2 愛の告白に笑っちゃうぜ


 夜の公園は静まり返っている。


 そもそもここは数週間前に殺人事件が起きた場所だし、世間的には殺人鬼は身を潜めただけでまだ逮捕されていない。夜の出歩きは厳重に控えられており、犯行現場に足を運ぶものなど命知らずかタダのバカ以外にありえない。


 そして、その一員となってしまっている事に深く恥ずかしさを覚える。


「やーやーやー、電話で話しても良かったですけどねェ。直接の方が分かっていただけるかと思いまして。どうぞそちらへ」

「ええ、どーもどーも。あ、これそこの自販機で買ってきたんですけど飲みます?」

「どーもどーも」


 そこで買ってきたペットボトルの紅茶の蓋を自分で開けて締め直してあげる。ほら、ワインのボトルを開けて渡してあげる的な。すごく親切な行為で紳士アピール。

 それを受け取る秋堂さんはひょうひょうとした態度で本心は見えず、切れかけの街路灯の明かりはその表情を不気味に染め上げていた。


 誰も座っていないベンチに腰掛け、立ったままで鼻歌を歌いだしそうな姿を見上げる。ミルクティーは好きなのかぐびぐびっと飲み干して実に嬉しそうだ。もっとも、その視線は入口の方へと向けられていて、篠乃枝さんの登場を期待しているようだったけど。


「残念ですけど来ませんよ、彼女は。僕は人質になり得るような人材じゃないんで」

「おや、そうなんですか?」

「そうなんです。彼女にとっては価値のない人間なんです」


 ……やばい、言ってて悲しくなってくるぞこれ。いや、その通りではあるけど。


「かといって、人質になり得る人材でも困るっちゃーこまるんですけど」


 世の中ままならないもので、身の振り方が難しい。


「君の恋人は薄情なんだね。私には勿体ないヨ」

「どこから否定すればいいのかわかりませんが、とりあえず要件を伺っていいですか」


 夜中に男の人と密会だなんて嬉しくもなんともない。

 お腹も空いてきたし用事は早く済ませて帰りたい。もっとも、何も言わずに出てきたから帰宅早々待っているのはきっと、妹様のお説教か篠乃枝さんの不機嫌な笑顔か。


 うーん、笑顔であってほしいなぁ、うん。


「篠乃枝桜を私によこしなさい」

「よこしませんし、拒否します」

「何故」

「彼女は可愛いからです。以上」


 そもそも論で誰のものでもない件については今の所触れない。所有権の話をしたところでこの人には通じそうもないし、通じたところで譲ってくれるとは思えないし。


「彼女は化け物ですぞ?」

「化け物ですが彼女です」


 ぁ、いまのは彼氏彼女の恋人的な意味合いではなく女性を指す言葉としての彼女ね。

 必要ないから補足はしないけど。


「喰われるかもしれないよ?」

「だったらとっくに食われてます。僕の御心を」


 それはもうがっつりぐっぷりメロメロになるまで食われてます。じゃなきゃ学校をサボってうろつきませんし、家に連れ込んだりしませんもの。ええ。


 ……といって、唐突に裸の篠乃枝さんが浮かぶあたり僕も僕で思春期だなぁ。ナンパ目的で声をかけたわけじゃなかったけど、結果的にそんなことを考えるなんて、男の子恐るべし!


 あ、今は関係ないか。


「とにかく僕は彼女を譲るわけにはいきません」


 いや、関係あるな、漢と書いてオトコの見せ所だもんなココは。


「力尽くといっても……?」

「篠乃枝さんの方が怖いですから」


 ボキボキと指先を鳴らすわけではないけれど放たれるオーラは並大抵のものじゃない。

 月夜に雲が流れ込んで、影で覆われた世界の中でその存在感だけはハッキリ浮かび上がる。


 いわゆるヒトゴロシの殺気。秋堂さんに言わせてみれば「化け物退治」のオーラ。


 一般の高校生が立ち向かってどうこうなる問題じゃぁない。

 ここは素直にごめんなさいするか、見て見ぬ振りをして通り過ぎるのが一般的だろう。


 だけど立ち向かう。勇気とか好奇心とか、思春期特有の顧みなさとかじゃなくただ当然の理由で。篠乃枝さんをこの男に殺させないために。


「だって貴方、ヒトゴロシにはなれないんでしょう?」


 たった一つの確信を武器に立ち向かう。


「…………」


 根拠のない確信を胸に。


「あくまでも公務員、じゃないんですか?」


 不敵に、笑って見せた。


「……公務員さんを揶揄うと酷い目に会うってお父さんにならいませんでしたかぁ……?」

「生憎父という存在に疎くてですね。そう言った事を教わったことも、キャッチボールした記憶もないんですよ。だからすみません? 不勉強で」


 第一、ここで僕を人質に篠乃枝さんをどうこうできるのであれば最初から秋堂さんは手を出しているだろう。回りくどい事はせず、あの場で、タケルくんを見逃すことなくさっちゃんを片付けるのと同時に僕ら目撃者の息の根も止めるーー。おお、必殺仕事人みたいだ!


 けど、そうはならなかった。


 一種の変態の類で回りくどい考え方をしている線もあるけれど、彼はあくまでも「公務員」で善良な一般市民には手を出さない。――否、出せない。


「秋堂さんは良い人、ですもんねっ?」


 だから僕は笑える。笑って受け答えできる。

 恐怖心に心を支配されることなく、自分の中にそう言った根拠のない確信を持つことができる。誰にも理解されることなく、共感されることもないけれどそれ故に「僕という存在」は揺らがない。


 揺らぐ必要がない。

 だって僕は変わっているのだから。


「それを免罪符に僕は貴方に立ち向かおう」

「…………」


 秋堂さんはダンマリだ。


 月明かりが再び降り注ぎ始め、いつの間にか消えていた街の声が再び届くようになっても彼は動かなかった。否、動けなかった。


 もう帰るしかないのだから帰ればいいのだ。大人しく。篠乃枝さんが乗ってこない時点で手出しはできない。囮捜査でもおこなって、彼自身が犯罪者となる他、篠乃枝さんが手を出すことはない。そもそも僕には人質の価値はないのだから。


「もしかして寝ていませんよね……?」


 心配になって顔を伺ってみると意に反して彼は笑っていた。

 空に浮かぶ月は満月で、そこに浮かぶ月はやっぱり三日月で――、


「くぅううっ……! ここまで馬鹿にされると大変楽しいですぅっはい!」


 大声でご近所さんの迷惑など気にかけることもなく秋堂さんは笑い、声を上げる。


「やー、秋堂さんもしゅーどーさんで大概ぶっとんでますよねー」

「じゃなきゃぁこんな仕事つきませんヨォ」

「あ、そりゃそうか」


 なんか無駄に納得がいった。


 化け物退治(?)なんて命がいくらあっても足りない仕事普通はつかないわな。

 ていうか、そもそも普通の人がついても途中で頭おかしくなりそうだ。


「化け物っていっても元を正せばタダの人ですもんね」


 それを殺してんだから、普通だっていう方が異常だよ。


「……あ、そういうことか」


 わかったぞこの人。っていうか、今更気付いたぞ。しょっぱなから頭おかしくて調子狂わされてたけど、この人頭おかしいんだ。尋常じゃないレベルで。

 それこそ、異常者っていうレベルで。


「秋堂さん、貴方普通にヒトゴロシですね」


 それも合法で人を殺せる職業ヒトゴロシ。


 慈善事業ではなく「偽善事業」だと彼が言った意味を今ならわかる。この人、自分が殺したいから殺してんだ。趣味と仕事が一致しちゃった人だ。やばい人だ。


「そーなんですよ、はぃー、人を殺しても許されるなんて最高なお仕事だと思いませんかァ」


 やー、どーだろうなそれー……。少なくとも篠乃枝さんはあの腕ひゅんひゅんさん殺すとき笑ってたけど、それはほら変身してたから凶暴になってました的なので、彼女自身は「殺す」って言葉すら言えないぐらいに嫌悪してるようなんだど?


「僕は就きたいとは思えませんねー……。普通に事務仕事がいいです」

「それは残念です。最近部下が一人行方不明になったので新人枠余ってるんですけどねェー」


 それってもしかして仕事中に行方不明と見せかけて秋堂さんが殺したりしてません?


 殺処分の対象が暴れた結果、部下が命を落としましたとか。……ぁ、それはないのか。一応この人法律は守るんだ。律儀にも。なんていうか、篠乃枝さんとは違う意味で歪みすぎてて笑えてくる。


「ほんと、篠乃枝さんに出会ってなかったらちょっと考えたかもしれませんけど、今の僕には彼女がいますからね、残念ながら」

「そぉーですよねぇ。私も男と女なら女の子の方がいいですものぉ」


 一致してしまった。


 もともと認識が似てるところはあったけど、あんまり意見を揃えたくはなかったかなぁ。


「じゃあ、その篠乃枝さんがいなくなれば部下になってくれますカ?」

「はい?」

「だから、私の物に、なって く れ ま す か ぁ ?」

「…………」


 いや、ちょっと待て。それは予想外だった。

 この人の狙いって篠乃枝さんじゃなかったのか。


 なんで股間のところちょっと膨らんでるの? え? え?


「わたし、あなたみたいな美少年、大好きなんです」

「わ、わー……?」


 ご、強姦罪はオトコ→オトコには適応されないんだっけっ……?

 この場合は何になるの? 強盗? 暴力? ちょ、ま、ち、ちかいっ……!?


「どーです、新しいトビラ開きません……?」

「ひ……、開きませんね……」


 間近に迫った不健康そうな顔に思考停止ーー、し……かけてその足音に何とか意識を引っ張り戻される。

 予想外の展開に予想外の展開が付いてくる。


「青山くん……?」


 夜の公園で少年趣味の男性に迫られる僕に迫る、もう一つの影――!!

 よし、思考が戻ってきた!!


「さ……篠乃枝……さん……」


 何処か浮気現場を目撃されたようなシチュエーションだけど全面的に否認させてもらう!


「僕は悪くない!! 悪いのこの人、この秋堂さん!!!」


 そうこうしているうちに足音はすぐそばで止まるわけで、秋堂さんは嬉しそうに振り返ってその眼鏡の奥の瞳に笑みを浮かべるわけで――……、


「私はどうしたらいいと思う?」

「わ……笑えばいいんじゃないかな……?」



「…………えへぇっ」



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