3 徘徊少年少女
○
「あのさ、君は僕を嫌ってるのかどうなのか先に教えておいてもらえると助かるんだけど」
駅前で待ち合わせ、現れた彼女にそう告げた時、時計の針はすでに深夜1時を回っていた。
「あと、普通にお巡りさんに補導されそうな予感がするから場所を移したい」
善良なる小市民たる僕は補導なんて汚点がつくことをそれなりに恐れている。もちろんストーカーとして逮捕されるのはもっと大きな汚れになりそうなので協力逃げる。ダッシュで。
「力を貸すって言ったのは貴方でしょう。それにあの男……、また現れるかもしれないじゃない……」
結局あの後は拍子抜けするほど何事もなく、コートの男の人は去っていった。事案発生ってことでお巡りさんに連絡しても良かったんだけど、完全に法の外側にいる人っていうか、アウトローな雰囲気が漂っていたので割愛する。司法機関が太刀打ちできる雰囲気じゃなかった。ちなみに法外もアウトローも同じ意味合いだ。
で、そんな人に目をつけられたっぽいのに人気の少ない夜中に歩き回るだなんて肝が座っているというか無謀といいますか。
「怖いの?」
「怖くないわよ!!」
……なんだろう、やっぱりツンデレなのかなこの人……。意地っ張りってのがしっくりくるけど……。帽子で視線隠すのは人の目が怖いからとか?
「帽子脱いだら結構かわいいのに残念」
「……なに、殴られたいの」
「殴る準備しながら言わないでくださいよーこわいなー」
何はともあれ、夜中に二人っきりで落ち合うぐらいには信用してもらえてるわけだ。なるほどなるほど。
「言っとくけど変なそぶり見せたら大声出すから。貴方はあくまでも保険、わかった?」
「あ、もしもの時助けを呼びに行けばいいの?」
「バカ、盾になれつってんの」
「なるほど」
盾かぁ……、そんなにガタイいいほうじゃないから自信ないなぁ……。
「で、この集いの目的は一体何?」
「とりあえずついてきて」
「ほい」
歩き始めて向かったのは寝静まり帰った住宅街。流石に殺人事件が起きているとなれば出歩く人もいないらしく、みんな息をひそめるようにして鍵を閉めているらしい。
ていうか、このままじゃ明日の授業は居眠りしまくりそうだ……。学校に行ってるそぶりの無い篠乃枝さんには関係ない話かもしれないけれど。
「……誰か探してるの? あの兄妹?」
「街の平和を守るためのパトロール、とでも言えば納得する?」
「殺人鬼を捕まえようだなんて血気盛んだね。無謀だとしかえないけど」
「…………」
睨まれた。街路灯で反射した眼鏡越しに思いっきり睨まれた。
「確かめたいことがあるの。……別に捕まえようって話じゃないわ」
「ふーん……」
何を? なんて、聞くまでもないだろう。
でも問題は「もしそうだったとして」どうするつもりだろう。
捕まえないならそのまま野放し……? 説得して、どうにか改心させる……?
「難しい話だと思うけどなぁ……」
「……いいからついてくるの」
「はいはい」
それは彼女自身わかっているようで、わかっているからこそ考えないようにしているんだろう。連続殺人鬼の正体、溢れる死体の作り手。その正体と、その後を。
「……っと、ストップ」
「……?」
鼻先に感じるものがあって彼女の足を止める。やっぱりというかやはり彼女は気づいていなかった。
「なに」
何気ない様子を装い、不機嫌そうに問いかけてはくる。僕の様子で察したんだろう。そのj表情は硬く、動きがぎこちなかった。
「――死体だ」
ほぼこの町の日常と化しているけれどこんな風に不法投棄されているのはどうなんだろう。明日の朝に回収される予定の生ゴミ袋。そのゴミ収集所の中に、
「あったよ」
人だったものが。収集のおじさんが顔をしかめるぐらい散乱して。
「……見えないの?」
「……いま見えた」
「そ」
言葉は短く、会話は続かない。
衣服は引きちぎられ、服と一緒に四肢も捥がれている。
僅かに覗く下着とだらりとぶら下がった長い髪が「女の人」だということを辛うじて物語っていた。
「……残念だったね」
犯行を未然に防げなくて。行動開始直後から躓くことになってしまったパトロール隊の隊長に慰めの言葉をかける。
しかし彼女は表情を硬くしたまま、静かに一呼吸置き「行くわよ」と足を進め始めた。
「通報は?」
「朝になれば誰かがするわよ」
「確かにそーだ」
どうか野良犬の夜食にならないことを祈っておこう。不幸な死に様を迎えてその上食い散らかされるなんて目も当てられない。……既に直視するのを躊躇われるレベルだけれど。
「一応することがないから頭を働かせようと思うんだけど。このパトロールの目的はああいった被害者を少しでも減らそうってものなのかな」
「そうね」
「既に一人被害者が出ているけど?」
「今までのパターンならもう一人現れるはずでしょう?」
「なるほど」
死体がひとつ出たならもう一つ、か。
理屈としてはわからなくもないけど「死体が必ず二つ出る」なんて保証どこにもないんだよなぁ……。現に橋の下の屍体はひとつだったし。……共通点としては女性が必ず狙われてるってぐらいか……?
「ねぇ、君は何をしたいの?」
一瞬彼女の肩が反応したから聞こえなかったわけじゃないんだろう。
だけどしばらく一本向こう側の道を走り抜けていく車の音が分かるぐらいには静寂が訪れる。「…………」失敗したキャッチボール。転がった球を自分で拾いに行こうかと思う時分になって「はぁ……」ようやく篠乃枝さんは口を開いた。
捻り出すように。抑え込むことを間違えばその場で電柱の一本粉砕してしまいそうな威圧感を持って僕を振り返る。
「腹がたつのよ。なんとなくね」
「……そっか」
「うん」
そして再び歩き出す。その背に異様なオーラを匂わせて。
それは初めて彼女が見せた本音のように思えた。今まではぐらかされ続けてきた本心。彼女自身人に見せることのなかった本音。……少しはお近づきになれたのかな?
「じゃあ僕の役目ってなんなのかなぁー……」
これは独り言。特に答えを求めてるわけじゃない。実際スルーされる。最初から会話にならない関係だから仕方がない。相変わらず会話の成り立たない僕らである。
「……ぉ?」
けどお互い思ったことは同じだったらしい。
直後どちらからとは言わず、同時に足を止めることになった。
「この場合おまわりさんを呼ぶべきなのかな」
「余計なことしなくていいわよ」
「了解です」
今回は事案発生というか親御さんにご連絡的な意味だけど。
「さくら……さん……?」
何時ぞやの光景がダブった。もしかすると彼らは電柱の陰に住んでいるのかもしれない。
切れかけた街路灯のすぐ下。
大きく開いた影の中から二つの小さな影が浮かんでくる。
「こんばんは、タケルくん。さっちゃん?」
良い子はおねんねの時間に深夜徘徊している悪い子二人がそこにいた。
「……ごめんなさい……」
「いいよいいよ、これで僕も役目ができたってものだし」
やあやああって僕らは一緒に歩いていた。彼らがあそこで何をしていたかの理由は教えてもらえなかった。それを篠乃枝さんが拒んだ。
大人しく眠っているらしいさっちゃん(妹ちゃん)をおんぶし、タケルくんを連れ添って住宅街を歩く。
どうやら彼らの家に向かっているようだ。道は緩やかに丘を描き、もうすばらくすれば市営住宅の立ち並ぶ区画に入るはずだ。
「気持ちはわからないでもないけど……、いけないことだってわかってるよね?」
「はい……」
タケルくんは篠乃枝さんに弱いらしい。大人しく彼女に手を引かれ、僕らの任意同行に付き添っていた。
「んぅ……んぅー……」
背中越しに感じる妹さんの寝息。ほいっと放り出せば飛んでしまいそうなほどに軽い体に子供の小ささを改めて実感する。軽いなぁ、存在が。ぷちっとつぶされちゃいそうだ。世間に。
「いや、潰されてるからぶらぶらしてるのか」
「…………」
睨まれた。思わず溢れた独り言に思いっきり睨まれた。怖いですよお姉さん。お姉さんとこの子たちの関係を少しは説明してくれてもいいんじゃないでしょうか。別に興味もないけれど。
「……ねぇ、タケルくん? また酷いことされてるならお姉さんが大人の人たち連れてってあげるわよ?」
「んーんっ……!」
首を振っての完全拒否。
なんとなくの流れで児童虐待の匂いがぷんぷんする。彼の腕を隠している長袖は痣を隠すものなのは明白そうだ。
「んー……」
案外珍しいものでもないんだろうな。そういうのって。
いつの前にか目の前にそびえ立っている「コピぺしたみたいな建物たち」を見上げて思う。
この建物の中にどれだけの家庭があって、どれだけの事情があるのかは知らないけど。自分の子供に興味を示さないなんて珍しい話じゃないだろうし、その興味のベクトルが悪意に染まっていたって仕方がないことなんだろう。
案外に世界は狭い。外の出来事を気にしないほどには。
「ありがと、ここでへーき」
いくつかある階段の下でタケルくんは僕に向き直った。特に上まで上る必要もないだろうから「ん」と返事代わりに腰を下げて背中の妹さんをタケルくんの元へ。
小さい背中に小さい背中がおんぶに抱っこ。それで階段登るのはなんだか怖い気もするけど男のプライドってものもあるだろう。そっと見守る。
「どうしても家に居たくないときは私の部屋に来ていいからね」
「……ありがとうございます」
礼儀正しい子だった。
最初の踊り場まで登った後、篠乃枝さんがかけた言葉にぺこりと軽く頭を下げてそこに見えていた部屋の扉を開けた。しっかりしているからこそ自分の置かれている状況を打開できないだなんてことはなんという皮肉めいた話なんだろう。
「まるで夜回り先生だ」
「随分古い名前ね。先生呼ばわりは悪い気分じゃないけれど」
心なしか機嫌がいい。
まさかあの二人と殺人鬼を結びつけていたわけではあるまいに。
「で、どうするの? 今夜は解散?」
「……念のためにもう一回り。……まだ死体、一個しか見つかってないし」
「あっそ」
先に歩き出す足音を背にふとすぐそばの窓に目をやった。
こういう団地に住んでいる人がどのくらいお隣さんに気を使うのかはわからないけど、ここで起きている異変に通報するってことはないんだろうか。いや、通報があれば自体はもっと簡単に解決しているのかもしれないけど。
「この世の闇は深いですなぁ……」
案外いろんなところで事件が起きてるものだ。
その晩はそれ以上収穫のないまま帰路に着いた。
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