3 猫探し


 夕暮れ時、ついこの前までは上着一枚羽織りたくなるような感じだったがここのところその必要もなくなった。ともすれば、やはりもうすぐ夏がやってくるのだろう。


 その前に鬱陶しい梅雨の季節が待っているのだけれど、雨の日は嫌いじゃないからよしとする。どちらかというと花見の季節はゴミが増えるからそっちの方が嫌いだ。


「篠乃枝桜って桜があるけどね」

「……? なんですかいきなり」

「なんでもないよ。独り言」


 さてはて、どうやら街中を探索し、あの男を見つけられなかった篠乃枝さんは消沈気味だった。せめてもの慰めにと自販機で炭酸ジュースを買ってあげたら一気飲みされた。


 炭酸ジュースを一気飲み。女子にあるまじき行為。

 いや、女子がそういうことをするのかしないのかはわからないけど、少なくとも男子でも炭酸をそれはかなり厳しい。げっぷでないのかげっぷ。


「探せば見つからないなんて。本当に面倒……」


 そーですねー、探さないと向こうからやってきてくれるんですけど、それについては何も言えません。言ったら兄妹のことについても言わなきゃいけないし。


「あー、篠乃枝さん? なんでそこまであの男にこだわるんですー?」

「言ったでしょ、あのまま放置しておけば家族に事が知れるからよ。あなたも、学校に行けなくなるのは嫌でしょう?」


 いえ、別に学校にそれほどの未練はありませんが。


「篠乃枝さんは学校に戻りたいの?」

「……は?」

「いやなんとなく。そうなのかなーって」

「……戻りたいですよ。……悪いですか」

「いえ、悪くありません?」


 いたって健康。健全なる精神そのものでございます。如何なる事情でそうなってるのかは知らないけど、彼女は彼女なりにいろいろあって「不登校」にならざる得なかったんだろう。

 十中八九、あの怪物の事が絡んでるんだろうけど。


「それほどいい思い出のある場所ではありませんけど……。なければないで寂しいものです」

「……ふーん……」


 よくわかんないなぁその気持ち。

 行かなければ行かないで物足りないのはわかるけど、寂しいとなるとちょっと違う。

 卒業式を迎えた三年生の気持ちかな? 残念ながら式で泣いた記憶がないのでなんとも言えないんですが。


「でもさ、多分平気だと思うよ。放置しておいても」

「……え?」

「多分バレてはいるけれど、手出しはしてこない。それこそ問題を起こさない限りね」

「……」


 そもそも本当に追い詰める気があるなら証拠のあるなし関係なく、とりあえず行動を制限させればいいのだ。守秘義務というけれど、検査とでもなんとでも言い張って連行し、実情を確かめる。その上で処理するかどうかを決めればいいだけの話であって、野放しにされている現状は恐らく「好ましくないが最も良い状況」だと僕は思う。


「どのラインが“処理されるレベル”なのかはわからないけど、篠乃枝さんがおとなしくしている限りは何もしてこないと思うよ。そうじゃなきゃとっくに家族に連絡がいってる」


 既に家族が皆殺しになっている、とかいう場合じゃない限りね。


「……そうはいっても……放っておけませんよ……」

「どうして?」

「それは……」


 言い淀み、うつむく。

 相変わらず帽子が邪魔で表情は読めない。


「ふーむ……」


 恐らくは兄妹の件だ。

 あの二人が「自分と同じ」ということを篠乃枝さんは隠したいんだろう。

 デリケートな問題らしいから「誰それがそうです」と大口で説明するのは気がひけるのかもしれない。


 まぁわからなくもない。他人ひとの秘密は自分おのれの秘密だ。誰かのことを話したらならば、自分のこともそれ相応に話されると考えてるのが妥当である。

 でも、篠乃枝さんは気づいてないんだよなぁー。既に手遅れだって。


 事実、彼女は既に見過ごしてしまっている。あの二人が“普通じゃない”ことを知っているとはいえ、両親を手をかけていたことを“あの夜の日”気がつかなかった。


 あれほどの異臭を嗅ぎ逃すなんてことは普通ありえない。

 ありえたのは「死体を認識できないから」だ。

 なんと悲しい話か。誰よりも人の身を案じているのにもかかわらず、その危険が迫っていることを本能的にシャットダウンしてしまっている。悲しすぎて笑い声が溢れてしまう。


「なに。気味が悪いのだけど」

「ああ、ごめんごめん」


 頬を元に戻す。これ以上変に思われたら大変だ。


「篠乃枝さんってさ、面白いよね」

「…………」


 その発言をどうとったのか盛大に顔を歪める篠乃枝さん。

 いや、どうとろうが「面白い」と言われて喜ぶのは漫才師ぐらいなのだけど。


「喧嘩を売っているのかしら」

「どうして喧嘩口調になると敬語が取れるのか教えて欲しい」

「特に意味はないです」

「無自覚な訳ね」


 別に彼女に恋をしているわけじゃないんだけど、一緒にいると飽きない。

 それってつまり恋の一段回も上にある「愛」の部類に入るんじゃないだろうか。いや、入らないか。


「愛おしい気持ちは無きにしも非ずって話だけど」

「あなたも大概面白い人ね。一度頭の中覗いてみたいわ」

「物理的に?」

「比喩表現的に。言わないとわかりませんか?」


 お手上げポーズで和解する。閑話休題。


 とりあえず考えるべきことは僕が彼女をどう思っているのか、ではなく「彼女をどうしたいのか」だ。


 一貫して「とりあえず面白そうな人を見つけたので観察したい」というだけの欲望しか持ち合わせていない思春期真っ只中な僕なので、どうするこうするという話でもなく「なりゆき任せる」のが正しいし、その選択を選びたい。……のだけれど、なんだろう、それじゃつまらない気がするんだよねぇ、見ているコッチが。


「特には手を加えることも必要ってことかな」

「独り言には突っ込みませんよ」

「そうしてもらえると助かるよ」


 笑顔で答えて周りを見回す。夕日は沈んで公園に夜が訪れようとしていた。


「……猫、いませんね」

「まぁ、彼奴らにもいろいろあるんだろう」


 実際のところ、暴れた怪物がいたからに他ならないのだけど。


「……」


 斜めに傾いている滑り台をなんとなく眺める。篠乃枝さんはあれに疑問を持たないんだろうか。それともメガネのピントが合ってないとか……? ありえるな。超人的な身体能力。良すぎる目を抑えるためにピントのずれたメガネをかけている。


 うん、この前の夜メガネを外した理由としてはなるほど納得がいく。


「服を脱ぐ順番としてはメガネってどこで外すか悩むよ、げふっ!?」

「……なにを思い出していたんですか?」

「いえ……べつに……」


 思いっきりお腹に裏拳が叩き込まれていた。

 痛い。普通に痛い。

 思わず前のめりに口を突き出して「あああぁああ……」とかこぼしちゃうぐらい痛い。


「痛いっていうか苦しいが近いかな……」

「はぁ……」


 彼女が立ち上がってくるりとこちらを振り向く。

 その視線は鋭く、それでいて何処か悲しそうだった。


「ねぇ青山くん。私は貴方のことがよくわからない。なんのために私に近づいて来たのか、どうしてそんなにひょうひょうとしていられるのか。本当に頭の中を覗かせて欲しいぐらい」

「うへへ」


 褒められるんだとしたら光栄だ。でも蔑まれてるのならそういう趣味はないから他の人に譲りたい。ずざー。


「でも一応信用はしているの。人を食ったような態度を取ってはいるけれど、なんだかんだ言って私に付き合ってくれているし、この前だって逃げ出さなかった。……だからできればちゃんと向き合いたいと思ってる」


 誰と? ……僕と? 一体何について。どうやって。


 篠乃枝さんは勝手に盛り上がっているようだけれど、本当に僕は一般市民であり貴方のような非日常に生きる人間とは違うんですよ?


 それと分かりあいたいって、もはやそれは異文化交流。どうしようもない価値観の垣根を越えた未知との遭遇じゃありませんか。


「お願い。隠していることがあるなら教えて。あそこで傾いている滑り台は何があったの?」


 ビシっと指さされる先は可哀想な滑り台さん。

 十数年子供達を支え続けてきた支柱は、悲しいかなその子供たちによってねじ曲げられたのです。


「……ちゃんと気づいてたんだ。よかった」

「……」


 メガネでピントをずらしてるっていってもあれが見えないようじゃぁずらしすぎだよ。そうなるとずれてるのは視界じゃなくて脳みそってことになるから、治すのは目じゃなくて頭。思考のピントを合わせてくれないとっ。


「かんわきゅーだい」

「……青山くん……?」

「いいよ、話そう。どうしようか悩んではいたんだけどね、そっちの方がお話としては面白くなる」

「ありがとう」

「どーいたしまして」


 でも感謝されるような話じゃぁない。僕はただ、君のことを思って何かをするわけでもなければ、他の誰かのために行動に移すわけでもない。

 ただ好きなように、ただ望むがままに「君のことを観察させてもらう」。それだけだ。


「実はね、森屋兄妹が狙われてる」

「……?」


 その言葉のニュアンスにさすがの篠乃枝さんもぴーんと来たようだ。

 いや、来て貰わないと困る。

 狙っているのは秋堂元。さっきここで殺し合いに発展して、僕も危機一髪殺されるところだった。


「…………お?」


 そう言おうとして突然の爆発音に言葉を押さえつけられた。


「……あー……、こりゃお仕事大変そうだなぁ……?」


 超人バトルの幕開けは大抵市街地での大爆発と決まっているものだけれど、それを秘匿していかなければならない秋堂さん一派(?)は日頃とんでもない苦労をしているんだなぁと他人事に想いを馳せる。


「見ての通り、ピンチだね」


 見上げ、伺った先。

 普段は伺えない帽子の下の表情がここからだとよく見えた。


「さぁ、心優しいお姉ちゃんの出番だよ」


 悔しそうに黒煙の登る街を見つめる彼女はとても美しかった。

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