4 ほっと一息

「ッ……!」


 しかし、会心の笑みでは胸ぐらを掴む手を止めることはできなかった。


「貴方はッ……私を騙してたの……!?」

「ただ単純に君が勘違いしていただけだけどね」

「っ……」


 彼女自身、自分の失態に気づいているんだろう。口をパクパクさせ、言葉に詰まった。


「でもさ、これだけは言わせてよ」

「なに」


 じっと見つめる視線は熱く。鋭さを帯びた光は月明かりの中で僕を貫いてその中にあるものを浮かび上がらせようとする。

 何てことはない、隠すほどのこともでもない。

 ただの真実、今まで誤魔化し、秘めてきた篠乃枝さんへの気持ちだ。


「僕は君を見ていたい。危害を加えるつもりはないよっ?」


 これは嘘偽りない本音で、僕が彼女に付き纏う唯一の理由だ。


「敵でも味方でもないけれど、君の命が危険にさらされるっていうなら全力で君を守るし、庇っても差し上げよう。だってこれは愛だから」


 おもちゃがなくなるのは寂しい。

 そんな気持ちに近いのかもしれないけれど、そんな気持ちを抱く相手は今の所彼女だけだ。


「意味わかんない」

「僕はさ、君に興味があるって言ってるんだ。教えて欲しいだけだよ、ヒトゴロシの感触を」


 そう、ただ彼女に興味があった。彼女の行動に。彼女の考えに。彼女の経験してきた物に。


 僕は普通と違うらしいから、それでも「普通に溶け込んで生きていきたい」から。その普通じゃない感情と向き合うことはできない。自分で誰かを殺すことはできない。


「ねぇ、教えてよ、篠乃枝さん? 人を食べるってどういう感触なの?」


 それを君を通してそれを知ることにしよう。

 微笑み、それに対して向けられたものは困惑と侮蔑だった。


「ほんと……頭おかしいわよ、貴方……」

「そりゃそどーも」


 だけど、その手にこもる力は抜けていた。


「……最初から思っていたんですけど、貴方って大概バカでしょう」

「そうかな?」

「ええ、バカですよ」

「お?」


 それが彼女なりのツンデレだったのかもしれない。

 胸ぐらを掴んでいた手を離し、僕を自由の身にしてメガネを外す。


「だったら、これから起きることは全部あなたが背負ってください。私の話が聞きたいというのなら私の傍にいなさい。私の話を聞きなさい。私の……罪を背負いなさい」


 メガネを外した女の子って、どうしてこうも違う印象を受けるんだろうなーってぼんやり透き通った瞳を眺めながら僕は思う。


「……私を一人にしないで」


 だから、彼女のその言葉も言葉半分にしか捉えていない。

 それでも尚、篠乃枝さんの願いにも似たその訴えを退けるには僕もまだまだ人間失格には程遠いところにいるらしい。


「勿論さっ?」

「……作り笑顔」

「お」


 バレてた。


「これでも思ってるよりも鋭いのよ、私」

「肝に免じておく」


 意外な一面を見つけつつ。それでも「鈍い」と思われている自覚があることにも驚いた。

 帽子を受け取り、脱いだパーカーも受け取って秋堂さんに意識を向ける。


「待ってていただけて幸いです。もうどうしようもないので実力行使に出るそうです」

「それは結構。私も我慢した甲斐があるというものです」


 しゅるりしゅるりと衣擦れの音に気がつけば再び彼女はワイシャツ一枚。っていうか、女の子の場合はこれってブラウスっていうのか?

 裾からチラ見えする白い足がなんとも透き通っていた。


「あんまりジロジロ見ないで、って言っても無駄なんでしょうけど……できれば見ないでもらえると助かる。……そんな、自信ある方じゃないから」

「自信あっても見せちゃダメなんだけどね」


 そもそも篠乃枝さんはそれなりにスタイルがいい方だと思うんだけどどうだろう。

 確かに胸は妹よりも控えめだけど、長い髪とか、細い指とかーー、月明かりに浮かび上がるシルエットは妖精の類に近しい。


 いや、お世辞抜きで客観的な意見として。


 少し度が過ぎたかも。


「“アレ”になったらうまく話せないかもしれないから先に聞いておくわね。……秋堂さん。私たちのこと、誰かに話した?」

「いーや? 横取りはごめんだからねぇ。事後報告のつもりさ」

「そう……、ならよかった」


 ボタンを外し、胸元がはだけるとそれだけで空気が少し引き締まるような、そんな錯覚を覚える。ただ単純に僕が、そこに釘付けになっているだけなのかもしれないけど。


「じゃ、あなたを殺せば ”全部おしまいって事ね” 」


 言葉の尻は巨大化した篠乃枝さんの脳にまで響くような声に切り替わっていた。

 公園を取り囲む木々の幹ほどにまで膨れ上がった胴体と、そこから生えた巨大な手足。


 怪物、化け物、モンスター。


 ファンタジーで説明するのならトロールかリザードマンといったところだろうか。

 得体の知れない巨大な怪物がそこに出現し、牙を見せつける。


「“できれば、早々に決着をつけさせてちょうだい。私が、私で居られるうちに”」 

「ふはっ」


 篠乃枝さんが動いたのと秋堂さんが笑ったのはほぼ同時で、突き出された腕は公衆トイレの壁を吹き飛ばした。


「“ちっ……”」


 手応えのなさに視線で探り、姿を捉えた時既にそれは眼前に迫っていた。


「はははっ、まさにファンタジー! フィクションの世界です!!」


 単純な蹴り。

 コートを翻して繰り出された横一直線に振り抜かれた蹴りは篠乃枝さんの首筋を一蹴し、ボギリと嫌な音を立てる。


「“ァっ……”」


 二本の足で支えきれなくなった体を左腕でなんとか支え、体にまとわりつこうとするハエを必死に追い払う。振り回される腕を難なくかわす姿はまるでボクサーか文字通り「ハエ」だった。


「ぺしんっ、て当たれば一発なんだろうけどなぁ……」


 それが当たらないんだからハエって厄介なもので、どうしたものか……。


 一撃一撃は確かに篠乃枝さんの体にダメージを与えているようだけど、さっちゃんの時のように首と体を切り離すほどの威力はないらしく、秋堂さんは笑いながら宙を舞う。


「いやぁっ! 楽しい! 楽しいですねぇっこのスリルぅっ! 快感ッ……!! まさに生きてるって感じがしますぅっ!!」

「“さっさと死ね!”」


 随分言葉遣いが荒くなってる。

 篠乃枝さん自身、自分の制御が難しいみたいなことを言っていたから短期決戦に持ち込みたいんだろうけど、どうにもそうはいかないようだ。

 骨を打ち、肉を叩く音が公園に響き、遊具やベンチが巻き添えを食って破壊されていく。


「でもまー、ほんと、僕って無力だなぁ……。いや、無欲なのか?」


 眼の前で繰り広げられる光景に口を出すことはなく。ただ、成り行きを見習う。

 手を出したところでこの超人決戦(あえてそう呼ぶ)に加われる要素はないし、口を出したところで「気が散る」と一蹴されるオチだろう。


 ともすれば、僕はただ見守ることしかできず、陰ながらに篠乃枝さんを応援するしかない。


「全部忘れてベットで休んでもいいんですよー?」

「君が一緒なら考えてやってもいいけどネ!!」


 あ、ダメだ。あれは篠乃枝さんを逆上させるための演技かと思ったら割とガチっぽいし、どうやら秋堂さんかなりの余裕があるらしい。心底愉快そうに飛び回り、まるでちょっかいを出して揶揄うかのように篠乃枝さんの体を蹴り飛ばしていく。両手はコートのポケットに突っ込んだままだ。


「“うざいっ!!”」


 ドンッと地面を踏みしめた衝撃であたりの地盤が跳ね上がる。


 ――どんなバトル漫画だよ。驚きを通り越して呆れ、亀裂が足元にまで走ったので僕も二、三歩撤退する。巻き添えを食うのはごめんだ。任された服を汚すと怒られそうだし。


 なので、ただ傍観する。目の前の異種格闘技戦。


 人外的な意味の化け物ばーさす人間的な意味合いでの化け物の戦いを。

 見た所秋堂さんも十二分に化け物っぽいんだけど、どうなんだろ。あの人も篠乃枝さんと同じ「ヒトだけどニンゲンじゃない部類の人」なんだろうか。


 どっちかっていうと認識がズレてて、身体的にっていうよりも精神的に人間やめてる気もするんだけど。


「“がっ……!?”」

「うぉっ!」


 どんがらがっしゃんどーんってな感じに吹き飛んで来た巨体に驚く。

 すたっとかっこよく着地した秋堂さんは仰向けにひっくり帰った篠乃枝さんの上だ。


「そういえば……書類にサインしてませんでしたね」


 そういってコートからサッちゃんの時のような書類を取り出してペンを走ら始めた。


「篠乃枝桜、17歳。4月10日生まれ……、スリーサイズは……ふむ、測定不可能っと」

「“その調子で体重記入したらぶっ殺すわよ……!”」

「300キロぐらいあります?」

「“っ!!”」


 振り抜いた腕は空を裂き、宙に舞った足がそれを粉砕する。


「人外の相手をするというのは実に楽しいっ♪」

「“――……ッァ!!”」

「実に、生きているという実感がしますヨネ♪」


 耳を覆いたくなるような骨を砕く音に篠乃枝さんの悲鳴が重なる。

 口の端を噛みしめつつ残った腕でその脚を掴もうと伸ばすがあと一歩のところでコートは翻る。


「ふふふっ、本当に楽しいですネ☆」

「“ちょこまかとぉっ……”」

「痛覚は確かのようで。よかったです?」

「“変態……!”」


 ダメージの蓄積量は明らかに篠乃枝さんの方が多い――、……というかワンサイドゲームで秋堂さんには一撃すら入っていない。一撃でも入ればおしまいなんだろうけど、そのおしまいが引き当てられないことには攻撃を喰らい続ける篠乃枝さんには勝機はなく、また、手出しもできない。


「でも、その巨体を狩るのは趣味ではないんですよっ」

「“……ぁっ?”」

「出来れば人内でお願いします?」


 月明かりの影がその通り影になった次の瞬間には篠乃枝さんの後ろにあって、首筋に手刀が叩き込まれていた。


 ぐらりと傾く巨体。


 立て続けに叩き込まれた正拳突きは溝内へと叩き込まれていて、前のめりになった体が一気に折りたたまれる。


「っ……あっ……?」


 そしてみるみるうちに「元のサイズ」に戻っていく篠乃枝さん。

 白い肌が白い明かりに浮かび上がって実に綺麗だ。


「ふむ、少女趣味はないんですが貴方ぐらいの年頃になるとそこそこ女性の体つきをしているものですよね。この弾力はなかなかです」

「離しなさいよ、変態ッ……!」

「はいっ♪」


 返事と共に打ち込まれたのは回し蹴りだ。勢いよく貫かれたそれは篠乃枝さんの細い体を吹き飛ばし、傍観していた僕ごと植木の中に吹き飛ばす。


「っ……ぁっ……あははっ……、確かに柔らかいなぁ……」


 裸の彼女は生暖かく、ずっと抱きしめていたい気持ちにかられるけれど彼女はそれどころではないらしい。呻き、うわごとを繰り返す。


「むー……」


 余裕のない篠乃枝さん。これは本格的にやばいかもしれない。


「わたし、公務員なんて柄ではないんですよ。それこそこの仕事についていなかったら刑務所に入っていると自負しております、はい」


 ふらふらと歩いてくる秋堂さんはまさに異様で、いかにも「危ない人」って感じがぷんぷんする。いや、あれで普通の人ならそれはそれで怖いんだけど。


 ……さーて、どうしたものか。


 このままだと篠乃枝さんは間違いなく殺処分。お首の部分をポッキリがぶっつりか、もしくはミンチでぐちょぐちょか。流石は監視員さん。半端ない強さですはい。化け物退治は化け物のお仕事なんですねー……。


「合法的に人殺しができるからこのお仕事を?」

「ええ、そうですそうですっ。人を殺せば殺人鬼、だけど戦時中は英雄ですっ。桃太郎も鬼殺しの英雄ですが、奇形児殺しとなればただの殺人鬼ですよね?」

「僕からすれば大切な人を奪うゲスな方にしか見えないんですけどね」

「世界平和のために譲ってください?」

「譲れません」

「では私の幸福のために」

「ますます譲れません」


 他人の幸せと自分の幸せ、天秤にかけて相手を差し出せるならそれはもう聖人と呼ぶにふさわしい存在だろうけど、そんな人を僕は認めない。いやぁ、いないでしょう、そんな人。自分の命より他人を尊重できるのは一部の母親ぐらいですよ。


「まぁ、あなたの許可は必要ないんですが……。私の決定は政府の決定であり、政府の決定は国の意思ですから。国民であるあなたには従っていただきます?」


 作り上げられる微笑みは受付窓口のそれだ。

 仕事上で必要だから浮かべる必要最低限の笑み。

 円滑なコミュニケーションに用いられる笑顔。


 それは何の意味もなく、潤滑油としての役割以外の意味を持たない。

 そして、潤滑油は否応なしに人間関係の摩擦を少しだけ少なくしてくれる。


「許可が必要ないのはタケルくんの一件で身にしみていますから平気ですよ」


 だから僕も笑みを持って受け答える。

 それがどういう意味を持っているかはさておき、人と対する時に笑顔を浮かべるというのはやはり必要な行為だからだ。敵対心を少しだけ削ぐことができる。

 それはどんな場面においても油断を誘い、必要であれば最後の決め手となりうる。


「それに僕もあなたと同じですから」


 思えば、この秋堂という男の人は自分によく似ていると最初から感じていた気がする。

 軸が定まっていなくて、ふらふらしていて。どこか掴めない存在で、怪しい。

 そして、篠乃枝さんに固執している。

 認めたくはないけれど、この人と僕はよく似ている。


「さて、その方を渡して頂けますか」


 だけど、僕もまた彼女に似ているんだと気づいてしまっていた。

 へらへらと笑みを浮かべつつも、自分の命を危険にさらしてまで彼女を守ろうとするだなんて僕らしくない。なんとなくそんな感想に行き着く。


 秋堂さんの呼び出しに乗るか悩んだのはそれが原因だ。彼女がどうなろうが、それはそれで面白い。人とは違う彼女が運命に翻弄される姿を見ることが僕の目的だった。


 しかし、いつの間にかそれだけでもないことに気がついていた。


「なんていうか、仲間意識って、結構気持ち良いものなんですよね」


 秘密を共有し、自分たちだけの世界を作り上げていくということは何処か安堵感を覚える。


 彼女は僕もこの化け物の力を持っており、孤独に喘いでいると勘違いしていたけれど、実際僕は孤独に染まっていたんだろう。染まりきって麻痺していたんだと気付かされた。


「この人は僕のおもちゃでもあるけれど、それ以上に僕の共感者になってくれそうなんだ」


 少なくとも、理解されないからこそ人と距離を置いていた彼女が僕に眼鏡を預けてくれた事が何よりの証拠だ。――眼鏡は、命の次に大事なものだろう?


「だから、僕はこの人を失いたくはないかな?」


 そう言いながら笑みを浮かべていたのは多分身についた処世術なんだろうと思った。


 時間稼ぎにしかならないけれど、そうして少しでも相手の気持ちを揺らすことができるのであれば打てる手は打つ。少しでも自分に有利に転がしてやろうという無意識の自覚。


「なんとも、陳腐な感情ですネ」

「僕もそう思います」


 異端者ならば、その孤独でさえも自分の快楽で飲み干してしまえるだろうから。

 こんな風に共感者を得ようとする時点で僕の異端はその程度だったんだろう。


「えへへ」


 そのことが僕はなぜか嬉しい。


「えへへへへ」


 異端でなかったことが、僕は嬉しかったんだ。


「ばーっん」


 笑顔を浮かべて突き出した指の形は銃の形。

 間抜けなほどに気の抜けた言葉で貫くのは秋堂さんの不思議そうなつくり笑顔だった。


「……変わり者って案外周りに転がっているものですから。うちの妹とか、ね」

「……ほ……?」


 ほ。


 その一言だけで秋堂さんの表情が固まった。



 ほほほほほ。



 笑い声が聞こえた気がしたのはきっと幻聴で、それはかつての妹の笑い声だった。


「無味無臭。時間差で効果が発揮されるって普通に売り出したら闇市場とかで取引されそうな気がしません?」


 篠乃枝さんに効いたのだから、秋堂さんがどんな化け物でも効くことは確信していた。


 問題はちゃんと飲んでくれるかだったけど、この人はやっぱり少し頭のネジがおかしいのか人からもらった飲み物をゴクゴク行ってくれた。一度開封されているペットボトルは飲んじゃいけませんってのがアイドルの掟だけど彼にとっては関係なかったらしい。


 ……まぁ、目の前で「いま開封しました」て芝居は打ったわけで。それが通じたことにホッとするわけで。


「ホットミルクティーだけに、ほっ」


 みたいな。


「ていっ」


 思いっきり蹴り飛ばしてやるとそのまま受け身を取ることもままならず引っくり返る秋堂さん。頬が痙攣しているのは薬のせいか、それとも怒りからくるものなのか――?


 ま、どっちでもいいけど。とりあえずは無力化完了。

 人畜有害な妹を持ってお兄ちゃんは嬉しいよ。


「……平気? 篠乃枝さん?」

「ん……なんとか……」


 一緒に吹き飛ばされた際に彼女の服を一式手放してしまって、手元にあるのがパーカーだけだったのでそれを肩にかけてあげる。しかしやんわり手で遮られた。


「まだ……やることあるから……」


 ふらりと小さなお尻が目の前で立った。

 いや、まぁ……その通りなんだけど裸の篠乃枝さんが薄明かりの中で浮かび上がって――、……あぁ、やっぱ綺麗だなぁこの人。


「殺すの?」

「ええ……、仕方がないでしょ……」

「うん、仕方がないよね」


 とはいえ、やはり目に毒を通り越した眼福。

 このままだとR18指定されかねないので肩にパーカーをかけてあげる。


 今度は黙って受け入れてもらえた。

 彼女の視線は倒れている秋堂さんに注がれている。


「……あなたも私も同じですよ。結局、ただの人殺しです」


 その言葉は冷たく。微塵も見逃す余地などないことを容易に想像させる。


「だから……何れにせよ、いつかどちらかはこうなる運命だったんです」


 少しずつ彼女の体が膨れ上がり、肩にかけたパーカーはするりと地面に落ちて物言わぬ忘れな草。

 ごめん、今のは雰囲気に任せて適当を言った。


「……さようなら」


 そう告げ、巨大化し化け物となろうとする篠乃枝さん。

 しかし僕は無意識にその手を握っていた。


「……?」


 呆然と僕を見つめる彼女は驚き、目を丸くする。

 月明かりに浮かぶ肌がとても綺麗で思わず僕は微笑んでいた。


「メガネ、掛けないと見えないでしょ」


 言ってメガネをかけてあげる。


 確かに外していると美人ではあるのだけど、なんだかちょっと物足りないのだ。

 改めてメガネを掛けてあげてみて、それを改めて実感する。


 メガネに帽子、パーカーにショートパンツ。あとはニーソックス?

 そういったものを身につけて初めて「篠乃枝桜」って女の子が出来上がる。


「だから服も着て? 篠乃枝さんが手をくだす必要なんてない」


 だってここで手を下せばきっと他の公務員さんがやってくるから。

 この秋堂さんが「篠乃枝さんが襲ってくるのを待っていた」のは彼女が「観察処分」になっていたから。だから、


「ここで君が手を下しちゃいけない」

「青山くん……」


 言われて随分と名前を呼んでもらえていないことに気がつく。

 では、これからはなるべく名前を呼んでもらえるように努力しようと心がけましてー、



「 ここは僕が片付けるよ 」



 幸いにも、人らしい感情ってものが僕には欠如しているから、ヒト一人の命を奪ったところで篠乃枝さんのように罪の意識に苛まれることもない。自分が変わっているという事実を杖に歩かなければいけない程に心も弱くない。


 目を背けていた事実を再確認するだけだ。

 人と少し違っただけの僕だけど、これでようやく異端な異常者になることができる。

 ある意味では彼女と対等なのかもしれない。

 だからこれは僕が彼女と釣り合う為の儀式みたいなものだ。


「てことで、ねっ?」

「……貴方、本当に馬鹿ですか」

「馬鹿なんですねー?」

「…………」



 見上げた満月と地に落ちた三日月。

 見上げる彼女の横顔はとても美しく、僕は笑みを浮かべた。


 ――この街にはヒトゴロシが住んでいる。

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