第28話 本当の想い

 あかりは、何が届いたのだろうかという疑問で頭がいっぱいだった。


 確かに、あかりにはときこに抱えた感情がいくつもある。良いものも、悪いものも。幼馴染としてずっと過ごしてきたのだから、当然の部分もある。


 だが、ときこはとても穏やかな顔をしていた。サイコパスと言われたことを、まるで気にしていないかのように。あかりの困惑を気にした様子もなく、ときこは続けていく。


「あかりちゃん。あなたは、私を傷つけたくなかったんですねっ」

「それは、どういう……」


 確かに、あかりにとってはときこは大事な存在だ。だから、傷つけずに済むのなら、その方が良いに決まっている。それでも、想いと言うには曖昧な感情だろう。


 だからあかりは、ときこの一挙一動が気になって仕方なかった。あごに人差し指を当てる姿も、いつもより柔らかく微笑む姿も。そして何より、まっすぐに目を合わせてくることも。


 ときこは弾んだような声で、言葉を続けていった。


「私が想いを理解できないことが、探偵を続けることが、私を苦しめていると考えていたんですねっ。だからあかりちゃんは、事務所から去ったんですっ」


 あかりは目を見開いて、口元に手を当てた。あかりが事務所を去った理由そのものだったからだ。その時には、ときこが恋心にうといだけだと信じていたのだが。


 結局、ときこは何も相手に共感しないまま、人の感情を解き明かしてしまう。もしかしたら、同情も憐憫も期待も、何もしないからなのかもしれない。ただ客観的に相手の情報を見ているから、的確に心を読み解けるのかもしれない。


 あかりには、とても悲しいことのように思えた。まるで、機械が人の心を正確に診断するかのように。だが、ときこはきっと悲しんでいない。それだけは確かなことだと、あかりは強く理解していた。


 なにせ、ときこは今、とても楽しそうな笑顔を浮かべているのだから。あかりに共感していないだろうし、想いの本当の意味もわかっていないだろうけれど。謎を解き明かすことがときこの喜びなのだと、何も聞かなくとも分かった。


 だったら、それで良い。ときこが満足しているのなら、それで。あかりは諦めたのかもしれない。あるいは、祝福していたのかもしれない。いずれにせよ、ときこは探偵を続けても大丈夫なのだ。そう考えていた。


「やっぱり、ときこさんは名探偵ですね。私では、勝てそうにありません」

「いえ、きっと違いますっ。あかりちゃんのことだから、分かったんです。他の人なら、あかりちゃんの手助けが必要でしたよっ」


 ときこはあかりを穏やかな顔で見ていた。まるで、あかりがとても大切であるかのように。だからあかりは、ときこがたどり着いていない本心を語ると決めた。


 きっと、ときこは理解できないのだろう。あるいは、関係が壊れてしまうのかもしれない。それでも、あかりの頭には今までの事件が蘇っていた。


 誰もが、勇気を出して自分の本心を告げていた。だったら、自分だってそうするべき。いや、そうしたい。あかりは勇気を出して、ときこの手を握って微笑んだ。


「ときこさんの推理は、当たっています。でも、まだ足りないんです。私の本当の気持ちには」

「そうなんですかっ。なら、聞いてみたいですねっ」

「解き明かさなくて、良いんですか? ときこさんは、想いにたどり着くことが好きなんですよね?」


 ときこはあかりの質問に、ゆっくりと首を振った。そして、あかりに向けて微笑んだ。


「ううん。あかりちゃんの言葉で、聞きたいんです。だって、あかりちゃんの気持ちなんですから」


 その言葉は、きっとあかりへの情だ。ときこは誰にも共感などしていなかった。それでも、誰かを大切に想う気持ちはあるのだ。そう、あかりは信じていた。


 本当は、ただの幻想なのかもしれない。それでも、あかりは信じたいと思った。信じると決めた。あかりには、ときこの笑顔が輝いて見えていたから。それだけで十分だと、深く頷いた。


 そして、あかりはまっすぐにときこを見ながら、本当の心を告げていく。


「本当は、ずっと隠していようと思っていました。墓場まで持っていけばそれで良いんだと」

「でも、私に言う気になってくれたんですよね。どうしてですかっ」

「皆さんに、勇気をもらったからです。剛さんには、今より幸せになれなくても良いという決断をもらいました」


 絵馬に何も書かなかった剛は、今が一番幸せだという気持ちを抱えていた。結局は、幼馴染で恋人の愛花に勇気をもらって、もっと幸せになるという決断をしたが。


 その姿に、あかりは強く心を打たれた。もっと幸せになることも、とても大切だ。だが、剛の抱えた想いは、今が最高で良いという考えでもある。それこそが、あかりにとって大切な考えだった。


 ときこは、優しく笑みを浮かべている。その姿を目に焼き付けながら、あかりは続けた。


「亮太君には、自分より相手を想う心を教えてもらいました。茜さんには、届かなくてもいいという意思を伝えてもらいました」


 テストを破り捨てた亮太は、自分の点数よりも、教えていた美佳の点数を大事にしていた。だからこそ、整理しきれない感情を叩きつけてしまったのだが。それでも、相手を想う気持ちに嘘はない。だからこそ、あかりの心に届いた。


 手紙を破り捨てていた茜は、自分の恋心よりも相手の夢を大事にしていた。そのために、大切な気持ちを捨てる覚悟を決めていた。だからこそ、あかりの心に刺さった。自分だって、想いが届かなくてもいいのだと。それでも、ときこが幸せならと。


 だからあかりは、自分の胸に手を置きながら言葉を続ける。少しでも、想いが届くように。


「美宇さんには、ずっと残る気持ちを届けてもらいました。花子さんからは、ふたりの愛の証の形を知れました」


 マズいジュースをずっと頼んでいた美宇は、亡くなった恋人をずっと心に刻みつけていた。新しい一歩を踏み出すとも、決意していた。だからあかりは、どんな未来であってもときこを忘れないと決めた。忘れられないという諦観ではなく、忘れないという決意として。


 セックスレスになっていた花子は、大切な相手の子供を残せないことに傷ついていた。そこから、養子を取って大切な想いを伝えると夫婦で決めた。その姿を見て、あかりは自分も愛の証を別の形で想いとして残そうと決めていた。


 そこまで考えて、あかりは一度目をつむる。そしてときこの笑顔を思い描いて、目を開いた。同じ笑顔になるように。そう願いながら、言葉を紡ぐ。一音一音、はっきりと。


「もう分かっていると思います。ときこさん。私は、あなたが好きです。恋しているんです。愛しているんです。どんな結果になるとしても、伝えたかった」


 その言葉から、あかりは心臓の鼓動を強く感じていた。時計の針が刻む音と、胸を震わせる感触。ただ一度だけ感じるだけのことを、数十秒と誤解するほどに。


「あかりちゃんの気持ち、よく伝わりましたよ。私を、とっても大事にしてくれているんだって。今回だって、私を心配してくれていたんですから」


 ときこは胸に両手を当てながら微笑んでいる。だが、あかりの想いのほんの一部が届いただけなのだろう。それでも良い。一度で伝わらないのなら、時間をかけて伝えれば良い。今のあかりは、そう胸に刻んでいた。


 それでも、恋心が届かないことは、恐ろしかったが。気を抜けば震えそうなほどに。目の奥が熱くなるほどに。ただ、あかりは覚悟していた。ときこが幸せなら、それで良いのだと。


 だからあかりは、自然と笑顔を浮かべることができていた。恋敗れたならば、きっと泣くだろう。それでも、今この瞬間だけは。そんな願いが、意識せずとも形になっていた。


「もちろんです。ときこさんとずっと過ごしてきた時間は、何よりも大切なんです」


 ときこの変わった言動に振り回されもした。優秀さに助けられもした。世話を焼くことに疲れたこともあった。ただ笑顔だけで報われたと思ったことも。


 そのすべての時間が、あかりにとっては宝物だった。それは、きっとどんな未来でも変わらないだろう。そう信じる心には、わずかな曇りもない。あかりにとっての本心だった。


 だからあかりは、力を抜きながら話すことができていた。柔らかい声が、何も意識せずとも出ていた。


「ねえ、あかりちゃん。今でも、私は恋心なんて分かりません。私に恋という機能があるのかも」


 ときこはあかりと目を合わせながら、そう語る。いつも通りの笑顔に、あかりはどこか陰を見た気がした。錯覚なのかもしれない。それでも、ときこの心が見えることを願っていた。


「だったら、私の気持ちは……、いえ、あなたの気持ちは……?」


 あかりが本当に知りたいことは、自分の想いが届くかどうかではなく、ときこがどんな想いを抱えているかだった。


 きっと、いや間違いなく、ときこは普通の人とは違う。だからこそ、ときこの心に触れられれば、あかりはときこの幸せに近づける。そう信じていた。


 ときこはあかりの手を握り返し、にこやかに笑う。そして、静かに語っていった。


「あかりちゃんに恋をしているって言ったら、嘘になります。でも、あかりちゃんの想いを受け入れたい。そう思うんです」


 その瞬間、あかりはときこの笑顔が弾けたように思えた。ときこは変わっていないのかもしれない。それでも、あかりの想いを受け入れる気持ちがある。その事実が、あかりにとっては福音だった。


 胸の奥がじわじわと暖かさに包まれていくような気持ちと、燃え上がるような熱情を同時に感じるあかり。その気持ちが、あかりに満面の笑みを浮かべさせた。


「それって……!」

「はいっ。私達はずっと一緒でした。これから先も、同じなんです。あかりちゃん。これからも、私を支えてくれますよね?」


 ときこは明るい笑顔で、ほんの少しだけ首を傾げる。その姿に、あかりは強い愛らしさを噛んじていた。やはり、自分はときこが大好きだ。その想いが、激しく高まっていた。


「もちろんです、ときこさん。これからも、ずっと私はときこさんの助手です」

「でも、新しい関係になりますよね。よろしくお願いしますね、あかりちゃん」


 その言葉を受けて、あかりは立ち上がる。それに合わせて、ときこも立った。お互いに顔を見合わせて、ほんの少し笑う。


「はい。ときこさん。大好きですよ。他の誰よりも、一番」

「とっても素敵な想いでしたよっ、あかりちゃん。もしかしたら、あかりちゃんが私に恋を教えてくれるかもしれません。そうなったら、素敵ですよねっ」


 あかりはときこの言葉を聞いて、今までで一番の笑顔を浮かべた。きっと、これまでとこれからで、一番幸せな時間だろう。そう感じながら。


 そしてあかりはときこに近づいて、抱きついていった。ときこはそっと抱きとめた。あかりの顔が緩んでいく。その姿を、ときこは笑顔で見ている。あかりは全身いっぱいに幸福を覚える。ふと窓を見ると、雲の隙間から光が漏れ出して、ふたりを照らしていた。



 ―※―※―※



 これで小さな恋のミステリーは完結となります。

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小さな恋のミステリー:天然探偵と真面目助手が想いに触れる話 maricaみかん @marica284

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