4 とんだ異端が居たもんだ
○
「で、二日連続ってどういうことなのかな。いい加減にしてくれないと睡眠学習に精が出すぎて困るんだけど」
「私は学校行ってないもの」
あ、やっぱりそうだったんだ。
――なんて口に出したら睨まれそうなので澄まし顔をスルーする。今夜も時計の針は2時を回り、街は眠りについてる。寝込みを襲うなんてなんて男気にかける犯人だろう。正々堂々正面から挑めばいいものを。僕の住む町vs殺人鬼。今の所殺人鬼の勝ち越しだ。
「実はね、昼間もあの男。見かけたの」
「へ……?」
「秋堂とか言ったかしら……、あのキモい人。……ニヤニヤしながら歩いてた」
「なるほど。それでピリピリしてるわけだ」
「まぁね」
なんであの人に篠乃枝さんが苛立たないといけないのかわからないけど、とりあえずなんらかの関係があるんだろう。その関係とやらを教えてくれれば僕も動きやすいんだけど、秘密主義だからなぁ……。乙女は秘密が多い方が魅力的だとかいう話を本気で信じてたりするんだろうか。
「死体、見つからなかったみたいね」
「らしいね」
昨晩の死体は報道されていない。
静かすぎるニュース番組に気になって登校時に現場に立ち寄ってみたのだけど、ゴミも収拾された後で血痕ひとつ残されていなかった。
「ゴミと一緒に収拾されたってわけでもないだろうね」
燃えるゴミではあるんだろうけど、ぐちゃぐちゃ死体をそのまま燃やしてしまうのは人徳的にどうだろう。
「あの男。怪しいと思うの」
「……お?」
意外。これは意外。
篠乃枝さんが自分から意見を聞かせてくれるだなんて少なくとも彼女に出会って初めてのことかもしれない。違ったら僕の覚え違いだ。
「ねえ、貴方はこの事件の事。どういうふうに考えてる?」
「…………」
有志パトロールに続いて探偵ごっこか……。嫌いじゃないけど好きでもない。
「気の狂った異常者のオンステージ。この街をおもちゃ箱と勘違いしてるんだろう」
少しはしゃぎすぎだ。おもちゃを壊すにしても限度がある。そろそろお母さんに叱られても知らないぞ?
「そう……、異常者の犯行……それは間違い無いと思う」
彼女は何を言いたいんだろう。
街路灯の薄明かりの中、表情を伺ってみるけどうまく読み取れない。暗がりのせいでもないだろう。
「青山くん。貴方が『普通じゃない』のを前提に話させてもらうけど。犯人は間違いなく『普通じゃない』。貴方と同じでね」
おっと。いきなり普通じゃない認定されてちょっと困ったぞ? 彼女が思うほど僕は普通じゃないわけじゃないし、普通の学生がこんな時間に犯人探ししているとは思えないけど、犯人と同じに扱われるほど『普通じゃない』と言われるのはさすがに侵害だ。
「なに、犯人は君にしたいを見せつけたい変態だとでも言いたいの?」
「だったら話は早いけどね」
僕なりのジョークは通じなかったらしい。
ちなみに死体を見せつけられた彼女の表情はそれなりに素晴らしいものがあった。普段感情を押し殺しているようなタイプが見せる瀬戸際の本音ってすごく輝いて見えるものだ。
「欲望のまま好き勝手にやってるってことよ」
「ああ、なるほど」
僕は篠乃枝さんにそういう風に思われてるわけだ。否定はできないけど。
「それをどうしたいわけ?」
「……決まってるでしょ」
少し先を歩いていた彼女が足を止めた。自然と僕はそれを追いぬかすことになって正面から彼女と対面することになる。
「懲らしめたいのよ」
睨まれた。至って普通に睨まれた。
これは間接的に僕のことも懲らしめたいと思っているのかと思ったけれど、どうやらそれは違ったらしい。
「ん……?」
視線を追った先。
どうやら僕を見ていなかったらしいその目を追いかけた暗がりに一人の男が立っていた。
「こんな時間にデートたぁ……、羨ましいかぎりじゃないかァ……」
――ぁ。頭のおかしい人だ。
と、瞬間的に思った。
思った次の瞬間には篠乃枝さんに押し倒されていた。
色々ぶつかるし、色々色っぽいものを想像しそうになるけどハッキリ言ってそういう展開じゃない。
「うげっ……!!?」
「ッ……!!!」
突然のことに思いっきり顎を打つ。押し倒されてっていうと仰向けになイメージだけど、今回のは後頭部を無理やり押し出して地面にタッチダウンする形だ。肺も圧迫されて一瞬息がつまる――。
「なにすんのさッ……」
「黙ってて!!」
珍しく怒鳴った篠乃枝さんはその男を睨みつける。
異様だった。
一言で言えばその男は異様だった。あの秋堂とかいう男とは別ベクトルにおかしい。
雰囲気がとか、立ち振る舞いがとか、いろいろ異様なところはあるけれどそもそもその形が異様だった。おててうねうね。怪人ってこういう奴のことを言うのか。
「立って!!」
「うぐっ!!?」
バシンッと空気がはじける音。
まるで鞭のようにしなった腕がさっきまで僕がいたところを弾いて戻っていった。
「げほっげほほっ……、あのさぁっ……ちょっとは……!!」
「うるさいですね!?」
「うへぇ……」
やばい、敬語モードはなんとなく感覚的に不味い。
多分篠乃枝さんの中でスイッチみたいなものがあって、敬語の時はすごく怒ってるとかそういうんだとわかってきた。もはや取りつく島もない。
それをこの短い付き合いの中で僕はなんとなく察していた。
「でもまぁ、どうしてこうなったのかは把握しておきたいかなぁ……」
「うっさい。自業自得ですよ、貴方の場合……出来れば――いいえ、出来なくても良いので余計な事はしないでくださいね」
「むむっ、何だかややこしい事をいうなぁ」
「ややこしくても良いのでじっとしていて下さい」
「はいはい」
兄妹よろしく電柱の影に避難して今度こそ邪魔にならないように見守る。
少なくともアレを避け切ったということは武術の心得なりなんなりあるんだろう。
もしくは夜のパトロール隊は仮の姿で、この世界にはびこる怪人と対決するヒーロー的な存在なのかもしれない。
「話が通じるとは思ってはないけれど――、」
彼女は深く被った帽子を少しだけ持ち上げ、いつの間にか腕だけではなく全員が異形の形となった男を見上げて呟く。
「もし私の言葉がわかるなら膝をつきなさい。そうして懺悔なさい、貴方が殺して来た人全てに」
篠乃枝さんが眼鏡を外し、構えた。
「――そうしたら、少しは楽に逝かせてあげるから」
その姿はまさにヒーローだった。
「 うげぇなァ……? 」
大きく裂けた口が気持ち悪い音で言葉を紡ぐ。
まるで蚊でも叩き潰すように振り下ろされた腕は彼女に迫り、あっけなく避けられる。
「ぉ……?」
呆気に取られて数秒。何かの見間違いだったと再び腕が擡げられ振り下ろされる。
べしんっと肉でアスファルトを打つ音。
軽くステップでかわした彼女――。
「おぉ……」
なんか映画のワンシーンを見ているみたいだった。
それは男(だった怪物)も同じらしく目の前で起きた現象に戸惑っている。
「これまであんたは無抵抗な人たちを殺してきたかもしれないけど……、それも今夜までよ」
怒ってる。かなり怒ってる。後ろからでも分かるぐらいに彼女は怒っていた。
それほどこの街に思い入れがあったのが意外だけど、殺人鬼を野放しにできない正義の心を彼女は持っていたらしい。
「 ァア……なんだよォ……なんなんだォオオオオ!!! 」
べしんべしんと次々突き出される腕と呼ぶには太すぎる触手。
それを次々とかわして空を切る音だけを響かせる彼女。
「おー……」
僕は電柱の陰からぼんやりその攻防を眺めていた。
「……ん……?」
だからこそ気づくこともある。
彼女は避けているばかりなのに頬にへばりついたものがある。――血だ。
篠乃枝さんは一撃も食らっていないから彼女のものではない。
ならあの男の……?
もしかして誰かを殺した後でその血が付いていたのかと思ったけどそうでもないらしい。
それは紛れもなくその男の体から流れ出ているもので、触手を動かす度にポンプで押し出されるように周囲に飛び散っていく。
「……怪物の血も赤いんだなぁ……」
見当違いのことを言っているうちに攻撃が止んだ。
「ハァっ……ハァ、ハァ……なんでダァぁああ!!」
なんでかなぁ……なんで当たらないのかなぁ……?
そもそもこんなに騒いでるのにご近所様はどうして寝静まっていられるんだろう。
住宅街のど真ん中。
明かりの一つでもついてもいいぐらいなのに……。
「まぁ、関わり合いたくないんだろうな。強盗だーっていうより火事だーっていう方が人は跳び出すって言うぐらいだし」
「……理由なんて簡単じゃない。あなたが弱いからよ」
「お?」
正義のヒーローを振舞っていた篠乃枝さんが優雅に髪をかきあげる。
「青山くん」
「ん?」
呼ばれて反射的に少し顔を出して様子を伺う。ちょいちょいと手招きされて飼い猫よろしく少し後ろまで行くと手に持っていた眼鏡を渡された。
「なに?」
「持ってて」
「ぉ」
そして帽子、パーカーと身につけていたものを次々外していき、ショートパンツを脱いで彼女はワイシャツ一枚となった。
「お、おー……まさかのストリップショーとは……僕はどうすれば……」
「いいから落とさないでね。汚れるの嫌だから」
こっちを振り向かないのは彼女なりの羞恥心だろうか。
できる限り平常心を装っているようだけれど靴を脱いで下着をおろした時には流石に頬が赤く見えた。
「はい」
「……ほい……」
両手で受けていた衣類の最後にピンクの下着が乗る。
「……これをどうしろと」
「どうもしないで。あんまり見てると殺すわよ」
「えー……」
いって、最後にワイシャツのボタンを外していく。
月明かりに覗いた肩は思わず見とれるほどに綺麗だった。
「お待たせ変態さん。――あなたを殺してあげますね」
「……ノーブラだったんだ」
どうでもいい情報に独り言をこぼし、ワイシャツが宙を舞った刹那、目の前の彼女の姿が膨らんだ。
「――――ぇ?」
それは言葉通り膨らんだ。
全身が膨張した筋肉のように膨れ上がり、ぶくぶくボキボキと骨格の変わる音が響き渡る。
「お、お、おー……」
そして目の前に、一匹の化け物がそびえ立っていた。
「ひっ……」
「 “逃げんな” 」
男(怪人?)の発した反応は早かった。頭の芯に直接響き渡るような声とともに太い腕が振り下ろされる。巨人というよりも巨体な怪物と形容するにふさわしいその生き物は道路めいいっぱいまで広がった体から腕を突き出し、片手でその男を押しつぶす。
「ガガガガガガ」
「“そう慌てることもないでしょう、貴方がしてきたことよ”」
「タスっ……助けっ……助けて……!!!」
いつの間にか男の姿が元に戻っていた。
異様な形だった腕は人間のそれとなり、なんとか逃れた右腕を前に突き出して必死に制止をかけている。
「“だーめ”」
ぐしゃり、とその腕を手が握りつぶした。
鮮血が、宙を舞った。
頬に飛びついてきたそれに反射的に身をよじったのは彼女に任された服を汚したくなかったからだろう。
「“あなたは色んな人をこうやって苛めてきた……、それはゆるされないことよ”」
正論すぎる物言いにぐうの音も出ない。ただ、だからといって私刑を下していい理由もないんだろうけど怪物たちには怪物たちのルールがあるのかもしれない。
これ以上巻き添えはごめんなのでまた電柱の陰に戻る。一般市民は見ているだけだ。
「わ、わー」
でも一応感嘆の悲鳴はあげておく。
「“さて、どうしてほしい?”」
ついでに一つ言わせて頂くなら、声帯が変化したのか何なのか知らないけど妙に芯に響くその声をどうにかしてほしい。女王さまみたいでビリビリ痺れるんですが僕にはそういう趣味はないのでご遠慮願いたい。
「たすっ……たすけっ……」
そしてあの男にもそういう趣味はないらしい。
「“やだ”」
「ッ……」
ボキリっとまるで板チョコを折るみたいな音に思わず肩をすくめる。何処の骨を折られたか知らないけど、想像しただけでも痛そうだ。実際彼は悲鳴をあげてのたうち回っている。おてての下で。
「ひぃ、ひぃっ……!!!」
「“ねぇー、一つ教えて下さいよ……? どうして殺したんですか……? どうして殺し続けたんですかァ……?”」
悲鳴を上げ続ける男に対し怪物は笑う。不揃いな牙を覗かせて笑みを作っていた。
「しっしらねェ!! しらねぇよ!! 俺は!! 俺はっただっ……!」
「“ただ?”」
「うひっうへへっうへへへへへっ……!!!」
「“…………はぁ……”」
静かにその怪物が溜息を零した。ちらりと僕の方を向いてつまらなそうにつぶやく。
「“残念だったね、教えてくれないってサ?”」
そうしてぐしゃりとその人が潰れた。
「あ、あー……」
人だったのかわからないけど少なくとも人の形をした生き物が潰れた。
「“はぁ……”」
静かに空に向かって溜息を零し、風船がしぼむみたいに小さくなっていく怪物の体。
数秒後には目の前に裸の篠乃枝さんが立っていた。
「……ほら、服……。ぁ、その前にティッシュか何かない? 手、吹きたい」
「あ、う……うん……」
律儀な妹君のおかげでハンカチを持ち歩く習慣がある。ジーンズからハンカチを取り出すけど不可抗力か、落とさないように片手で抱えた衣服の一番上が眼下に迫る。んー、匂いを嗅ぐ趣味はない。
「変態」
「ぇ」
こんな真夜中に裸でいる人に変態と言われるのはなんとも不思議なものがある。
手に付いた血を拭き取った彼女はそそくさと僕から服を奪い取り、さっきとは逆の順番で身につけていく。数十秒かけて元どおりだ。怪物であった彼女から、出会った時の彼女へと。
「服を脱いだ理由は?」
「破けるから」
「なるほど……」
とても合理的で特に意見はなし。――となると、
「じゃああの人と君は一体なに?」
「知らない」
「知らない?」
「ええ、知らないわ」
最後に帽子を深くかぶって死体を一瞥。この様子だと本当に知らないらしい。
「むぅ……」
知らないけど怪物に変身するのかー。世も末だな。
「ていうか、貴方もそうなんじゃないの?」
「……ん?」
「これ、あなたも使えるんでしょう?」
視線の先には変身した手。細い腕の先っちょだけ何だか禍々しい形になってる。
……――なんだこれ。
「え、あ、んー……まぁ?」
バレたら口封じで殺される。そう思って即座に嘘をついた。
「……まぁいいわ。自慢できるようなことでもないし」
どうだろう。それは誇るべき才能かもしれないけど人と違うことを嫌う僕ら世代にはとてつもない特異体質というか、お邪魔なものなんだろうか。わからないけど。わからないけどさ。なんだか思いっきりまずい勘違いをされている気がする。
「天然だなー、ほんと」
だからどうにかなりそうな気はするけれど。
「何か言った?」
「いえ何も」
とりあえず黙っておこう。僕はあくまでも一般市民で残念ながら彼女の言う「これ」はできない。ていうかそんなにゴロゴロいるのか? 「これ」ができる人って。いつの間にこの町は魔界になったんだ。ありえないだろ普通に考えて。
「……ほんと言うとね、ちょっと安心したの」
「え……?」
「ほら、あの姿になった時ってなんていうか少し乱暴になるでしょう? で、元の姿に戻ってもそれを引きずっちゃうっていうか……、おかしくなってる人ばっかだったから……。君は変だけど、オカシクはなってないから」
「あれ、もしかして褒められてる?」
「褒めてはいないわね」
「うーん」
そもそもその症例に僕は当てはまらないので褒められる謂れもないのだけど。
となると益々とんでも無いことに首を突っ込んでしまったことになる。怪物に変身する人たちかー、わー、すごい。非日常ここに極まりって感じだ。
「その死体はどうするの? ていうか、おかしくなった人たちってこれまでどうしてたの?」
「これまでって……多分、放っておけば――」
と言って、
「 おやおや、これは一体どういうことだろうか 」
「…………!?」
反射的に彼女が飛び退いた。
「うぁ!?」
結果、僕に思いっきりぶつかることになる。
「ってて……」
「ご……ごめん……」
「いいよ、別に……」
尻餅をつき、差し出された手を握るとそれはゴツゴツしていた。
「ん……?」
彼女の手が変形していたわけではなく、どうやら握る手を間違ったらしい。
「……秋堂元さん、でしたっけ」
「覚えていてくれたとは光栄だね、少年」
ぐいっと引っ張り上げられて何故かそのまま抱きしめられる。若干タバコ臭い。ていうか血なまぐさい。腐った魚みたいな匂いだ。
「怖い目に合わなかったかい? 平気かい?」
「いまとても身の危険を感じています」
「そうかそうか、それは結構♪ 危険を感じられるということは平和な証拠だよ。誇りたまえ?」
言って解放してくれはしたものの、心臓がドキドキとうるさかった。
無論、性的な意味ではない。
「こんなところで……何してるんですか……」
ただ、漠然とした疑問。昼間にフラフラしていた男が深夜にもフラフラしていてはいけない決まりはない。
だけど今この時、このタイミングでここに現れたことに少なからず違和感を感じた。
いや、きっと他の誰が現れても。例え僕の妹が「おい、馬鹿兄貴。早く帰ってこい」って突然袖を引っ張っても違和感を覚えるのだろうけど、この男がここにいることには確実な、確信的な意図を感じざる得なかった。
「何をしている……か。それはお互い様の話なんだろうが――、まぁ、別段怪しいことでもなくもない。……世界を守る偽善事業だよ」
それをいうなら「慈善事業」なんじゃないだろうか……。ひょうひょうとした態度からは真意が測り取れない。
秋堂元という男、そのものがゆらゆらとゆらめいているような錯覚さえ受ける。いや、実際に体幹が弱いのかすごくフラフラはしているのだけど。
自然と警戒心は高まっていった。
「やー、まてまて。そう睨むんじゃない。何も君たちに害を加えようという気は無いんだよ。犯罪を犯す気はサラサラない。質問はあるかな?」
「その言葉を信じる根拠はありますか?」
強く言い放ったのは篠乃枝さんだ。わずかばかりに臨戦態勢。ってなんだ、この人も変身するのか? あそこでミンチになってる人みたいに!
「僕には前科もなければ、明るみになって困るような秘密もない。無いない尽くしで実に下らない人生だ」
「そうですか。ではそのまま無い事尽くしの人生をどうか歩んでください。ーー行こう、青山くん」
「あ、うん?」
踵を返して先に去り始めた背中を追いつつも、どうしても男のことが気になった。
なんだか今にも後ろからガバーッと来そうな予感がすんだよなぁ、ガバーッと。
「ちなみに、今の話は一つだけ嘘だ」
ほら来た。
「……っ」
篠乃枝さんが足を止めるのにつられる様にして僕も足を止める。大手を振って振り返ることは出来ないほどになにやらすんごいプレッシャーを感じる。プレッシャーって何。いつからここバトル漫画になったの。
「……もったいぶっているようだから一応聞いて差し上げます……。“一つだけ”ってどの部分のことですか……?」
「 ど こ だ と お も う ? 」
三日月が、笑った。
なんとなく、そんな風に感じた。
夜の闇がざわめき、あたり一面の空気が一瞬にして吹き飛び、何もない空間が生み出されたような錯覚。
「ッ……!?」
とっさに振り返りそうになる篠乃枝さんの腕を掴む。
無言のうちに睨まれるけれど何も言わず、ただ見つめかえす。
「大丈夫だよ。平気だ」
「……?」
僕の言葉に困惑する篠乃枝さん。
そうして風が吹き止んだ。実際に風が吹いていたのかはわからないけど、元どおりの夜の街が帰ってきていた。いまのほんの一瞬だけ夢の中に落ちていたような気がする
「なーっんだ。ただの偶然か」
拍子抜けするほど気の抜けた、やる気のない声が流れ落ちてくる。
はーっ……と、肩を落とし落胆し、視線を自分の足元にやった男はちらりと僕たちを見上げ「良い子は早く帰るんだよ」とつまらなそうに呟いた。
「……いこう、篠乃枝さん」
「で、でもーー」
「いこう」
秋堂元はしゃがみこんでミンチになった男を観察しながらどこかに電話をかけている。
街路灯の元でほんのりと携帯の画面が光り、その横顔が浮かび上がっていた。
――あの男は、間違いなく“異端”だった。
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