3 好きだから

「ッ!!」


 ガゴンッと吹っ飛んだのは秋堂さんで、笑顔を作ったのも秋堂さんだった。

 夕方とは反対側。公園に設置されたトイレの壁に向かって吹き飛んだ彼はそのまま地面を転がり、砂埃をあげて止まる。


「ぼ、僕は悪くない!!」

「見ればわかります」


 つーん。つんでれでれつーん……。


「は……はい……」


 一応助けられたってことになるんだろうか。身の危険をフルに感じた僕としては感謝の一言でも述べてもいいところだけど、残念ながらそうにはならない。寧ろ自体はメンドクサイ方向に蹴飛ばされて転がったばかりだ。


「はっ……はははっ……ようやく来ていただけましたねぇ、篠乃枝桜さァん――?」

「あのですね、私食事まだなんです。なので早々に帰りたいんですけど、いいですか」

「ダメに決まってますよー……、人に暴力を振るって、普通の人ならコレ死んでますよォ? けーさついきましょ、けーさつ。それでぜーっんぶ明るみになりますから」

「っ……」


 当然ながらそんなことはできないんだろう。


 変なところで常識人な篠乃枝さんだ。もしかすると家族には全部秘密にしている可能性がある。っていうか秘密だって言ってたっけ。学校は行ってないけど、あくまでも問題のない、ちょっとした反抗期を迎えちゃってるぐらいのレベルに思われてるのかもしれない。


「それに食事だったら……“ココ”にいますよ、お食事がー」

「……なんのことですか……? 意味が分かりかねますね」


 秋堂さんのふらふら軸のぶれる物腰に反して篠乃枝さんの表情は硬い。

 それは言葉遣いに現れ、そして頬を伝った汗は如実にその事実を浮かび上がらせる。


「……食べたんでしょう、ヒトを? 喰らったんでしょう……、ニンゲンをォ? ……ご感想、お聞かせいただいても構いませんかァあ?」

「…………!!」


 ドクンッ、と彼女の心臓が跳ねた。


 と、僕が語り手ならそう表現する。

 おそらくは彼女の隠していたであろう真実をやすやすと語った秋堂さんに対し、篠乃枝さんの体は固まり、驚愕に眼が見開かれる。


「意味がわからないわ」

「……あまり国家の力を舐めないほうがいーです……。ぜーっんぶ、お見通しですから」

「……カマかけるにしてももう少しマシな手を使って欲しいものですね」


 敬語になったのは動揺の表れか。彼女が人を殺していても何もおかしいことはないのだけれど、それで処分されることになるのはちょっと問題が有る。ちょっとどころではなく大いに問題、大問題だ。


「悪趣味ですね秋堂さん?」

「いえいえ、それはもう十二分にご存知のはずでは」


 そういやそうだった。この人普通に頭おかしいし。


 僕も人のことは言えないけど、本当に趣味が悪い。この場合、人が悪いって言い直したほうがいいんだろうか。この人の部下になる人は大変だぞ。頼まれても絶対にやりたくない。


「何の話かはわかりませんけど、この前の男の人やさっちゃんについて教えてもらってませんでしたね。あれはなんなんですか? どうして人が怪物に変身するんです」


 無論、こんな質問に答える必要はないんだろうけど、人が悪いなら弄んで来るだろう。そんな風に考えていたら案の定秋堂さんは笑って見せた。


「ヒトですよ、ヒト。ただの人です」


 そしてこっちの神経を逆撫でする。


「揶揄うのも良い加減にしてください!!」


 当然ながら篠乃枝さんも怒った。そして僕は呆れる。なんとなくわかり切っていたことだ。


「ちょいちょい、篠乃枝さん。ちょい待ち」

「だって……!!」

「待ってってば」


 冷静になるように促して秋堂さんを顎で指す。不敵な笑みはどう見ても真実を述べる顔だ。


 いや、わかんないけど。あれで本当におちょくってるだけなら人が悪いとか性格が悪いっていうよりも頭がおかしいとしか思えないけど。……おかしいからどうしようもないんだけど。


 多分、あの人の言っていることは正しい。あの男の人も、さっちゃんも篠乃枝さんも、全員多分ただの人間だ。少し変わっているだけの人間だ。


「わかってますねー。ええ、揶揄ってなどいません。正真正銘ただの人です。もっとも、人であって人間ではないと言わざる得ませんが」

「わかりやすく、説明して頂けませんか……?」

「んー、わかりますた」


 激おこぷんぷんな篠乃枝さん。僕が押さえつけていられるのもそう長くはなさそうだ。


「難しい話じゃぁありませんよ。生物的には人であるけれど、社会的には人間と認められない……、それだけの話です」


 秋堂さんは両手を広げ、泥まみれになった服をわざわざ晒すようにして語り出す。


「例えば、超人、という言葉がありますがアレに貴方は似ているのです。人を超えた人。人でありながら人を超越している存在。それが超人。……しかし、その超越の範囲にも限度があります。常識を超え、理解の範疇を超えた存在はもはやそれは化け物です。その昔、山に捨てられ成長して降りてきた『奇形児だった者』を“鬼”と呼んだようにネ?」


 人の社会で生きられないものを人はそこから押し出して隔離する。

 化け物とは「理解されなかっただけの存在である」とも言い換えられるのかもしれない。


 つまり篠乃枝さんは「普通の人とは違うだけの人」ってことになる――、なる……けど、


「そんなのッ!! 信じられるわけないじゃないですか!!!」


 そう、信じられるわけもない。


 ただの人の髪が動いたり、腕が伸びたりするわけがない。

 彼女の至っては全身が巨大化し、文字通り「化け物」になるのだ。


 それを「あなたは変わったところがありますね」で済ませるにはあまりにも“些細な個性”すぎる。


「信じる信じないは勝手ですが、遺伝子レベルで100%あなたは人ですし、病気でもありません。ただ、そういう特異性に目覚めただけ。それだけの話です」


 人は自分の能力の何パーセントしか使っていないという話は聞いたことはあるけど、もしかするとそれに近しいことなのかもしれない。


 僕らにはみんな篠乃枝さんのような力があって、発揮されていないだけと。

 真の才能は眠ったままなのだと。


「ありえないけどありえるんだろうなぁー……」


 だってそれが現実だもの。

 ありえなくても有り得る以上それはあり得るのだ。

 日本語ってほんと難しい。


「認めよう。篠乃枝さん。君は“普通の人”だよ」

「ッ……!!」


 その言葉がどれほど彼女を傷つけるのかを僕は理解している。

 理解してその言葉を投げかける。

 傷口を開くように、開いた傷口に塩を塗り込むがごとく。

 どうせならその傷口に口づけをして指で気持ち良くほぐしてあげたい程に。傷口だけに口付け的な。


「普通のっ……!! 普通であっていいはずがない!! だって……だって私は……!!」


 すでに彼女は取り乱しており、それ以上放っておくと自滅しかねないから、だから、


「人を殺した。人を弄んだ、そして人を喰らったんだろう? むしゃむしゃって」


 僕は彼女にトドメを刺す。

 僕の言った言葉に眼鏡の奥で瞳が大きく揺らぎ、焦点を見失った。


「むしゃむしゃ、ごっくん――……。それでも君は、ただの人だよ。怪物なんかじゃない。


 例え人の地肉を喰らっとしても、それに快感を覚えたとしても。君は異常者で化け物なんかじゃなくてただの人だ。ただの女の子なんだよ。わかる? 篠乃枝さん?」


 そして、力なくぶら下がっていた腕が勢い良く薙ぎ払われ、僕の頬を打った。

 音が吹き飛び、視界がぶれる。


「ッ……」


 悔しそうに僕を睨む彼女の顔が滲んで見えた。


「つぅー……」


 頬は熱を帯び、耳にキーッンと頭の痛くなるような音が響いていた。


「はははっ……流石だよ篠乃枝さん。いい反応してくれる」


 瞳に涙を浮かべ、今にも崩れそうな表情で必死に唇を横に割いて、歯を食いしばって、


「ほんと、君は面白いや」


 心から溢れた笑みが顔に浮かんでしまうほどに、その表情は魅力的だった。


「ねぇ? ねぇねぇ? 殺して食べた人の味はどんなんだった? 服は剥いだの? 骨は取ったの? 胃袋に収まった後、体が元に戻った後胃の中の人はどうなったのかなぁっ!?」


 ついついテンションがうなぎのぼり。鯉だって滝を登れそうな雰囲気で駆け上っていく。いや、かけ泳いでいく?


「あなたっ……なにをいってるの……?」


 怯え、恐れに染まった顔もまた、魅力的だった。


「なにって……感想を聞いているだけだよ。君のね。君のヒトゴロシ、いや人喰いに関する感想を聞いているだけだ」

「どうして……?」

「どうして?」


 それは「どうして私を裏切るようなことを聞くの」っていう意味だろうか、それとも単純に「どうしてそんなことに興味があるの」ってことだろうか。多分前者なんだろうけど、後者の意見も少なからず混じっていそうなので簡潔に答えさせていただく。


「――好きだからさ、当たり前じゃないか?」


 浮かんだ笑みは、作り笑顔なんかじゃなかった。

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