第13話

 朝起きて、私はグラノーラに牛乳をかけただけの、手抜きかつ簡素な朝食をナツに食べさせていた。ナツはそんな朝食でも、なんだかよく分からないが、嬉しそうに食べていた。部屋の片付けはまだ終わっていないので、ダイニングもまだ落ち着かない。


「ユカちゃん、片付け、手伝おうか? 今日は学校休めるから」

「……どうしようかな、あんまり学校を休ませたくなんだけど、いいの?」

「勿論、いいよ。課題さえ出せば必ず授業に出なければいけないってわけじゃないし。それに大体さ、あたしに掃除を仕込んだのって、ユカちゃんじゃん。施設仕込みの超絶丁寧なお掃除テクニックは忘れてないよ」

 そのとおりだ。それこそ、細かいところまで埃が残っていないかチェックするのが私ら先生たちの仕事だった。

「じゃ、頼むか。でも、その前に一回、家に帰りなよ。おばあさまとの約束でしょ」

「うん、分かってる、そのつもり。夜はバイトあるから、着替えも持ってくる」


 すっかりナツは敬語を使わない。もともとそんなに女の子っぽくない子だと思っていたので、雑な言葉遣いになったとしても違和感はない。だが

「アルバイトって何?」

「週に3〜4回、居酒屋のバックヤードを手伝ってる。簡単な調理とか皿洗いとか。ちゃんと10時までだよ。未成年だから」

「ふーん、偉いじゃん。ホールはやんないの?」

「客商売は向いてないもん」

 確かに、顔の作りは可愛いが、仏頂面ばかりしているからねえ。

 

「隠すの面倒臭いから、言っとくけど、あと、たまに女の人相手のみたいのしてる」



瓜?


 

「……はあああぁ!?」

 

「ユカちゃん、牛乳こぼれたよ。だからお金には困ってない」

「ちょちょちょちょ、ちょっと待って。もう少し詳しく、あとそれ、おばあさまは知ってるの、まさか?」

 ナツの顔は、私が何を驚いて動揺しているのか分からない、というようにキョトンとしている。私は、一回深く息を吸うと、テーブルに転がってしまったスプーンをグラノーラの残るボウルに落として、もう一回深呼吸した。


「えっとねぇ、これまでに10人くらい? 大抵は、すごく寂しくて辛い人で、みんな1回か2回ヤれば気が済むような後腐れのない人。さすがにウリはおばあちゃんには秘密」


 私は、口をぱくぱくさせた。何から言えばいいのか。

 施設時代には、肝心なことになると黙りこくったくせに、今は、ペラペラ率直すぎるくらい喋るじゃないか、苗字が変わったからか、新居あらいなつめ!?


 それに、ウリだと!ウリって、売春ウリだよね。

 え、それであんなに床上手ってこと??

 ええええええ

 

「ユカちゃんは、やっぱりウリは嫌? 嫌ならもうしないけど」

 私は息を吐いて、スプーンでボウルをかき混ぜた。何とか動揺を隠しおおそうとしていたが、顔に出ていたらしく、ナツは私の表情を読み取っていた。


「うん、分かった。ユカちゃんが嫌ならやめる」


 ちょっと待て、島田侑佳、落ち着け、考えろ。今、話し合うべきことは何だっけ。優先順位を考えなきゃ。ナツは朝食を食べ終わってシンクに運んでいる。「洗う?」と尋ねられて、とりあえず頷いて、自分の使っていたボウルも洗ってもらった。食器洗いも施設仕込みのせいか、ナツの手際は良い。


「な、な、なナツ、バイトもいいけど、ちゃんとガッコ行って、ベンキョもしなおネ」

 めちゃくちゃ動揺しているのが、バレてしまっただろう。

 深呼吸を繰り返し、先生だった時の自分を取り戻そうと、頭の中で必死に足掻いた。

 目の前にいるナツには、私の知らないことがたくさんある。ナツだって、まだ先生だった私のことしか知らない筈だ。


「あはは、ユカちゃん、面白い顔。……そういうユカちゃんも仕事はどうすんの?」

 あははじゃないよ、もう。

「仕事は来週の週明けから、また先生やるよ。ただし、予備校の中の学習塾でね。中学生相手の」

 へえ、っとナツの口が動く。

 さっきの爆弾うり発言のことなど、なかったかのようにナツの表情はけろりとしている。

 施設を出て2年。ティーンエイジャーのナツにとっては、単なる2年間ではなかっただろう。それを知りたいと思うのは、私の欲か、指導者だった過去の名残なのか。


「ナツ、私たち、もっと色々話そう。今度は面接じゃなくて、お互い理解し合うために」


 そう言うとナツは、一瞬キョトンとして、嬉しそうに笑って、うんうんと頷いた。


 そして、私の目を見詰めて、真剣な顔をして、「一回、家に帰るね」と言って、玄関口に座って、ショートブーツを履いた。玄関の扉を閉める直前、ナツはもう一度私を見て言った。


「……ならさ、いつかさ、あの頃、話せなかったことも、聞いてくれる? 」


 ナツがどうしても家に帰ることができなかった理由のことに違いないと、すぐに分かった。


「でもね、ごめんね、ユカちゃん。まだ話せない。まだね、ここに何かが刺さったまま詰まってる」

 ナツは自分の胸を人差し指で突いた。

 

 

 父親の再婚相手のこと



「分かった、待ってる」


 ナツが目を細め、ブーツの足音をガツガツ立てながら、出て行った。




__________





「弥生、これ、MDMAみたい。呑んでみ」

「エムディーエーって何?」

「MDMA、幻覚剤」

 ヤヨこと青嶋弥生、ナツの同級生だ。その目の前にいる者の指先には水色の錠剤が一粒。

 ヤヨは嫌々するようにふるふると首を振る。しかし、その頬を挟むように掴まれて、口を無理やり開かされると、錠剤が放り込まれて、ペットボトルの水を口に注ぎ込まれる。

「吐くな」

 低い冷たい声に合わせて、ヤヨの喉が動き、ゴクンという音がした。

「どう?」

「……分かんない。まだ何も変わらないよ」

 ヤヨがそう答えると、「そりゃそうだ」と返答が来た。

「ちょっと待つか。何か変わってきたら教えな」

 ヤヨは頷いた。少し寒気がする。これは錠剤のせいなんだろうか、ヤヨはぶるっと震えた。

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