第17話

 ナツは、予備校の自習室で、私の仕事が終わるのを待ちながら、模擬試験の勉強や高校の課題に取り組んでいた。

 その自習室は高校1年と2年が利用することになっている部屋で、受験生用の個別ブースと違って、友達同士で一緒に勉強できるよう意図して、8人掛けの大きなテーブルと椅子がいくつか用意されている。うちの予備校は、友達同士で入校すると学費が少しだけ安くなるというシステムを導入しているので、友達同士で連れ立って入校する子たちは少なくない。

 それだけに自習室を友達同士で利用する者は多いが、当然、ナツみたいな派手な髪色や服装の生徒はおらず、自習室の中でナツは一人だけ浮いていた。明らかに他の生徒たちに敬遠されていて、まるで結界があるように、ナツのいる机はもちろん、その近くに座る者もいなかった。ナツはすぐにそれに気付いて、邪魔にならないように一人で隅っこに腰掛けてコツコツと問題を解いていた。通っている単位制の高校の騒がしい教室より、予備校の自習室の方がずっと静かで勉強が捗ることに気を良くして、他の生徒が誰も近寄らないことなどさほど気にしていなかった。


 それだけに、ナツは自分に近寄って来る者がいるとは思っていなかった。

 だから、その5人グループが近寄って来ても、ナツはまるで気付かなかった。


「ねえ、あなた、予備校ここに通ってるんですか? 」

 リーダー格の少女が声を掛けたが、ナツはまさか自分が話し掛けられているとは思わず、その声を無視した。ナツがイヤホンで聞いている音楽は別に騒がしい音楽ではなかったのだけど、相手は音楽のせいで聞こえないのかと思ったらしく、ナツの視界にわざわざ回りこんで来たので、ナツはさすがに顔を上げた。

「何? 」

 ナツはそう言いながらイヤホンを外した。眼鏡を掛けた頭の良さそうな少女がテーブルの反対側に立っていて、その後ろに同じ制服の女子と学生服の男子がいて、みんな真面目そうで雰囲気が似ているので、ナツには五つ子みたいに見えた。

「あなた、ここの予備校の生徒ですか?」

「そう。今週から」

「その制服、どこの高校ですか?」

 ナツはジージャンの下に単位制高校の指定制服を着ている。一応。だが、シャツの第二ボタンまでを外しているから胸元がやや開いているし、シャツの裾はスカートの上に垂れているし、スカートにはジャラジャラと紐と鎖が付いているし、無骨な皮のショートブーツを履いているしで、よく見ないと制服には見えない。ましてや受験生にはとてもじゃないが見えない。スカートに付けられた鎖や紐はヤヨに付けられたもので、これらに何の意味があるのかナツには分からないが、今は、私があげた合鍵の付いたキーホルダーが鎖の一つに繋がっていて、キーホルダー自体はスカートのポケットに仕舞われている。ナツは、いかついショートブーツを履いた左足を見せびらかすように右膝に乗せて、足を組み、目を細めて声を掛けてきた相手を上から下まで値踏みするように見た。シワのないブラウスは誰がアイロンを掛けるんだろう、ナツはそんなことふと思った。

 ナツの目付きが怖かったのか、後ろにいた女子の一人が一歩下がった。

 

「質問の意図が分からない」

 ナツは、思ったままをゆっくりと答えて、改めて相手を見た。話し掛けてきた女子高生は頭が良さそうなだけでなく、気も強そうだ。

「ここ、大学入試を目指す高校生が来る予備校の自習室ですよ」

「らしいね」

「机を占領しないでくれますか」

「してない」

 誰もナツと同じ机で勉強したがらないだけだ。

「あなたがいると、その分、机を使えない人が出るんです」

「あたしには机を使う権利があるし、空いている席もある」

 ナツはどうぞと言うように、手のひらを相手に向けて軽く横に動かした。ナツの使っている8人掛けの机のうち7つの席は空いている。ナツの表情は変わらないように見えるが、反対の手は拳になっていて、臨戦体制に入っていた。机を蹴り上げる準備のために、膝を組むのをやめて足を下ろし、グッと床を踏み締めた。

 あと少しでも明確な侮蔑が発せられたら、ナツは、机を思い切り蹴り上げて脅かしてやるつもりだった。


「はい、そこまで」


 私の声に当事者たちは驚き、それから振り返った。ここでナツに暴れられたら、ナツを連れて来た私は早速解雇だ。たまたま自習室の様子を防犯カメラで見た私は、慌ててナツを止めに来たのだった。

「ここの自習室は、ここの生徒なら誰でも使用できるし、どこに座るのも自由ですよ」

 一触即発という雰囲気になっていた部屋の空気が変わったのを感じる。ここは街裏でも更生施設でもなく、大学受験のための予備校だ。それに、オトナの前で、わざわざもめるような馬鹿はおるまいて。

 あれ誰?、新しく来たカウンセラーだっけ、などと小さい声がする。ごめん、資格のあるカウンセラーじゃないんだ、そんなことを思いながら、ナツに近寄る。ナツの目が座っていて、施設で年長の子に殴りかかった時の剣呑な顔になりつつあるのが分かった。クールダウンさせないと狂犬ナツになりかねない。

「稲葉さん、次の授業のコース取っているでしょう。行った方がいいですよ」

 と、まずは、ナツに話し掛けた稲葉の方に穏やかに部屋からの退場を促した。

 「で、新居さんは、どうする? 勉強続けますか」

 ナツはギッと私を睨み付けた。

 やれやれと思いながら、私は、ナツの目の前に右手をかざすようにして、ナツに付けられた傷痕が目に入るようにした。頭を冷やせ、また、傷痕を増やす気か、と言外のメッセージを送る。

 すると、その傷が目に入ったのか、ナツは、目をぱちぱちさせて、もう1回ぎゅっと瞑って俯いた。

 僅かな沈黙の後、ナツは椅子に座り直して、シャープペンシルを手に持った。

「……まだ、ベンキョウしたいところがありますから、ここにいたいです」

 私の仕事が終わるまでここで待ちたい、と言うことだな。よし。


 ナツにいらないちょっかいを掛けてきた子たちは自習室からぞろっと出ていった。最後までチラチラとナツを見ていたリーダー格の稲葉は、まだ終わってないという顔をしていたし、怯えて逃げるように部屋を出て行った子もいた。どっちにしろ、どの子もナツみたいな見た目の子が予備校というお勉強の場に存在するのが気に食わないらしい。

 ナツの肩をポンポンと叩いて、落ち着いているのを確認してから、私は職員室に戻り、ナツにちょっかいを出していた子たちの資料をパラパラっと見た。

 市内でそこそこの進学校に通っている子たちだ。なんだか英語に関係する部活の仲良しのメンバーらしい。成績はみんなどっこいどっこいといったところ、一人二人はなかなかの偏差値だ。まあまあ頑張っている。……いや、リーダーの稲葉は若干成績落ちめだ。その焦りからナツに八つ当たりをした、ってところか。あの格好の不良娘に因縁を付けに行くんだから気は強いな。気が強いのはいいけど相手を見て喧嘩を売りに行って欲しいもんだ。

 ナツは基本は自習室以外にはいないから、すぐに見付かって、また因縁を付けられるかもしれない。

 少し、気をつけてやんないと。


 しかし、久々に見たな、狂犬ナツのあの目。

 懐かしくなって、私はくすっと鼻を鳴らした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る