5 さっさと殺処分。

「         」


 アスファルトが捲れる、小さな体が眼前に迫る。


「っあ!」


 悲鳴にもなりきらない声をあげて腕を引っ張られるがままに地面に叩きつけられる。

 後頭部のギリギリ上を体が吹っ飛び、後ろに転がっていった。


「……ぉー……、まさに間一髪……」


 ていうかこういう不測の事態多すぎやしないか。どんだけ人をビックリさせれば気がすむんだ。


「たっ……タケルくん!!?」


 のんきに感想を述べているうちに篠乃枝さんは立ち上がり、彼の元へと駆け寄った。


「タケルくん!! 大丈夫!?」

「う……ぁ……さくら……さん……?」


 大丈夫って聞くぐらいなら受け止めてあげればよかったのに……、とは言わない。第一、飛んできたのは僕に向ってなのだし受け止めなくちゃいけなかったのだとしたらそれはやっぱり僕だろう。


「うーん、複雑な心境」

「ひどい怪我……」


 そうこうしているうちに篠乃枝さんは彼の怪我の具合を確認する。

 すごい勢いで吹っ飛ばされてきたけど、サッカーボールの代わりにでもなっていたのかな?


 そんなサッカーコートのあるであろう河川敷から坂を登って姿を現したのは秋堂元だった。


「……おやおやまぁ、またデートですか? 羨ましいですねぇ……」


 だからってことあるごとに邪魔をしてくるのはどうかと思うのだけど。あまり嬉しくない青春でも送っていたんだろうか。リア充をみると爆発させたくなるような。

 まぁ、逆の立場なら僕も邪魔したくなるけどさ。行動に移すかどうはか別にして。


「あなたねぇ……!」

「あらまぁ随分怒っていらっしゃるようで。邪魔をされたのは私の方なんですけど」


 電柱に隠れるのも忘れて篠乃枝さんの臨戦態勢を眺める。

 ぴりぴりとした空気が肌を焦がすようだ。


「とりあえずそっちの君は知っていると思うんですガー、下手に邪魔をすると対象が増えちゃいますよ?」


 秋堂は相変わらずふらふらと立ちながら胸元から書類を取り出す。片手にペン、片手に書類。恐らくあそこに記載されているのは篠乃枝さんのことなんだろうな。


「なに、私も殺処分するってことですか?」

「ええ、まぁ……。現状観察対象とはなっておりますけどー……、私としては一気にまとめてしまえるのならばそれに越したことはありません。ーー楽しみが減るのは少々残念ですが」


 ああ、そっか。やっぱりこの人は三日月で笑うんだ。

 コートをはためかせ、白い手袋を手にハメる。

 心から楽しそうに。心底嬉しそうに。

 ボキボキと指先を動かしながらこちらを吟味した。まるで篠乃枝さんも獲物にランクアップされたかのようだ。


「それは困るので、ほいっと手を出します」

「……は……?」


 篠乃枝さんをひっぱって道の脇へ連れていく。当然抗議の声が上がるが、とりあえず今は無視だ。その口を手で塞ぎ、無理やり電柱の陰に引っ込めようとする。


「この通り、彼女は人畜無害な存在ですのでどうかお気になさらず」

「あのねぇ青山くん!!」

「いいから、黙って」

「んぐっ……!?」


 もう一度手で口を押さえ、ぐいっと引っ張り込む。実力行使されたら僕なんてひとたまりもないんだろうけど、やっぱり篠乃枝さんは優しい。とりあえずは従ってくれた。


「秋堂さん。あなたの仕事は“市民に手を出した怪物の処理”なんですよね」

「ああ、そうだ」


 ぴくり、と、篠乃枝さんの体が動いた。

 おそらくは「怪物」というキーワードにひっかかったんだろう。

 無理もない。敏感な年頃だから。


「なら市民に手を出していない篠乃枝さんは対象にならないはずです。違いませんか?」

「違いませんねぇ」

「ならよかった」


 にっこりにっこり。腹の隠しあい。

 本音を見せることなく建前だけで会話する。

 負けず劣らずこの人も性格悪いなぁ……。ほんと友達になりたくないタイプだ。


「てわけで、邪魔をする気はないから好きにするといいよ。お姉ちゃんは僕が押さえておく」


 そうタケルくんに告げると彼は悲しそうに目を細めた。


「お姉ちゃん……、ごめんなさい」

「タケル……くん……?」


 その手には小さなナイフが握られている。いや、ナイフなんて上等なものじゃない。ただの包丁――、布が巻かれた料理包丁だ。塞がれた口が自由になり、唖然とした様子で彼女は彼を見つめる。


 おおよその推測通りなので驚きはしない。

 妹が怪物ならその兄は怪物を守る騎士なんだろう。


「男の意地なんだよ、これは」


 まだまだ小さいけれど、やっぱり男の子なんだね!

 ん? 小さい男の子ってなんだか頭痛が痛いに通じるものがあるな。気のせいか?


「サチを……離せ!!」


 小さな体から怒号が発せられた。


「ん?」


 首をかしげる秋堂に対し、もう一度彼は叫ぶ。


「サチをッ、離せーッ!」


 と同時にその体が突進する。人に突き刺しちゃいけない危ない刃物を突き構えて、真っすぐ突き進んでいく。 


「ふーむ、流石にお仕事とは言え小さな子供に手を出したとあっちゃァ……」

「あっ……」


 その指先が包丁の先に軽く触れ、


「ぴーてぃーぇーに怒られちゃいますねぇっ!?」


 ボギッと折った。

 そのまま、突進してきたタケルくんを躱し、体を捻りながら優雅に、難なくと。


「ていっ」


 ごぎっと捌いた体の勢いのまま、踵で持ってタケルくんの足を攘う。

 当然ながら前向きに突進していた勢いはそのまま彼に跳ね返り、アスファルトで舗装された地面に突っ込むことになる。


「っぁ……」

「暴力はいけませんよ、暴力は」


 そしてひょいっと持ち上げたのはさっちゃんだった。コートの中から小さな影を引きずり抱いてくる。髪を束ねてまるで人形でも持ち上げるかのようにして彼は笑う。


「私はこれでもルールに則って仕事をしているだけです。苦情があるなら窓口へどうぞ。お昼10時から16時まで受付中です」

「ふざけんな!! さちを離せよ!!」

「叫んでばかりで、それで何かが変わると思ったら大違いですよー? 妹さんを守るには手段を間違えましたね」


 人の神経を逆なでするように言葉を紡ぎ、案の定タケルくんはそれに対して激昂する。


「ああああ!!!」


 がむしゃらに突っ込んでくる体に対し、


「ていっ」


 げほんっと蹴りが打ち込まれる。


 大人と子供ではハナから勝負なんてなるわけがない。ぐりぐりと仰向けに転がったお腹をにじり潰すかのように踏んだ。PTAがなんだと言いながら性格が悪い。


「他に手がなかった、どうすることもできなかった。今の貴方にはそういうことすらできないでしょうがそれはあなたの血となり肉となり、将来を構築する大いなる経験となります。よかったですね、森屋タケルくん? いい経験ができて」

「……!!」


 口の端から血を流し、悔しそうに睨みつけるタケルくん。

 何を言うまい、人生は苦いものだ。守れるものの方が随分と少ない。


「……ん……?」


 腕に抱きかかえた篠乃枝さんが震えていることに気がついた。


「はなして……」


 我慢の限外だと言わんばかりに腕を震わせ、奥歯を噛み締めている。


「はなして……!!」


 無理やりに僕の手首を掴み、主導権を奪い返した。

 最初から仮初めの束縛でしかなかったのだから僕は抵抗することもできない。


「ダメだよ、篠乃枝さん。君まで処分されちゃう」

「かまわない……!!」


 メガネを外し、髪がふわりと怒りで逆立つ。


「目の前であの子達を殺されるよりかはずっとマシです……!!!」


 片手でボタンを外しながらメガネを僕に突き出すと目で訴えかけてくる。

 止めるなと、これ以上先は自分一人で行くと。

 そりゃそうだろう、仲の良い兄妹を彼女が見捨てられるとは思えない。でも、


「だからツマンナイんですってば、そーゆーの」


 くるりと体を反転し、メガネを受け取ると見せかけて今度は僕が手首を掴み返した。そのまま再びお口に蓋をする。まぁ、今回は妹から拝借してきた魔法のハンカチで、だけど。


「ぁっ……?」


 悲鳴をあげ、一瞬息を吸い込んだ篠乃枝さんに思わず頬が緩む。

 布に染み込んでいた液体が気化したものが肺に吸い込まれ――?


「おぅっとっと」


 膝からがくんっと倒れこんだ。


「ふー、なんだかんだ言って女の子だもんね」


 そっと体を支え、地面に下ろすと抱きかかえる形でメガネを元に戻してあげる。

 何気にメガネフェチだったりするのですよ僕は。

 彼女は何が起きたのか分からず目を白黒させている。


「おやおやおや、随分乱暴なことをなさいますねぇ」

「こーでもしないと篠乃枝さん止まらないから。いやはや天然って怖いもんです」


 パクパクと口を動かして彼女は何か言おうとしているけれど、多分それはもうしばらくできない。指一本にも力が入らないはずだ。


「ぁ……あ……」

「んー……威力は格段に上がってるなぁ……」


 これを自分に使われていたとなるとさっき駅前で没収しておいて良かったと思う。

 いざという時のためにスカートのポケットに忍ばせておくだなんて、妹は忍者か何かなんだろうか。


「ごめんね、篠乃枝さん? 君のためでもあるからさ?」

「ッ……」


 微笑み、理解を求めるが彼女には伝わらないらしい。

 最初から何も伝わっていなかったわけだし、仕方がないっちゃ仕方がないかな……?


「さて、秋堂さん。あなたには何の私怨もございませんが、手のひらの上で踊らされるのはちょっと不愉快なんです。でもそれって誰でもそうだと思いません?」


 ころころころころ、好きなように弄べるのは強者の特権だ。

 だけど、それは有無を言わせぬ強さゆえに許される行為であって、力の通じない相手には意味がない。


「善良な一般市民には手を出せませんよね? 飼育員さんっ?」

「……至極残念だよぉ」


 ぶんっ、と彼の体が逸れた。

 状態を捻り、首を絡みとらんとしたソレを避けたようだ。


「おお」


 無理やり彼の手から逃れたさっちゃんが攻撃したらしい。


「ならば、善良なる一般市民はそこでじっとしているが良い。ここから先は悪意の世界だ」


 宙に小さな体が浮いていた。

 長い髪はそれぞれが意思を持っているかのように蠢き、その小さな体を支えてうねうねとうごめく。それはまさに伝説に登場するメデューサの如く異様なオーラを放ち、まさに「化け物」と表現するにふさわしい目で僕らを見下していた。


「“おにぃ……ちゃ……おにちぃ……ちゃ……?”」


 異様に震える声でさっちゃんだった物が喉を鳴らす。

 畏怖を与えん姿のくせに恐怖を覚えているのは彼女の方らしい。


「ダメだ……ダメだよ、サチ……これ以上は……、もう……!」


 タケルくんは必死に訴えかけるがそのいくつもの髪の束は彼女の意思とは別に動くらしく、それぞれが秋堂さんに向かって危害を加えんとしていた。


「ふふふー、良いです良いですねー」


 ニコニコと笑いながらそれを眺めながらフラフラ揺れる秋堂さん。


「やめて……? さち……?」


 そんな姿を秋堂さんが見つめ、そして笑った。


「早くしないとお兄さんをもっと痛い目に合わせてしまいますよ?」

「…………!!!!」


 その言葉が引き金になったらしい。


「“おにいちゃっん……!!”」


 悲鳴のような言葉とともに髪が舞い、コートが翻った。


「さち!!」


 兄妹の悲鳴が交差し、一筋の影となった秋堂さんは次々突き出される髪の束を交わしてさっちゃんの背後に回る。アスファルトは破壊され、突き破られた地面はそこらじゅうに四散する。


「“ぁあああ!!!”」


 ぶんっと薙ぎ払われる髪、跳ぶ交う影。

 堤防の役割を担っていた河川敷との境が一瞬にして吹き飛び、その粉塵に紛れるようにして再びコートの裾がはためく音が響いた。


「そうやって人々を殺め続けてきたんですカ」


 しかし、それも長くは続かない。


「“――――!?”」


 ぐいっ、と後ろ髪を引っ張られ、小さな体はひび割れたアスファルトに叩きつけられる。


「さぞかしみなさん、苦しかったデしょうニ……!」


 ごんっ、と鈍い音が響いた。

 ゲホッ、と柔らかい音が耳に届いた。


「はーっいっ、はいはいはーっい」


 ぶんっぶんぶんぶんっとおもちゃの人形でも振り回すかのように髪を掴んだまま小さな体をあちこちに叩きつけ始める秋堂さん。その度に悲鳴にもならない呻きと共に鮮血が散り、辺りを染め上げていく。


「さち……さちぃい……!!!」

「ははっ?」


 駆け寄る兄は遠慮なく蹴り飛ばされ、道路を転がって数メートル先へ蹴飛ばされる。

 立ち上がる力もなく、ようやく顔を上げた時、妹は無残な姿へに染まっていた。



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