5 いわゆるデート


「とりあえず、今日のところは解散しましょ……」


 そういった篠乃枝さんの表情は暗く。到底何かを尋ねようとは思えなかった。

 そもそも僕自身、柄にもなく疲れていた。


 ただ自分の部屋に着いてから「人が変身して」「彼女が化物になって」「変な男の人が現れた」らそりゃそうもなるか、と変に納得がいってしまった。


 どう考えても日常離れしすぎている。もともとこの街は平穏とはほぼ遠い位置に移動しつつあったけれど、今夜の出来事はパラレルワールドでのアレコレですと説明された方がまだ納得がいく。そもそも「人が変身する」って何だよそれ、普通にフィクションのお話じゃないか。


「でもフィクションじゃないんだよなぁ、これがー……」


 一応まいったフリをしてみるけれど誰にも見てもらえないのが残念だ。心底まいっていたりもするのだけど。


 ていうか、僕も「ああいう風に変身できる」って思われていたことに驚きだ。天然すぎるだろ、篠乃枝さん。


 用心深いのか信じやすいのか、何も考えてないのか何かを隠しているのかーー。隠していることは確かなんだろうけど……。とりあえず質問は明日にでも回そう。学校帰り、あの公園によれば会えそうな気もする。猫と一緒に。


「あの兄妹についてはーー……、いいや。寝よ……」


 僕の知るところじゃないだろう。篠乃枝さんが絡んでいくのであれば踏み込む話題なんだろうけど、今の僕にとってはそれほど重要でもない気がする。

 考えがまとまり切らないのは眠気のせいだと決めつけ、着替えも諦めてそのままベットに潜り込む。連日の深夜徘徊と頭の追いつかないあれやこれやの非日常で僕の生活はぐちゃぐちゃだ。


「……へんな話もあるもんだなぁ……」


 なんとなく呟いた言葉は空虚な闇の中に消えていった。

 疲れた頭はそれ以上なにかを考えることを許してはくれない。

 泥のように眠り、目が覚めた時にはすっかり元どおり、いつもの気分に戻っていた。



「……あー……?」


 しかしそんな清々しい早朝は予想外の展開でぶち壊される。制服に着替え、登校した矢先、校門の前で僕を篠乃枝さんは待ち構えていた。


「他校の生徒が学校の前で待ってるってのも新鮮だね」

「私は学校自主休学中だから微妙なラインではありますけど。出席日数は足りてる?」

「無遅刻無欠席の超優等生です」


 だからこれを破りたくはない。


「なら付き合いなさい。あの男について話があるわ」

「……えー……」


 最初から聞かなきゃいいのに。


「ほら行くわよ」

「はいはい」


 最初は勝手について行って嫌がられたりもしたけれど、いざ付いてこい、やれ付いてこいと言われるとなんだかまぁ身勝手な話だ。いや、身勝手なのは僕の方か。でもまぁ自分の自由が制限されるってのは迷惑極まりない。彼女もこんな気持ちだったのか。そうかそうか。


「これからは気をつけるよ」

「……なにを」

「身の振り方かな」

「……は?」


 どうにも話がかみ合わないけど。篠乃枝さんは天然だから仕方ない。

 それよりも他の生徒の視線が痛いな。あまり目立ちたくないのに……。


「で、どこに向かってるのかな」


 ていうか学校教えてたっけ? 襟元の校章とかで判断したんだろうか。よく見てるな。ていうかよく覚えてたな。


「あなたはあの秋堂元って男に見覚えは?」

「ないね。昨日の今日まで本当に優等生だったんだ。アウトローなお話には慣れてない」

「私を無理やり引っ掻き回した癖に、よく言いますね」

「……おや?」


 なんだ、拗ねてるのか? ていうか「私を引っ掻き回した」てなんか表現はえっちくありませんか篠乃枝さん? なんて軽口を叩きそうにもなるけれど、随分と重苦しい雰囲気に一応口を紡ぐ。今朝の彼女はそうでなくてもご機嫌ナナメらしい。ていうかすごくぴりぴりしてる。昨晩のあの秋堂とかいう男と話してるときみたいだ。


「何者なの?」

「何者かは分かりません。私が知っているのは“ああいう人達がいる”ってことだけです」

「……? よくわからないな。以前にも出会ったことが?」

「見かけただけです。たまたま、ぐうぜん。通りかかった時に巻き込まれて、私がどうにかする前に決着がついた。……それに越したことはないんですけど」

「んー……?」


 いつも以上に話が見えてこない。彼女の中でなんらかの共同意識(あの化け物に変身できる特殊能力者!)があるのかもしれないけれど、残念ながら本当に僕はただの元優等生で、必要最低限どころか情報の一つも持っていないわけで。ちゃんと説明してもらえないとにっちもさっちもいかない。


「一応確認しておくけど、君はあの男を探していたのかな?」

「あの男っていうと?」

「ひゅんひゅん男」


 腕を振り回す振りを付け加えて説明すると彼女は顔を露骨に顔をしかめて嫌悪する。そこまで嫌われてるとなると可哀想な気もするけど、まぁ確かに気持ち悪かったもなんな、あの人。


「探していたってわけでもないわ。……ただ目障りだったからどうにかしたかっただけ。ああいう人のせいで迷惑を被るのは善良な一般市民って決まってるから」

「まぁ……そりゃそうだ」


 迷惑をかける人は善良な一般市民とは言わないだろうし、そういう人達が身内だけのうちうちの世界で暴れるわけがない。無抵抗な、それこそ善良な一般市民を好き勝手食い荒らすもんだろう。


「その迷惑ってのは?」

「あの男」


 ……なるほどね。


 ようやく話が見えてきた。

 元々の原因はあの腕ひゅんひゅんの男で、その男が原因で秋堂元って奴が出てくるわけか。

 で、篠乃枝さん的には腕ひゅんひゅんは割と楽勝な相手だけど、あの秋堂は一筋縄ではいかないからぴりぴりしている、と。


「なんか最強っぽくも見えるけどね、篠乃枝さん」

「……怒りますよ」

「すみませぬ」


 やばい、超怖い。いつもより帽子を深めにかぶっているからか、そこから睨まれるとなんかすごい迫力あるなぁ……。ていうかいつの間にか敬語モードですか。うはー、マジ怖いー。


「なんというか……、ほんといい加減な人ですね」

「え? なにが?」

「その態度ですよ。少しぐらい真面目な顔できないんですか? 人をおちょくってるとしか思えません」

「って言われてもなぁー……」

 生まれつきこういう顔ですし、どうしろと。

「きりっ!」

「……はぁ……」


 うわ、落胆された。精一杯の真面目顔を掃き捨てられた……! とはいっても、なんらかの反応を期待していたわけではないから、別にそれはそれで気にならないのだけど。


 それにしたって、どこに向かってんだ。最寄駅は通り過ぎて住宅街へ差しかかろうとしている。このままじゃ昨日あの男に会った場所に。


「……ぁ」


 なるほど。そういうことか。

 考えが思いたると同時に目的地に着いたらしい。

 足を止めた彼女に習ってその場所を見渡す。


「これがあいつらの仕事よ」

「ふむ。ふむふむふむ」


 そういえば今朝のニュースは静かなものだったな。


 この街を騒がせていた殺人鬼の話は身を潜め、平和が戻りつつあるという話と近所のワンちゃん特集。僕はネコ派なのでそれほど嬉しくもない映像が賑やかに流れていた。平和なのはいいことだ。昨日の男の言葉を不本意ながらに借りることになるけれど、全くもってその通り。殺人鬼や変死体なんかはこの街には似合わない。あること自体が非日常なのだ。



「綺麗なもんだね、こりゃ」


 ゴミ回収のおじさんが清掃したわけではないんだろうし、町内会のおじさんおばさんが早朝から頑張ったわけでもなさそうだ。のんびりとした時間が流れ、寝坊したらしいサラリーマンが走り抜けていく。子供を幼稚園に送り届けた奥様は自転車でご帰宅だ。


「ああいう事件が表立つことの方が珍しいのよ。今回の件が特殊だったのか、それとも対応が遅れたのかはわからない……。けど、ああいう奴らが人を襲うたびにあの人たちはそれを隠滅する。……なんのためかはわからないけどね」


 そりゃぁ平和のためでしょう。きっと。

 昨晩といわず数時間前まで血の海地獄だった街の一角は綺麗さっぱり洗い直されていて、そこで殺人が起き、そして殺人鬼が殺害されたことなど微塵も感じさせなかった。血の跡すらひとつもなく、異臭すらしない。何かの洗剤で洗い直したにしてもその痕跡すら残っていないのだから、よほどお掃除のプロってことになるだろうか。


「君は“どっちの相手と”敵対しているだい?」

「…………」


 わずかばかりの沈黙。

 少し思案を巡らせるようにして視線を動かし、犬を連れたおじいさんが通り過ぎてから彼女はようやく口を開いた。


「……どっちもよ。どっちも……。どっちも私の敵ではあるわ」

「なるほどね」


 ――そりゃ難儀な話だ。


 僕には本質的には関係ないと見上げた。青空は何だかすごく青かった。

 ……彼女は彼女で暗雲とした気持ちらしいけど。


「これからどうするの?」


 さてはて。どうすると言われて、こうすると答えられるほど僕は当事者ではないのだけれど……。本当のことを言ったところで篠乃枝さんは「馬鹿にしてるの?」とか言いそうだし、それは身から出たサビ。どっちにせよ傍にいるにはそのまま勘違いしてもらってる方がありがたい。


「どうすればいいと思う?」


 なのでとりあえず話には乗っておくことにする。

 後のことは後で考えよう。殺し合いに巻き込まれたら嵐が去るのを祈るだけだ。


「そうね……目的は達成したのだから、あの男は去るはず……。だから貴方も暫くおとなしくしてて。……変に目をつけられたら厄介だから」

「了解でっす」


 確かにストーカー被害はご免こうむりたい。人様のことは言えないけれど、男が男に付けられるのはどうも色気のない話だ。危ない目をした女の子につけられるのもご遠慮したいけど。


「この界隈新参者な僕にレクチャーしてもらえると嬉しいんだけど、あの変身する力は何?」

「知らない。分からない。教えられない。でも……、いいわ? それでも分かることは教えてあげます。場所、移しましょう?」

「あ、うん」


 ……懐かれてんだか嫌われてんだか……よくわかんないなぁ……。悪い人ではないんだろうけど印象がちぐはぐだ。昨日の夜。嬉々揚々と殺人鬼をいたぶっていた姿がどーにも似合わない。もしかしてあれかな、変身すると気性が荒くなる的な。ドラゴンボールかよ。確かあれも強くなるにつれて一人称がオラからオレになってたもんな。篠乃枝さんもそんな感じだ。タメ語から敬語へ。怒ると怖い。……さすがに違うな。


 圧倒的に情報が不足しているだけなので閑話休題。道中の暇つぶしにしかならない。

 そもそも当初の目的は彼女に近づくことだったので、僕的にはもう目的は達成されているわけで。ここから先は本題というよりもおまけ要素に近い。

 僕にとってはこの化け物たちの世界がどうとか、殺人鬼の行方がなんとかよりも“猫に懐かれていた謎の美少女の行く末”が気になるだけなのだ。そこんとこ、お忘れなく。


 閑話休題。


 使い方あってんのか? これ。なんとなく語呂がいいから使っちゃうけど。


「ちりんちりーん」

「……なんですかそれ……」

「自動ドアの代わりに鳴ってみた」


 あ、そそくさと距離をあけられた。

 僕らがやってきたのは以前にも一緒にお茶をした(といっても問題は無い)喫茶店で、平日の午前中ということもあり割と席は空いていた。お互いにカフェオレのホットを注文して彼女は先に席を取る。カウンターでトレイにカップが置かれるのを待つ間、少し店員さんの視線が気になった。……まぁ、制服だしな……。「学校はどうした」と責められない教育ママに出くわさないことだけを祈る。その危険性を配慮してもう少し違う店を選んでくれても良かったんじゃないだろうか。


「あー……、篠乃枝さんは私服だからか……」


 相手の気持ちになって物事を考えましょう。なんてのは自分が被害を被ることになってから初めて気がつくことだ。今朝から学ぶことが多い。


「一応砂糖貰ってきたけど使うよね」

「ええ、ありがとう」


 ……店の中でも帽子は取らないんだなー……。


 もしかするとそれは彼女なりのカモフラージュだったりして。知り合いに見つかっても顔を隠せるから、とか。


 向かいの席にスティックシュガーを一本手渡しながら僕は僕でガバガバと砂糖を入れていく。我ながらコーヒーを飲んでいるのか砂糖を飲んでいるのかわからない代物だ。コーヒー1、牛乳1、砂糖1。甘ったるいなぁ、うん。


「そんなの飲んでるから頭の中も甘ったるいのよ」

「およ?」


 考えが口に出ていたかと思ったけれどこれは彼女なりの皮肉だったようだ。


「思うんだけど、僕って君にとってのなんなのかな?」

「……は?」


 言ってみてどうにも妙なニュアンスになったものだと顔をしかめる。


「あー、いや、変な意味ではなくさ。ある種の協力関係にあるって考えていいのかな」


 一体なんのだ。

 もともと不真面目なことは認めるけど口からデマカセをいうにしても自分の言っている意味が全く理解できてないぞ僕。深く突っ込まれれば頭を下げることにもなりそうだけど、そこは篠乃枝さん。天然っぷりを発揮して何やら考え込んでくださってる。


「……そうね……、協力者ってことでいいのかも……」

「あ……う、うん……?」


 どうしよう。真面目に全部「のりであわせてましたー!」てぶっちゃけた方がいい気がしてきた。騙し続けるのは不本意だし、話が噛み合わないまま巻き込まれるのはちょっと大変な気がする。


「できれば争いはさけたいものね。……あなたのその態度もそういうことでしょう?」

「あはははは……」


 ――あー、だめだ。ぶっちゃけたらこれはこれでやばいパターンだ。逆上してぶん殴られるぐらいならいいけど、下手したら昨日裸見てるしその件も含め八つ当たり的に潰されそう。ぷちっと。マジで、あの男の人みたいに。


「……順を追って確認していきたいんだけど、いいかな?」

「ええ、構わないわ? そのためのこの場なのだし」


 ほっと一息ついてカップに口つける。

 よし、糖分は頭の栄養。少しずつエンジンがかかって気がする!(気がする!)


「まずあの男について」


 腕の変身するひゅんひゅん男。状況から考えると消えた死体を作ったのはあの男で、それを篠乃枝さんは探していた。理由は町の平和を守る為、みんなの笑顔を守る為――。


「て感じなのかな」

「おおよそね。それであってる」

「ふーん……」


 正義のヒーローにはほど遠い風貌ではあったのだけれど、まぁ目的が達成されてるのならいいか。


「最初からあの人が怪しいって追ってたの?」

「いいえ? でもいるのはわかってたから……。あんなこと普通の人にはできないでしょ?」


 それもそうか。だとしたら確信したのは橋の下の死体を見つけてからってことになるのかな? それまでニュースでの報道はみていたとしても死体は見てない、否“見えなかった”わけだし。


「勘で探し当てるなんて流石だね」

「見つかればいいな程度だったのよ。別に本気で見つかるとは思ってなかったわ」


 そんな行き当たりばったりなお出かけに付き合わされていたのか……!

 別に楽しくなかったわけではないし、普通経験できないような体験をさせていただいたので文句は出ないけど。もし空振りに終わってたらそれ相応の眠気と納得のいかないもやもやがいっぱいだったろうなー……。


 空振りに終わっても絶対説明してくれなかったと思うし。


「じゃああの秋堂元て人はは何者なの? あいつも変身できるわけ?」

「いいえ、あの人は普通の人間。私たちとは違うわ」

「……ふーん……」


 彼女はずっとカップをの淵を指でなぞって思案している。あくまでも確認するのは僕の方で自分からは説明してくれないらしい。親切なのかどうなのか。うむ……?


「じゃあ何処かの秘密組織の人間とか?」

「せいかい」


 正解なのかよ。


「ああいう人がたくさんいるとは思いたくないなぁ……」

「私も同意よ。必要と言われれば必要なんでしょうけど。うっとうしい」

「……うっとうしいですか……」

「そうよ」


 真剣な瞳に今度は僕が思案する番。実は少し面食らっていたりする。適当に言ったことが核心を射ていた時ほど驚くべきことはない。冗談で言ったのだから否定欲しいところではあるけど――、


「政府は本格的に僕たちを探し始めたわけだ。――つまり害虫駆除ってことかな?」

「…………」


 やばい、いまのは失言。害虫さんの気持ちを考えられてない。害虫にも人権を! プラカードを持って行進しよう。


「冗談だよ。そんな顔しないで」

「なら口を慎んでください。ころし……っ……」

「……?」


 ころし……ますよ……かな……? なんだ? 昨日はあんな風に殺人鬼を処理しておいて「殺します」て宣言するのがそんなに難しいことなのか?

 いや、もしくは「死体が見えないこと」に関係している――トカ。


「…………」


 殺人鬼や怪物については興味はないけれど、彼女についてとなれば別問題。

 興味津津。頭の中で情報をこねくり回す。


「篠乃枝さんはあの男をどうこうするつもりはないの?」

「手出しさえしなければ平気よ。向こうも令状がなければ手を出してこないだろうし」

「令状……?」

「ええ、これぐらいの四角いーー、まぁ、殺処分許可証みたいなもの」

「……へぇ……?」


 自分で殺処分って言ったぞ。犬猫と同じじゃないか。どうなんだ、害虫はダメで犬猫はありなの? いや、害虫と犬猫なら犬猫の方がペットにしたいし、害虫をペットってもはやそれただの寄生生物だし、飼ってるっていうよりも居座られてるって方が正しいし。


「君たちは一体なんなの?」


 政府に命を狙われ、殺処分まで視野に入れられる存在。

 それは怪物なのか宇宙人なのか、はたまた何かの研究施設から逃げ延びてきた研究生物?


「……あなたにはそれが答えられるの?」


 返す言葉は鋭い視線。

 答えられるも何も、僕は完全に部外者なのです。篠乃枝さんのキメ台詞も効力半分です。


「無理だね。でももし、篠乃枝さんがそれなりの答えを持っていたらと思ったんだ」

「あ、そう……力になれなくてごめん」

「いや、気にしないで」


 落ち込んでもらう謂れはないからなー。嘘を付き続けるってなんて罪な生き方なんだろう。


「なんにせよ厄介な相手ではあるわけだ」

「相手にしたくない相手ではあるわ」

「なるほど」


 変に手を出さなければ問題は無い、と。


「関わり合いにならなければいいわけだね」

「そう願いたいものだけど――、……はぁ……」


 ……どうにもこうにも神出鬼没という言葉が似合う人らしい。


「おや、おやおや。こんな時間から学生デートとは最近の学生さんは随分自由な学園生活を送っているんですねぇ」

「……秋堂さん」


 噂をすれば影がさす。

 話題に触れればご本人が登場、か……。


「失敬。実はお二人を探していたのです。はい。偶然ではなく必然的にお会いすることになっているわけですが、構いませんか?」


 何も言うまい。目の前で何度目かの苦虫を噛み潰している篠乃枝さんについては触れたくはない。


「いったい何の用でしょうか」


 不機嫌を隠す素振りもなく隣のテーブルに腰掛けた秋堂元を睨む。


「内緒話です。よろしいかな?」


 ふらふらと芯が定まらないのか定めないのか。不安定な様相で秋堂さんはトレイに持ってきたカップを手で包み、ふーっと表面を吹き撫でる。

 どうやらカフェオレのようだ。お砂糖は入れず、ほのかな甘みを堪能する。


「言わなくてもわかってほしいけれど、あの日の晩に君たちが見たことは非現実的な話でおうちの人たちにはナイショにして貰いたい」

「そんなことを言うためにわざわざお店に?」

「いんや、これはただのモーニング。朝食は抜く派なので珈琲だけだがね」


 それはモーニングとは呼ばないのでは。とりあえず僕は二人の会話を眺めながら何本目かのスティックシュガーの封を開ける。さてはて、この二人の話はどこへ向かっているのか。


「平気ですよ。暗くてよくわかりませんでしたし、夢みたいなものだと思っています」

「それはそうか。よかったよかった。上司に怒られてしまうところだったよ」


 ふーむ。この二人、恐らくはそれほどの面識があるわけではないのになんだかソリがあってる気がする。僕の勝手な憶測だけど、立場が違えばそれなりに仲良くなれたんじゃないだろうか。


「お兄さんはお仕事でこの街に?」

「まぁね。おかげで忙しいよ。ああいう輩が蔓延るなんて迷惑極まりない」

「路頭に迷う人が減る分、役には立ってるんでしょうね」

「君はあれかな? 平和のためならなんだって利用していいという人なのかな?」

「すみません。何者かもわからないお方と仲良くおしゃべりするな、と母に教わっておりますので」

「聡明な母上だ」

「どうも」


 うん。仲良いじゃないか。言葉の応酬にトゲのある部分は仕方がないとしても少なくとも会話が成り立ってる。ていうか篠乃枝さんて本当に人と話すのが苦手な人だな。関わりたくないのなら無視すりゃいいのに普通に関わってんじゃん。自分から厄介ごとに乗っかっていって、後々文句こぼすタイプだろ。


「あの。お話の途中すみません。お仕事はもう終わったんですか?」


 傍観してばかりなのも飽きてきたので話に割り込む。このままだと平行線を辿りそうだし。


「ん? どうしてだい?」

「いえ、昨日のアレがお仕事だとしたらもう事件は片付いたのかと」

「なるほどねぇ。それはそうである。うん」


 細められる視線、対照的ににっこりと笑う口元。

 明らかすぎる作り笑いに僕も作り笑いで持って対抗する。


「そもそもお仕事ってなんなんですか? それも秘密ですか?」


 と、無言の内に警戒心の押収――。とは言っても僕の猫かぶりはそれなりに自分でも買っているので探りを入れられても痛くもかゆくもない程度に余裕がある。実際問題僕は当事者ではなく傍観者でしかないから何も出てこないし。


「そうだね。変な噂話でも流されても困るから君たちには話しておこうか。あくまでも傍観者でなく、当事者になってもらうことで事の重大さを理解していただこう」


 ありゃ、無理やり当事者にランクアップさせられるらしい。そんなこと望んでないし、するつもりもないのに。


「この町では連続殺人事件が起きている。それは知っているな?」


 指を組み、人差し指を弄びながら探りを入れてくる。いや、だから無駄だってば。


「らしいですね。まさかその現場に出くわすことになるとは思いませんでしたけど」


 一方、向かいに座る篠乃枝さんはさっきから何か言いたげに睨んできている。けれどこっちは無視だ。とてもじゃないがあのまま喋らせていたんじゃ自分から自爆しちゃいそうで見ていられない。


 見ておれ! 僕のペテン技術を! ご覧アレ! 君をも惑わした巧みな話術を!

(篠乃枝さんは勝手に勘違いしただけだけど)


「ああいう事件は日本各地、世界各地で起きている。政府は隠しているがな」

「ほう」


 嬉しそうだな。

 なんとなくそう思った。事件が起きることを楽しみにしているーー、そんな感じだ。

 なんとも仕事熱心なおじさんで感心感心。この日本の未来は明るいぞ? 既に得体もしれない闇がはびこってはいるけれど。


「すべては精神異常者のなせる犯行。頭のネジが外れた拍子にリミッターが外れた奴らが暴れてるんだ。で、おじさんたちはそういう人たちにネジか釘を刺して回る役割。分かるかな?」

「標本作りですね」

「その通り。いいセンスだ」


 変に仲間意識を持たれても困りますよっと。


「僕らにはその標本については秘密にして欲しいと」

「正しくは“秘密にしておいたほうがいい”だな。もっと正確に言うと“全て夢とでも思っていたほうが幸せに暮らせるだろう”だ。ああいった非日常な学園ライフはラブコメに向かない。そうだろう?」

「おじさんがラッキースケベものの学園生活を好んでいるのはわかりました。僕も好きです。エログロは両立しません」

「や、そこは同意できない。死と生は隣り合わせだからこそエロスが引き立つのだよ。愛とはエロスであり、それは死が目前であるがゆえに輝ける。生存本能の一種だ」

「なんの話よ」

「なんの話だろう」


 話題の逸れ方に業を煮やしたのか篠乃枝さんが口を挟んでくる。

 女性にはわかりえないテーマだったからな。エロスとグロス。

 ……ぐろす?


「とにかく、どうでもいいのですが。その秘密を守らないことには私たちの身の安全は保証しない、という話でよろしいんでしょうか? そういうことなら私たちは口外しません。秘密を守りましょう。――ねぇ、青山くん?」

「んー、まぁ、うん。女の子と深夜徘徊だなんて、友達に知られたら面倒ですし誰にも言えませんよ」


 妹に知られたらもっと大変だ。


「そうですかそうですか。それはよかったよかった。心底心配していたんですよーはい」


 一転、作り満面の笑顔で両手を打った秋堂元は語尾に「ニッコリ」と自分で付け加えて珈琲カップを煽る。文字通り真上に顎を突き上げて一気飲み。ーー行儀が悪いなぁ。


「ふはーっ。ではほら、お話も済んだことですので私は帰るよ。仕事も山積みだし」


 トレイを持ち上げてふらりと立ち上がるとコートの裾が揺れる。店に入ってから一度も脱いでないのだから余程の寒がりなのか一息つくつもりもなかったのか。

 なんにせよ、眼前の災難は去ろうとし、


「次、お会いする際は精々楽しませてくださいね」


 篠乃枝さんの小さな肩にそっと言葉を添えた。


「っ……!?」


 慌てて振り返る彼女の表情は硬く、そして秋堂の姿はもうそこにはなかった。

 自動ドアは新しいお客さんを迎えて閉まる直前で、手に持っていていただろうトレイは返却コーナーに置かれている。店員さんの「ありがとうございましたー」という声だけが空しく響き渡っていた。


「……食えない人だったねー」


 いない人について語っても仕方がないけれど、率直な感想をとりあえず述べさせてもらう。


「……しくじった……! 毒でも混ぜてやればよかった……!」

「あ、そう……」


 どーせ、篠乃枝さんはそんなことできないんだけど。なんせ「殺す」って言葉すら口に出せない心優しい女の子ですもの。……人(?)を昨晩殺していますが。

 それに毒云々ならうちの妹とキャラが被る。あくまで篠乃枝さんは肉体派じゃないと!


「どうするの?」

「どうもこうもないでしょう……! あの男を探します」

「えー……」


 純粋に無理だと思うナー……。人間業じゃないもの、あれ。卓越された超人的な動きだって……。篠乃枝さんは十分人間離れしている一面もあるし、性格的な面も少し人と違っているけれど僕はいたって普通の学生ですし、あの人を捕まえようとして捕まえられると思えない。


「捕まえに来たところを捕まえるしか方法ないんじゃない?」


 先手を取られることにはなるけれど、それしか方法がないなら仕方ないんじゃないかなぁ。

 なんの慰めにもならない提案だけれど彼女はそれでも一応思案してくれる。


「ダメ。今のうちに探し出す。もし政府からの通達が来れば私たちのことは家族にも知れるわ。そうなったら家にもいられなくなる……。それは困るでしょう?」


 ええ、困りますね。自宅には兄離れしようとしない妹がいるもので。


「探し出す当てはあるの?」

「あるわけがないでしょうっ!?」


 怒って秋堂よろしく一気に珈琲を飲み干してトレイを持つ。見下す視線は付いてこいと物語っていた。


「はー……、慌ただしいなぁ、もう……」


 砂糖を入れすぎたカフェオレは甘く、ラブコメの様相を思わせるけれど、僕の現実はどうにも重苦しいものらしい。


「せいぜい道中は楽しませて欲しいなー」


 口の中に残った気怠さを紛らわすかのようにこぼし、さっさと飲み干して先を行く灰色の背中を追う。


 僕の望むのはエログロでもなんでもなく、ただ篠乃枝桜さんの私生活なんだけど……。


 なんともストーカーちっくな思考にふと自嘲の笑みが溢れた。


 さてはて? 次にお会いするのはどちらさんだろう?

 夏の近い春の空は青く、清々しいほどの晴天が広がっていた。

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