第27話 届いた想い

 ときこは変わらない笑顔で、あかりに返事をする。


「そういう年頃って、あるみたいですよねっ。非日常に憧れるっていうか」


 サイコパスだと言われたとはとても思えない朗らかな笑顔で、ときこは語る。それを受けたあかりは、じっとときこの目を見ていた。責めるような気持ちを、隠しきれずに。


「ごまかさないでください。私には、分かるんですよ。ずっと、一緒にいたじゃないですか」


 ときこはあかりの言葉を受けて、笑顔を消した。その姿を見て、あかりは少し後ろに下がろうとした。背もたれに押されて、実際には動くことはなかったが。


 あかりは、本当はときこに違うと言ってほしかったのだと理解した。ただこれまでのような日々が続いてほしかったのだと。だが、もう戻ることなどできない。ときこの本当に向き合うしかない。一度言葉にしてしまった以上、無くなりはしないのだから。


 眉をひそめながら、あかりは瞳を揺らす。それでも、ときこから目を離さなかった。


「あーあ、やっぱりあかりちゃんは真面目ですねっ。そんな事、曖昧にしておけば良かったじゃないですか」

「もしかしたら、ときこさんが正しいのかもしれません。でも、私は……」


 あかりは胸に手を当てて、言葉を止める。自分でも、何が言いたいのか分かっていなかった。ただ、ときことの関係が壊れることを恐れているということだけは理解できていた。


 結局のところ、ときこがサイコパスであるという事実は無くなったりしない。だったら、目を逸らしたままで居ても、いつかは破綻しただろう。それが言い訳なのか、あるいは現状分析なのか、考えているあかりにすら分からなかった。


「もうバレちゃったから言いますけど、確かに私はこれまでの依頼で共感したことはありません。まあ、医者で診断を受けたこともないんですけどね」


 ときこの言葉に、あかりは少しの光を見たような気がした。医者が診断していないのなら、本当はサイコパスではないのかもしれない。そこまで考えて、あかりは首を横に振った。


 サイコパスかどうかは、問題の本質ではない。本当に大事なのは、ときこが恋愛感情を少しも理解しないままであることだ。少なくとも、あかりにとっては一番大事なことだった。わずかに首を下に向けながら、ときこを見て話す。


「ときこさん……。あなたは、皆さんの気持ちに、何も感じなかったんですか……?」


 あかりから、まるですがるような言葉が出た。あかりはこれまで、ずっと依頼人やその周囲の人達の気持ちに寄り添ってきた。大切な想いを抱える皆が、とても輝いて見えていた。報われてほしいと願ってきた。


 だが、ときこはただ謎解きを楽しんでいただけ。皆の気持ちなんて、どうでも良かった。そんな推測が頭によぎり、思わず拳を握った。怒りなのか、悲しみなのか。あかりには分からない。ただ、どこか凍えるような心地だけがあった。


 ときこは首を傾げながら、言葉を紡いでいく。少し、退屈そうな様子で。毛をいじりながら。


「そうですね。絵馬の時は、どうして幸せを恐れるのかなんて分かりませんでした。テストの時には、なんで他人のことで傷つくのか、理解できませんでした」


 絵馬に願いを書けなかった想いは、本当に幸せを感じていたからこそのもの。テストを破り捨てた想いは、相手の幸せを心から祈っていたからこそのもの。


 つまりときこは、自分の幸せも他人の幸せも、深く感じたことなどないのだろう。その事実に、あかりは震えた。恐怖もあった。そして何より、悲しかった。ときこが幸せを理解できないことが。空虚な心を抱えていることが。


 あかりにとって、幸せの価値は高い。いや、きっと多くの人にとって同じことだ。なのに、ときこは違う。それだけのことが、あかりとときこが遠い証だと、あかりは思っていた。手が届く距離に居ても、心はきっと見えてすらいない。それほどに離れている。


 もしかしたら、単純な距離では計ることすらできないのかもしれない。違う世界にいる。あるいは、空に映る星々に手を伸ばしているだけ。そんな予感が消えなくて、あかりはときこを見ていられなかった。


 それでも、ときこは語り続ける。何にも気づいていないかのように。あかりなど、見えていないかのように。


「手紙の時は、恋心を諦める理由とは思えませんでした。ジュースの時は、どうして切り替えないのだろうと思いました。セックスレスの時なんて、ただ困惑しました」


 手紙を破り捨てていた想いは、本当は届いてほしい気持ちを、相手のために抑えていたから。ジュースを墓に供えていた想いは、大切な人への気持ちを捨てたくなかったから。セックスレスになった想いは、大事な人の生きた証を残したかったから。


 どれも、大切な誰かを思いやる気持ちだ。そうだとすると、ときこはあかりですらどうでもいいと考えているのかもしれない。そんな疑念を思い描いた瞬間、あかりは自分が空から落ちているかのような感覚を味わった。


 ときこは、あかりのことをどう思っているのだろう。それだけのことを、どうしても言葉にできない。口に出そうとして、喉が引きつる。あかりは、背筋に氷を差し込まれたような錯覚をして、大きく震えた。


 それでも、ときこには聞かないといけないことがある。そうでなくては、あかりが事務所を去った意味がなくなってしまう。その覚悟を決めて、あかりはもう一度ときことまっすぐに向かい合った。


 軽く息を吸って、吐いて、もう一度吸う。それを不思議そうに見つめるときこに、あかりはじっと目を合わせる。そして、少しの違和感も見逃さないようにと集中しながら、告げた。


「ときこさん。あなたは、本当に皆さんの想いを素敵だと感じていたんですか? 心にもなく、素敵な想いだと言っていたんですか?」

「私は、本当に素敵だと思っていますよ。だって、私の知らない気持ちですから」


 笑顔でそう告げるときこに、あかりは嘆きたくなった。思わず、顔を手で覆ってしまう。涙が零れそうにすらなった。結局のところ、ときこは何一つとして、想いを理解できていなかったのだから。


 だが、このまま泣いても何も解決しない。きっと、ときことの断絶は深まるだけだ。そんな気持ちが、あかりに言葉を続けさせた。


「あなたは、本当に探偵を続けていて良いんですか……? それで、ときこさんは満足なんですか……?」

「はい。私は、ずっと楽しんでいますよ。あ、そうなんですね、あかりちゃん」

「ときこさん、いったい何を……?」

「ねえ、あかりちゃん。あなたの想い、届きましたよっ」


 ときこは胸に手を当てながら、そう宣言した。

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