴びて来なさい。で、もう、そのウィッグも取っちゃいなさい」
「ウイッグ!?」
ナツが驚いた顔でヤヨを見た。気付いてなかったんかい、君は。
「ヤヨちゃん、ここでは、素のあなたに戻っていい」
そう言うとヤヨは一旦、足を止めたが、小さく頷いて洗面所のドアを閉めた。
「そういえばヤヨのスッピン見たことない」
そう言いながらナツが洗面所の方から戻ってきた。
「ナツ、あの子のフルネームって青島、弥生?」
ナツはキョトンとした顔をした。
「あれ、あたし、ユカちゃんにヤヨの名前、教えたっけ」
私は首を振った。
私には、あの子の名前がなんとなく分かっていた。
そして、あの子も私の職場を知っていた。
シャワーを浴びて風呂場から戻って来たヤヨは、私が予備校で会っていたある生徒に酷似していた。
ナツも、その顔に見覚えがあったらしく、目を大きく開けた。
やたらナツに絡んでくる稲葉の取り巻きの一人。そして、あのグループで一番成績の良い子。
青島 桜 がそこに立っていた。
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