第29話
「ナッちゃん……!」
思い詰めた顔をしているピンク髪の少女と、少女に名前を呼ばれた瞬間にしかめっつらになったナツ。
彼女とナツを交互にキョロキョロと見ている私は、さぞや間抜け顔だったに違いない。
「ナッちゃん、助けて。お願いだから、ヤヨを助けて」
ああ、これがナツとトラブってた、お友達のヤヨちゃんか。
そう思ったが、私には、二人の間にどんなトラブルがあったのか、よく分かってない。
「ユカちゃん、帰ろう」
ナツは目線をヤヨから私に戻して、帰宅を促そうとする。しかし、私としては、こんな真剣な表情の女の子を見捨てる訳にはいかない。そんな私の戸惑いをナツは感じ取って、チっと舌打ちをした。
「ユカちゃん、その子、あたしにクスリやらせようとした」
ナツは吐き捨てるように私に言い付けた。
ヤヨは嫌々をするように首をふるふると振った。その唇が「違うよ」と動いたが、声にならない。
「薬って何の?」
クスリというのは色々ある。それこそ薬局で買える市販薬から普通には買えないヤバい薬まで。
「MDMA」
ナツが答えた。それは、普通には手に入るようなクスリではない。私はそれを聞いて、ヤヨの顔を覗き込んだ。ヤヨは私から顔を隠すように、体の向きを変えた。
「ヤヨちゃん、あなたは、何から助けてほしいの?」
「ユカちゃん!!」
ヤヨに手を伸ばそうとする私を咎めるように、ナツが大きな声を上げた。それを無視して、ヤヨが唇がわなわなと震えさせているのを見た。
私には、この子を見捨てることはできない。こんなに何かに怯えてる少女のことを見ない振りができるくらいだったら、非行少年の更生に携わる仕事に就こうなんて思わなかった。
「……よ、びこ、の」
下から
「何?」
「……予備校の先生」
「うん、そう」
「なぜ、あなたが、ナッちゃんといるの?」
批判めいたかすかな声。なぜか、ヤヨは私に怒りを向けている気がした。そして、あれ? 何かが引っかかった。
どうして、この子は、私が予備校の講師であることを知っているのか。
とりあえず、それは置いておく。
「私は、棗さんのお婆さんと知り合いで、棗さんとも親しくしている島田というの」
そう言いながら、表情を作る。更生施設で初めて担当する生徒に話し掛ける時のように。冷たくもなく、優しくもなく、ただ、そこにいたように自然に見える薄い笑顔を浮かべた。
「私に、あなたを、助けられる?」
よく聞こえるように、ゆっくりと尋ねた。しかし、ヤヨの固い表情は何も変わらない。
そして、ヤヨと私の間に、ナツが飛び込むように割って入った。
「ユカちゃん、駄目!」
「ユカちゃんは、もう、あたしの」
「あたしだけのなの!」
そう叫んだナツは私の方を振り返る。その目は、ぎらぎらとしていた。これは独占欲だ。ヤヨに私を奪われたくないと言うような。
ヤヨは、そんなナツの動きや声を見て、目を見開いた。
「ナッちゃん……」
ヤヨの目がみるみる潤んで、涙が流れた。
ああ、この子は、ナツのことが好きだったのか、と私は他人事のように感じ取った。しかし、肝心のナツは私の首に抱きついていて、ヤヨのことを見ていなかった。私は、ナツを抱き返さず、片手だけ背中に手を回して、ぽんぽんと叩くと、ナツにだけ聞こえるようにこっそりと呟く。
「私はナツのもの」
それから、ナツの肩を後ろから引っ張るようにして、ヤヨの方向に向き直らせた。でも、ヤヨから見たら、私とナツがいちゃついているのを見せびらかすかのように映ったのかもしれない。
「ナッちゃんはヤヨを助けてくれると思ったのに!」
ヤヨの濃いめのマスカラが取れて、黒く汚れたような涙が頬から顎へと流れた。片側のカラコンが落ちて、黒と青のオッドアイみたいになってしまっている。
「なんで、そんな年上の人なの。おばさんじゃない」
「歳、違いすぎるよ、変だよ!」
「おかしい、高校生に手を出すなんて、変態ババアだよ」
「年増の色キチガイ!!」
「どうせ、すぐにおばあちゃんだよ」
「クソババア!!釣り合わないよ」
「体目的なんじゃないの、エロいよ」
「ブスじゃん!!しわしわじゃん!ババア、ババアあっ!!」
アラサーの
まあ、ナツと付き合うのは覚悟の上だから、その程度の罵詈雑言なぞ刺さったりはしないけど、微妙に嫌なところを突いてくるな、とは思う。アラサーはアラサーで傷つきやすいんだけどなあなどとのんびり構えていた。
ヤヨも、もしかしたらナツも知らないかな。
私、というか私たち指導者は、生徒たちからひどく罵倒されることがままある。だから、これくらい何か言われても別に動じたりはしない。
だが、ナツは激怒していた。
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