第10話

侑佳ゆか、サカるのは分からないでもないけど、なんでそんなに急いだの?」

 私と金谷こいつの間に守秘義務は存在しなくなって久しい。2杯目のビールで私の喉は潤いを取り戻し、ようやく声が出るようになっていた。


 なんで?なんでって。


「サカってるわけじゃない。ただ誰にも渡したくない。施設時代あのころからずっとそう思ってた」

「サカってるじゃん。なんだ、そのこっぱずかしー独占欲は」

 金谷には笑われたが、私は意に介さず、もう一杯ジョッキと、ついでに焼き鳥5本セットも頼んだ。


 でも、抱いたから抱かれたから、っても、ナツが私の手に入ったというわけではないだろう。

「まだまだ、これからですよ」

 私はビールをあおる。そう、ここは施設ではないのだから、私たちを縛る規則や関係性はない。同時に、これからちゃんと築いてかなきゃならないものもある。倫理上、大手を振っては言えないことだけれど。


 甘いことばかりじゃない、そんなことは分かってる。


「で、ナツちゃんは、今日は自分ちに連れ込まないの? こんなとこで飲んだくれてていいわけ?」

「今日は、なんか学校行ってから友達と遊ぶ、みたいに言ってた」

「どこのガッコ?」

 私は、とある単位制の高校の名前を上げた。

「ああ、あそこか。県の公認だし面倒見はいいから、しっかり通えば、ちゃんと高卒の資格を取らせてくれるよ」

 県民安全課の婦警さんは地元の学校にも詳しいらしい。

「でも、ヤバいのもいる学校だから気を付けさせな。大人しい子もいるけど、夜の街で遊んでる補導の常連もいるし、中退してグレてるヤツも少なかないから、先生方いつも苦労してる」

「ああ、そういう学校なんだ。今度、話を聞いとく」


 まあ、施設帰りだし、中学もまともに通っていなかったから、全日制の高校には入れなかったのだろうとは思う。普通に勉強していたら、今頃ナツは進学校に通ってるくらいの学力は余裕であるんだけど。


 ナツは高校受験に間に合わず、1年遅れで単位制の高校に通っていて、今は2年生だと言っていた。






 ここから先の出来事のいくらかは、私がナツや金谷、他の誰かから聴いたことや私の想像だ。

 

 


__________





 ナツが登校するのは午後1時から5時。授業は2〜3コマで、授業以外に教室で提出課題に取り組むこともある。教室には、30席ほどの席があり、今はナツを含めて20人くらいの男女がいて、勉強しているのは半分もいない。ほとんどが喋ったりスマホを見たり。ナツは、この部屋はいつも騒がしくて集中できないと思いつつも、そんなに負担になる課題でもないので、イヤホンで音楽を聴きながら課題を進めていく。


「ナッちゃーん」

 後ろからナツの頭を抱えてきて、課題作成の邪魔をする同級生は、ピンク色の髪と赤い目をした、ヤヨこと、青嶋弥生だ。ナツは1年遅れの入学なので、ヤヨはナツの1歳下、17歳なりたてである。無愛想なところがあるナツに恐れず近寄ってきて、がんがん話し掛けてきて、友達になってくれた。ナツにとっては、ヤヨは高校では一番の仲良しだ。友達がたくさんいるヤヨにとってナツは、その他大勢の一人かもしれないが。

 ヤヨは入学初日から化粧に余念がなかった。ヤヨの今日のメイクは目をくっきりとさせて、唇を赤く艶っぽく染めている。童顔なのに色っぽいアンバランスな顔だ。ナツはヤヨの素顔すっぴんを見たことがないし、想像ができない。

 ナツの髪をプラチナブロンドに染めさせたのはヤヨだ。


「ナッちゃん、課題あとどれくらいかかるのー? まだ帰らないのー?」

 ナツはヤヨに目もくれず、課題を進めていく。

「ヤヨ、この課題の提出期限、覚えてる? 」

「もー、出したー。多分」

 ナツは表情には出さないが、頭の中でためいきをつく。ヤヨは遊んでばかりいてアホっぽいのに、数ヶ月に1回か2回、人が変わったように課題をこなす時がある。

「もう少しだから、ちょっと待ってて」


「……ねえー、ナッちゃん。なんかーいいことあったー? 今日、ちょっとー顔緩んでるー」

 ナツの手がぴた っと止まった。

 実は、さっきから、昨日のことを思い出してはニヤつきそうになっては堪えていたのだ。なにしろ、もう二度と会えないと思っていた先生に再会できたのだ。


 先生。

 ユカちゃん。


 いきなり現れて、大雑把に恋人になるように決められた。


 

 夢にも見なかった、あり得ない、そんな一夜だった。


 施設では指一本触れることすらできなかった。どんなに近付きたくても、ユカちゃんは先生としての高い高い壁を作っていた。あくまでも先生だった。

 先生でなければいいと願っていた。

 

 なのに、突然、昨日の夜は全てを許された。

 

 あの声

 あの表情

 ユカちゃんがよろこぶなら何でもしてあげたかった。


 ユカちゃん

 ユカちゃん


 ユカ

 


「……ッちゃん!!」

 

「ナッちゃんてば! 今日さー、割引券もらったからーこの店行きたいー」

 

ナツは現実に戻る。


「ヤヨ、分かったから、あと5分だけ待って」

「うん!」


 

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