第7話

 横断歩道の向こう側、派手に制服らしき服を着こなしてる女子高生がいて、ふと、その子と目が合った。





「浜岡……?」 


「……先生」





 ほぼ同時に名前を呼び合った。

 

 

 目の前の君は、あの頃と全く違って、プラチナの金髪で、胸をはだけるように第2ボタンまで開けた白いシャツの上に、ジージャンを羽織っていた。裾を出したシャツで、ほとんど隠れるくらいに短いチェックのスカートを巻いた足には、ゴツい革のショートブーツを履いていた。あの頃の施設のお仕着せの服装ジャージとは全然違う。


 それでも、私には、君だとすぐに分かってしまった。



 彼女は、私の声に弾かれたように反応した。

 無表情から、目を大きく広げてびっくり顔へ、そして、グシャっと顔を歪めて、絞り出すように、あの頃と変わらない声で。もう一度、私を呼んだ。叫ぶように。


「先生……っ! せ、んせ、先生!!」


 声はあの頃のままだった。

 体が震えた。


 このまま立ち去るべきなのに、私は、我慢できずに横断歩道を渡った。


 渡ってしまった。

 少し大人っぽくなった君に近寄ってしまった。


「なんで、ここにいるの?」


 横断歩道の上で尋ねられて、それはこっちの台詞だと思いながら、ああ、やっぱり君だったんだと思った。


「もう先生じゃないよ」


 本当は、声を掛けちゃいけなかった。仕事を辞めても、プライベートで施設にいた者と関わってはいけないことになっている。

 それに、もし、また会うことができたら、会ってしまったら自分が何をするか分からなくて。

 だから、遠い街に逃げて来たのに。

 まさか、そこで会うなんて。


 先生じゃないという言葉に、君は少しだけ身を引いた。驚いたんだろう。でも、それを表情に出さないで君は答えた。


「あたしも、浜岡じゃないです。おじいちゃんとおばあちゃんに引き取られて、苗字、変わりました」


 そうか、浜岡じゃないんだ。

 じゃあ、なんて呼んだらいいんだろう。


 そんなことを考えながら、横断歩道の白線と白線の間の幅くらいまで君との距離を詰めていく。君は少し身長が伸びたのか、私より背が高くなっていて、目線がちょっと上だった。

 こんな交差点で何やってんだろうなあ、なんて考えてる自分と、

 君に会ってしまったことで動揺しまくってる自分と、


 泣きたいくらい嬉しい自分がいて。



 私は、君のジージャンの裾を掴んだ。君がキョトンとしたのが見えたけど、私はそのまま俯いた。目を合わせず、裾を引っ張って歩き出した。他にも人が歩いている交差点から離れたくて。でも、君は、そんな私の気持ちが分からなくて、「せんせ、え? 何? 」と戸惑いながら付いて来てくれた。

 

 ちょっと離れた細い路地みたいな所に引き摺り込んだ。こんな場所には人はほとんど来ないだろう。

 何、やってんだろう、私。


 

 でも、もう



 自分で自分が止められない。 浜岡の手を引っ張って、人通りのなさそうな路地を見付けて、引きずり込んだ。 

 

 ひとけのしない、夕日がまともに入らない、薄暗い路地で、私と君は見詰め合った。

 久しぶりの君は、ちょっと困った顔で頬を赤くしている。つい、その頬に触りたくなって、右手を伸ばす。


 すると、君はチラッと私の手を見て、きゅっと眉を寄せて顔を顰めた。

 かつての君が付けた噛み傷を気にしていることに気付いた私は、君の目の前でかざすように手を振った。


「傷じゃない。これは、卒業した生徒に付けられたキスマークだから」


「はあ? 何言ってんすか」


 随分と生意気な口ぶりになった君は、ちょっとだけ笑ったけど、眉間によってしまった皺とうっすら浮かんだ目尻の涙を隠したかったのか、下を向いてしまった。


 私は、ゆっくりと両手を伸ばして、その頭を両腕で抱き抱えると、自分の顔を寄せた。


 白にも近い金髪は余り傷んでいなくて、不思議なくらいサラサラだった。こんなにヤンチャな外見なのに、タバコの匂いはしない。いいこにしてるんだな、って思いながら髪を撫でる。

 君の拳が私のコートの背中に触れた。硬い感触がする。不安になると拳を握るのは相変わらずだ。

 私の背中を抑えているのは拳だろう。

 私は、それが合図になったかのように片腕を、君の腕の下を通して背中に回して、その体を抱きしめた。


 施設では指導者は、馴れ合いを防ぐためにも不用意に生徒たちに触れたりしない。


 だから、

 私が浜岡なつめを抱きしめたのは初めてだった。


 施設で働いていた頃は、不思議なことに、どんなに君のことが気になっていても、触れてはいけないと思い込んでいたものだから、全く触れたいとすら思わなかった。


 むしろ、一人のことを特別に思う、そんなことは職務上の倫理違反以外の何事でもなかった。だから、人前では殊更に厳格であろうと自分を律していた。さぞや、君には私は冷たい担当に見えただろう。

 


施設ではあのころ、浜岡に必要なのは、こうして抱きしめることだと思ってた」


 抱えこんでみると、浜岡は思ってたより細くもなくて、柔らかくもなかった。

 

 でも、この手の中にいた。

 肉のある実体となって。


「……違うなあ、本当は、私、私が浜岡を抱きしめたかったんだ」


 

 そう告げて、腕と指先に力を込めると、ぎゅ、と言う音がしたような気がした。

 私の腰には、浜岡の拳が二つ押しつけられていたけれど、どうやら、拳が開かれたらしく、コートの腰の辺りの布地に皺がよる感触がした。



「先生、それって、どういう意味?」


 どういう意味かって言われても。

 どう考えても、そういう意味だよ。もう2度と会えないと思っていた忘れられない人と、こんなに離れた街で再会してしまったら、


「これは運命かな、って思ってるとこ」


 いささか真面目に答えると、君がクスッと鼻を鳴らす音がした。


「そうか、先生はあたしの運命の人なんだ」

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