第8話

「これは運命かな、って思ってるとこ」


 

「そうか、先生はあたしの運命の人なんだ」





 そんなことを言われてしまうと、やにわに体の中がむずむずする。少しだけ腕の力を緩めて、上半身を気持ち離して、君の顔を覗き込んだ。さっき見えていた眉間の皺は無くなっていたので安心した。じ、っと至近距離で見詰め合う。


「もう先生じゃないから」


 自分で自分のことを確認するように言った。確かに、私たちはとっくに施設の先生と生徒ではなくなっているが、実は、倫理的にはかーなーりアウトだ。完全にアウト。


「浜岡、目、閉じてくれる?」

「目? なんで……ぁ、ああ、そういうこと?」

「そういうこと」


 それが、私と君の最初のキスそういうことだった。

 

 正気の沙汰ではない。

 路上で、まだ暗くならないうちからこんなことするのは初めてだ。

 しかも、相手は、もともと指導する側であった自分が担当していた生徒だ。かなり年下の、少女でもある。


 私はとち狂っている。


 でも

 

 止められなくなってしまって、何度も唇を重ねる。

 さっきまで髪を撫でていた手は、逃げられないよう君の後頭部をしっかりと押さえていた。でも、君は逃げなかったし、むしろ、君の方から私に侵入してきて、おぉ?と驚かされた。



 息が上がったのは私の方が先だった。


「……浜岡、じゃないのか。今、なんて名前なの?」


 僅かに顔を離して、君の目を覗き込みながら尋ねた。君の目の縁が赤く染まっていて、ああ、多分、自分の目も同じようになっている、と思った。


「アライ、シンキョって書いて新居あらい新居あらいなつめ


「じゃ、ナツでいい。これからナツって呼ぶ」

 私は君の呼び名を浜岡からナツに変更することにした。

 浜岡改め、ナツは、きょとんとした顔をする。

「え」

「何、その顔」


「だって、これで先生とはお別れじゃないの?」


 私は、ナツの肩に手を置いて顔を離した。再会して、すぐにお別れ? 

 そんな無意味なことはしない。

 ただ、したかったからしただけだ。


「ナツには恋人がいる?」


 質問に対して質問で答えた。勢いでこんなことをしてしまったが、確かナツは年が明ければ18歳になるし、こんな風体だ。この手の子たちは、切れることなく彼氏が存在する筈のものだろう。

 しかし。


「いないよ、……多分、今までいたことない」


 ナツはなんだか言い淀んだ。多分、って何だろう。それに、いたことない人のキスじゃないぞ、さっきのあれは。



 さておいて。


 もう、今、自分を止められない。

 もう会えないと思っていた君と突然再会してしまったことで、私がかつて浜岡に抱えていて、抑えていた気持ちの正体が分かってしまった。

 分かっただけでなく溢れてくる。それをナツに注ぎ込みたくて仕方がない。

 

「じゃあ、私が最初の恋人でいいじゃない。きっとこれは運命だから」

 

 勢いで言う。

 告白ですらない。申し訳ないくらい風情がないと自分でも思う。

 ナツがちょっと困ったような顔になった。


「……先生って、そんな、なんていうか、大雑把だったんだ」 

「大雑把!」


「大雑把すぎるよ、それに、あたしの気持ち聞いてくれてないじゃん」


 私は笑ってしまった。確かに大雑把だ。私だって、こんなに性急にコトを進めようとするのは初めてだ。


「ナツの気持ちは分かってる」


 そう言うとナツが顔を上げて、じっと私の目を覗き込む。


「先生は、なんでもあたしのことがお見通しで怖いな」


 思わず、もう一度、唇を重ねてしまう。

 

 私も浜岡が、ナツが怖かった。

 自分の何もかもを変えてしまう存在だったことが。



「ね、あたしは、先生のこと、先生って呼んでていいの?」

 確かに。

「ナツは私のフルネーム知ってったっけ?」

 ふるふると金髪が左右に揺れた。

「島田侑佳、だよ」


「ユカちゃん!」


 いきなりちゃん付けか。でも、構わない。

 

 それでいい、と言うように頷いて、私はナツの手を取って、ぎゅっと握りしめた。

 そのまま、自分が今日から住み始めたアパートの方向へと歩き出した。

「先生、ユカちゃん、どこ行くの?」


「私んち。あ、ナツ、外泊できる?」


 尋ねると、ナツは空いてる方の片手を器用に使って、祖母らしき人に電話を掛け、「あ、おばあちゃん、明日は必ず帰るね」とだけ言って切った。

 言っちゃった、って言う顔でナツはおどけるように肩をすくめた。私はそれに頷いて答えた。


 無言で手を引っ張る私に、ナツはやはり無言で付いてくる。

 この先のこと、ナツは分かってるだろうか。

 分かってなくても、もう




 部屋の片付けはまだ全然終わっていなくて、あちこちにダンボールやらガムテープの残骸やらが散らばっているし、未開封の箱も積まれている。

 ただ、すぐに眠れるように、寝室のベッドだけは私は整えていた。


 自分が何をしでかすのか無意識に予測していたかのように。




「ナツ、おいで」

 

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