第18話

「ユカちゃん、ごめんなさい。今日暴れそうになった」

 ベッドの上、私におおい被さるような体勢になってナツは謝ってきた。

「まだ1週間しか働いていないんだから、クビになるのは勘弁してよ」

 冗談めかしたものの、ナツはしょげている。

「もう、あそこで勉強したくない」

 ナツはそう言いながら、私のパジャマのボタンを上から外していく。

「ナツはやればできる子だ、っていう私の持論を証明して欲しいな」

「だって」

 ナツの口ぶりは愚図っていたが、指は違う。私の上半身のあちこちに触れては離れて、私が我を失うようなポイントを探している。

「こら、ナツやめて。こんなことしても勉強はやめさせないよ」

「うー」

 ナツは力を抜いて、ぺたんと私の胸の上に顔を置いた。


 

「ユカちゃん、あたしの取り柄なんて、これしかないじゃん」


 これって、この女泣かせのテクニックのことか。ナツは私の胸の下から脇に手を移動させた。

「勉強もできるし、顔も可愛いよ」

 せっかく褒めたげたのに、ナツはそれを無視した。

 

「ユカちゃん、……ユカちゃんは、なんであたしとシたの? もうあたしとシないの? なんで?」


 ナツは抑えきれなくなった、と言うように私の顔を見て尋ねた。

 確かに、再会したその日に、私はナツと県条例法違反行為に及んだけれど、その夜のことだけだった。ナツは、1回限りなのかと、ずっとそれを聞きたかったらしい。

 勉強の話をしてた筈なのに、急に勉強よりも、そっちが気になってしまったらしい。


 更生施設で働いていた頃、生徒たちの質問の意味をよく考えさせられた。その質問された通りにそのまま答えても、それが本当に生徒の求めている回答とは限らない。

 私は、ナツの真意を知りたくて、ナツをじっと見た。


「ナツが好きだから。あの時はどうしてもナツとしたかったから」


 多分、これは、ナツの求めている答ではないだろう。でも、そう答えるとナツの目からポロリと涙が落ちた。


「ユカちゃん、あたしなんかに価値があるの? ただのセフレが欲しいなら、恋人なんて言わないで、セフレって言ってよ。どうせセックスなんてマッサージとかの施術と一緒だよ。快楽を得るためのただの技術だよ。誰とヤったって一緒だよ」


 私の胸にポタポタとナツの涙が落ちたのを感じた。温かいけれど、すぐに熱を失ってヒヤッとする。

 昔と同じように、ナツの顔を流れるそれが透明の何か宝石のように見えて、私は、それを拭うことができずに、じっと見つめていた。今でもそれを綺麗だと思ってしまう。ただの体液なのに。


 こんなことしてないで勉強しなよ、って言ったら、私とナツは、まだ、あの頃と同じ先生と生徒に戻って仕舞いそうだ。

 

 私は、この子に何をしてあげられるのか。

 また、この子に手を喰い千切られる覚悟はあるのか。

 そばにいるのが、一回りも年上で同性の私でいいのか。

 

 この子のためになることや、ならないことをあれこれと考えてしまうことがある。

 でも、もう先生じゃない。だから、先生じゃできないことが、できる。

 

「私は、あの頃からナツを誰にも渡したくなかったよ」

 ぼろぼろっとまた涙が落ちて、今度の答は正解に近かったのだと分かった。


 両手を伸ばして、ナツの頬を包む。親指で涙を拭ってから顔を寄せた。ナツは涙を落としながらも目を閉じてくれた。

 唇でナツを感じ取った。

 それから、目を開いたナツは、私の右手を取ると、かつて自分がつけた噛み傷をなぞるように舐めて、私を上目遣いで見る。


「あたしはもうユカちゃんにマーキングしてる」

 

 その言い方にくらっとする。

 ナツは、私の反応を読み取っている。

「あたしは、ユカちゃんとしたい。あたしができることをしてあげたい」


 そんな風に言われて、県条例法に違反しないでいられるほど、私は聖人ではない。




 __________




「ナツー、おっすー」

 今日のヤヨはいつも通り、後ろからナツの腕に自分の腕を絡ませた。ヤヨの髪色は淡いピンクで毛先はグリーン、カラコンはブルー。メイクはいつもより上手くない。

「ヤヨ、どうしたの?」

「え、何がー?」

「大丈夫? ちゃんと寝てんの?」

 目の下の隈がひどい。コンシーラーでは隠しきれないほどに。ナツはヤヨが心配になる。

「えー、寝てますよー、やっだなー、そんなに顔見ないでー」

 ヤヨは両手で顔を隠した。

「体調、悪かったら今日は休みなよ」

「ダイっジョブー、ナッちゃんたら心配しすぎー。ちょっと徹夜で配信見てただけー」

 ナツとヤヨはいつもの席に座った。

 席は自由だ。どこに座っても構わないが、ナツはいつも窓側の真ん中に座る。ヤヨはその隣だ。授業は聴いていたり聴いていなかったり。課題の答を教えてくれるような授業の時は割と真面目に聴いておくが、今日は、普通の授業で、ナツは余り興味がない。


 ナツはテキストをリュックから取り出す。

「あれー、ナッちゃん、いっぱい本が入ってるー」

 ナツのリュックを覗き込んだヤヨが言う。

「今、あたし勉強してるから」

「なんか悪いもん食べたー?」

 ヤヨがナツを揶揄うように笑った。

「まあね。最近、美味しいモノ食べてるからね」

 美味しいモノとは私のことらしい。


「ナッちゃん、最近変わったー」

 ヤヨがナツの顔を覗き込む。

「そお?」

 ナツはヤヨと視線を合わせずにテキストを開く。


「変だよ、ナッちゃん。なんで勉強なんかすんのー?」

「ああ、今度、予備校で模擬試験受けることになった」

「なんでー?」

「なんでって、知り合いに勧められて」


「誰、その知り合いって!?」

 ヤヨはナツの開いていたテキストの上に手を置いて、読ませないようにしながら、被せ気味に大声を出した。明るいヤヨにしては珍しい反応だ。

「誰って……」

「誰っ? 何にでもやる気ないナッちゃんに勉強させるなんて、ひどくない?」

 なぜ、ヤヨが怒っているのか、ナツにはさっぱり分からないし、私の存在を恋人と真っ正直に伝えるのにも抵抗がある。

「おばあちゃんの知り合いの予備校の先生」

 それは一応は嘘ではない。私はおばあさまとも既に知り合いだ。

「ナッちゃん、らしくないよー、ベンキョーなんて」


「ヤヨ、あたしらしいって、どんなん?」

 ナツの声音は決して厳しいモノではないが、ヤヨはなぜかたじろぐ。

「……目付き悪くて、気だるそうで、何しても面白くなさそうで、やる気なさそうで、ちょっと乱暴で」

「それ、一つも褒めてないじゃん!」

 ナツは苦笑いした。

  

「ごめん、ヤヨ。最近付き合い悪かった。模擬試験、終わったら公園一緒に行こ。それからなんか美味しーの食べよ」

 あの公園はナツにとっても居心地の良い場所であった。そろそろカズキを蹴っ飛ばしたこともほとぼりは冷めただろう、とナツは思っていた。


 ナツに謝られて、少しヤヨは気を良くしたようだった。

「あ、でもねー公園、最近、雰囲気良くないんだよねー」

 思い出したようにヤヨが言う。

「なんかねー、カズキが消えたじゃん。なんかカズキ、誰かにボッコボッコにされたんだってー。そんでさー、警察だけじゃなくてー、なんか怖ーいオジサンがあの辺りうろついてるんだってー」

「へええ」

 ナツはテキストをぱらぱらっとめくって、今日の授業の場所を確認した。


「だから、ナッちゃん、あの公園に行かない方がいい」


 いつになく低くて真剣なヤヨの声に、ナツはテキストから顔を上げてヤヨを見た。しかし、その時には、もうヤヨはいつものようにスマホをミラーにして、澄ました顔でメイクを確認していた。

 何かが引っ掛かるナツだったが、その時は、何が引っ掛かったのか分からなかった。

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