2 ヒトゴロシ

○ 三日月


 それは彼女と出会った翌週だった。


「ここには良く来るの?」

「……貴方もそうだっていうなら今後は来ない様にしようかしら」


 始めて彼女を見かけた公園の一角。ベンチに座って相変わらず猫に群がられている姿を下校中に見かけた。


「来るって程のものでもないよ。学校から帰るときに通るだけ」

「……最悪じゃない……」

「僕はラッキーかな?」


 キッと睨まれる視線――、はとりあえず笑顔で躱させて頂くとして。


「隣、良い?」

「その子達が良いって言ってくれたら良いですよ」


 澄まして見下ろす先には気持ち良さそうにお昼寝中の子猫達。少なくとも僕が餌をあげてた頃は流石にこんなにいなかった訳だけど……一体何処から集まって来ただろう……。


「たたたった・たーんっ、ねこかーんっ」

「……………」


 帽子越しの凍てつく波動を感じながらも蓋を開け、地面におく。すると子猫たちは鼻をぴくぴくさせ、ゆっくりと瞼をあげた。


「ほら、くえくえ。くえくえ、にゃー」


 そいそい、と缶を指先でつつく。気の無い掛け声に反応した訳ではないんだろうけど、若干の警戒を浮かべつつも飛びつく子猫達。首輪はついていないから野良なんだろう。ふむ、感心感心。この世は弱肉強食。食べられるとき食べねばならぬ。


「と言う事でお隣空きましたが」

「…………薄情者」


 子猫たちに突き刺さる鋭い視線――、だけどそれ程刺のある感じじゃない。なんだかんだで好きなんだろうなー。ねこ。


「じゃお邪魔して」


 横に座っても彼女が逃げる様子は無かった。っていうと彼女自身が猫みたいな感じもするけれど、そもそも逃げられないって言う方が正しいかもしれない。膝の上に一匹、肩に一匹、帽子の上にも一匹。完全にリラックスした状態の猫がうでーっんと伸し掛かっていた。


「……こう見るとなかなかにシュールな絵面だね」

「……私も困ってます。動けないから」

「あぁ……」


 何がどうなってこうなったんだろう。昼寝でもしてたのかな。


「バカなの?」

「殴りますよ?」

「こわいこわい」


 まんじゅーこわい。


「…………」


 こちらが何も言わなければ会話は止まる――と。ふむ。


「あのさ、いつから見えなくなったの? 死体」

「唐突ですね」

「……えッ、うそ!? そうかな……!?」

「なんで私がおかしいみたいな顔されなきゃいけないのよ……」


 全身に猫を乗せている人が可笑しくないとでも言うんだろうか……。それが普通ならこの世の中心に猫がいることになる。猫まみれのニャンダーランド。猫好きには堪らないだろうな。……嫌いな人には地獄か。


「まぁいいじゃん。順番なんて」

「よくないわよ」

「なに? デートの時は手を繋ぐところから徐々に距離を詰めていくタイプ?」

「引っ掻かれたいんですか?」

「とはいえ、そういう僕もデートなんて経験ないから分かんないんですけど」

「なら言わないでよ……」


 ため息まじりに肩を落とす彼女。冷めてるように見えるけど、案外表情豊かなのかもしれない。うん、やっぱ面白い。


「そもそも、貴方の質問に答える義理なんて無いと思うのだけど」

「義理はなくてもら権利はあるかなって。ほら、好きにすればって言わなかったっけ」

「アレはあの時ああ言うしかなかったからよ」

「あ、そう」


 まぁ、それもそうか。精神的なものだとしたら虎や馬が引っ張り出されてくる可能性だってあるわけだし。一応こちらとしても警戒はしておかねば腕の一本や二本食いちぎられるかもしれない。後ろ足で蹴られると死ぬって言われてるしな。馬。


「さぁこい!」

「……あたまおかしいの……?」


 なんだろう……心配されてるようで貶されてる気がする……。お互いに距離感がつかめてないかな、これは。


「ちっ……」


 あ。露骨に舌打ちされた。とても不機嫌そうに、思いっきり「ちっ」って。こんなに近くにいるのにわざとらしく「ちっ」て。


「……なんでそんなこと……聞きたいんですか」


 俯いているから、帽子のツバで表情は見えないけど、明らかに声のトーンは下がっていた。


「そうだなぁ……」


 興味本位って言ったら本気で殴られそうだし。かといって気の利いた言葉なんて――、

「ぁ。――君のことが心配なんだ」


 とりあえず浮かんだ一言を言ってみた。


「…………………」

「…………ダメ……、かな?」


 手応えはいうまでもなく最悪ですが。


「…………なによ『あ。』って。『あ。』って……」

「えへへぇー」

「……えへへーじゃないし……。……はぁ……」


 そんな事言われても自然と口に出たんだから仕方がないじゃないか、そもそも「にゃぁっ」――適当に何か言い訳しようと思ったところで、肩に乗っていた猫が顔を上げた。


「ぁ」


 そしてそのまま飛び降りるとどこかに歩いて行ってしまう。

 僕ら二人ぼうぜん。流れるは沈黙の間。猫ってほんと気ままだなぁ……。


「ほら、『あ』って言っちゃうでしょ?」

「……不可抗力よ」


 そう相変わらず不機嫌そうに呟く彼女は、肩から重りが無くなってバランスが悪いのか落ち着かない様子だった。


「ていうか、デリカシーとか気遣いみたいな言葉知らないの?」

「知っているからって使うとは限らないよね」


 ドヤ顔。


「……トモダチいないでしょ……きみ……」

「心外だなぁ。クラスでは目立つ方じゃないけど、そこそこ信頼のおける友人はいるよ?」

「ああ、そうですか。そのご友人は人格者ですね」

「ふむ!」


 ……ん? どういう意味だ……? ていうかわりとどうでも良い話題だなこれ。


「ていうか頭おかしいわよ」


 その件については伏せさせていただく。どろん。


「死体が見えない。それって一体どういう現象なのかな?」


 具合が悪くなったわけでもないけど、らちがあがないのでもう一度踏み込んでみる。もちろん笑顔を添えて。顔を覗き込む様に疑問符を浮かべると彼女は少し驚いた顔をしていて、どっちかっていうと僕も少し驚く。


「どうって言われても……」


 身動ぎ、視線を逃す。あえてそれは追わない。


「君は見えない訳じゃなくて、気がつかない様にしてるってのが正しいのかな。無意識のうちに“死体を避けてる”って感じ。違う?」

「死体なんて誰でもみんな見たくないものでしょ」

「それはそうだ。でも、だからといって“本能的には”見逃す事は出来ない。そこに死体があれば自分も身にキケンが及ぶ可能性がある。だからこそ、人は避ける事はあっても“見逃す事”はないと思うんだけど」


 どうだろう。理屈は通ってそうな気がする。


「そうね。むしろ普通だったら敏感になる所ですよね」

「別に科学的な根拠がある訳じゃなくて僕の想像でしか無いんだけどさ。実際のところどうなの」

「…………」

「まぁ精神的な問題ならまだなんとかなる。本当に脳のどこかがオカシイなら今すぐ病院に行くべきだ」

「……意味わかんない」

「ん?」

「そうじゃないならなんとかなるとでも言いたげね」

「あー……違う違う。勘違いはして欲しくないから先に謝っとく。多分僕にはなんともできない、ごめんね?」

「は……?」

「結局気の持ちようじゃん。そういうのって。人は人を変えることはできない、助けることはできない。人は人を自分で救うんだってさ。これは誰かの受け売り。もしかしたら何かの本の受け売り。だから僕じゃなくて君が君を救って欲しいし、救うしかできない。おーけい?」

「……貴方の方こそ頭おかしいんじゃないの……?」

「そりゃどーも」


 にこにこっと。でもそんな与太話に付き合う時点で彼女はやっぱり歪なんだけど。


「君はさ、死体を見た事がある?」

「……何言ってるの? この間、橋の下で貴方が見せたじゃありませんか」

「やだなぁ、それ以前にってコトだよ」

「……もしかして疑ってる? この公園で死体が発見されて、そこに私もいたからって」

「あれ。知ってたんだ」

「次の日、ニュースで見ましたから……、それで貴方に目をつけられたなんて最低……」

「警官じゃなくてよかったねー」

「ですけど、探偵“ごっこ”なだけにタチが悪いですよ」


 この街で起きている連続殺人事件。それが彼女の手による物でなくても、彼女は何らかの形でそれに関わっているっていうのは僕の見立てだ。理由は特に無い。直感。思い込み。そうであって欲しいと言う願望。一目見たその時から「彼女は普通じゃない」と何処かで感じでいる。理屈じゃなく本能が何かを感じている。だから彼女があの死体に関わっているのであればそれは僕にとっての幸いだ。


「さて。じゃあ君は何を隠しているのかな?」


 だったら、それを放って置く道理は何処にも無い。……人生は楽しんだもん勝ちだろ?


「……なにも。って言ったら嘘にはなるけど、今のところ貴方に話すつもりは毛頭無いわ」

「あらあら、そうなんだ」

「そうですよ」


 そっと膝の上に乗っている猫を撫でる指先は何処か優しげだった。


「私のことを心配してくれているのだとすればアリガトウ、と言うべきなんでしょうが悪いことは言いません。興味本位で近づかないで」

「その敬語とタメ語のごっちゃ混ぜは複雑な心境の表れだったり?」

「趣味です」

「趣味ですか……」

「はい。趣味です」


 ……即答からの断言。


 趣味かー……趣味ねー……趣味なら仕方ないか……、趣味だし……。

「でもこれで一つわかったことがある」

「?」

「君が嘘をついていないってことが前提だけどーー、いやそもそも君は嘘をつくのが苦手っていうか。嘘をつくなら拒絶してくる感じだから、嘘じゃないって判断したわけだけど」

「回りくどいですね……。何が言いたいんですか」

「君は死体を認識することができない。それは、死体を見たことがあるからだ」

「……随分哲学的な言い回しじゃないですか。回りクドイのは私、嫌いです」

 哲学的な言い回しっていうなら「君は死体を認識できない。それは死体を見たことがないからだ」になるんじゃないだろうか。……大丈夫か、この人。

「……なによ」

「いや、話を戻そう」

「?」


 案外天然なのかもしれないな。うん。


「いや単純な話、死体を見たことがトラウマで死体を見ることを避けてるんだろ? で、多分その肢体を見ることになった原因っていうのは――」

「…………」


 沈黙は暗黙の了解ってことでいいのかな。


「……君自身が殺人鬼だから。……違う?」

「……とんだ名探偵ね」

「おや?」


 膝の上の猫を構うことなく立ち上がると、猫はワンテンポ遅れて飛び降りた。頭の上の猫も同じだ。


「私が殺人鬼だとしたら、貴方殺されることになりますけどーーそれでいいんですか?」

「そうだなぁ。殺されるのはちょっと嫌だけど、君が殺人鬼だったとしたら一つ聞かせて欲しいかも」

「なんでしょう?」



「――ヒトを殺すって、どういう気持ち?」

「ッ……!」



 パンッ、と破裂音が左のほうで聞こえたかと思うと視界がぶれていた。遅れて痛みと状況が頭に届き始める。視線を戻した先で彼女は初めて目に涙を浮かべて怒っていた。


「……痛いじゃないか?」


 叩かれた場所がまだじんじんとまだ熱を持ってる。心配させたくはないから笑顔を作ってみるけど、それが彼女の神経を逆撫でしたらしい。一瞬苦々しく歯を食いしばったかと思うと、次の瞬間には胸ぐらを掴まれていた。


「何が目的? 何がしたいの? 私に何をさせたいの、貴方は……!」


 爛々と燃えあがる瞳。怒りに染まった目ってこんな色になるんだ――って呑気に頭がピクニックだった。


「やだなぁ、そんなに怒らないでよ。別に君に何かを強要するつもりはないし、何かをお願いするつもりもない。ただ僕は君を見ていたいだけなんだ。わかる?」

「わからないわね……」

「そっか、じゃあ僕は君のストーカー。これで納得いただけるかな」

「ッ……」


 そこで「なら通報しても構いませんね」とか言ってこないあたりかなり本気で怒ってるらしい。本気と書いてマジと読ませたのは一体どこの誰なんだろう。マジで。


「私はね……、貴方とは違う……! 貴方が私をどう思っているのかは分からないけど、あなたの期待には答えられない……! それをわかっておいてッ……!」

「おわっ」


 どんっと突き飛ばされて思わずベンチから転げ落ちそうになる。慌てて背もたれを掴んでキープキープ。この高さからでも落ちれば痛いしね。


「それでも僕は君を追い回し続けるよ? 君のことが気になるからね」


 意図せず笑顔になってしまったことをどう彼女が受け取ったのかは分からないけど、「好きにすれば」とそっぽを向いた顔は多分苦虫を噛み潰したような感じになっていたんだと思う。あ、そういえば苦虫を噛み潰すって一体以どこの誰が経験したことなんだろう。何かしら特定の種類の虫を指すんじゃなくて「噛んだら苦いと思われる虫」らしいけど、なんだその妄想。虫を噛もうと思うなよ。


「……あ。ねぇ、ちょっとちょっと」


 ふと目に入ったものがあったので話を振ってみる。


「……なに。くだらないことだったら蹴り飛ばすわよ」


 振り返りもせずに俯いたままの表情は相変わらず読めない。


「君のことじゃなくて。ほら、あそこ。君の知り合いじゃない?」

「……?」


 指を指した先、公園の入り口を横切る影が僅かに伺えた。


「タケルくん……、さっちゃん……!」


 なにをそんなに慌てることがあるのか、急に駆け出した彼女は帽子を地面に落として入り口へと向かう。僕も慌てて追いかけたけれど、公園の入り口で立ち尽くしていたのは笹乃枝さん一人だった。あの二人の姿は見えない。


「ほら、帽子。落ちたよ」


 と、途中落とした帽子を手渡す。


「……ありがと」


 帽子が脱げるとなんだか印象が変わるもので、その様子をぼんやり眺めつつ、子供二人の足取りが少し気になった。右を見ても左を見てもその姿はなく。坂になっているとはいえ一本道。何処かに隠れていない限りはまだ後ろ姿が見えるはずだ。


「神隠し」

「はぁ……」


 口をついて出た言葉にはため息が帰ってきた。


「なに、あの二人も何か関わりがあるわけ?」

「貴方に話すべきことではないと思いますが」

「わかった。こーさん。勝手に憶測を飛ばして推理するよ。うん」


 非協力的なのは今に始まったことでもないし、仕方がない。


「でももしあの二人を追ってるんだったら力になるよ。一人より二人の方が探しやすいだろ?」

「……どうかしらね。どっちにしたって、いまみたいに雲隠れするだけだわ」

「ふーん……?」


 一度は向こうから関わってきておいて、こっちが追いかけると逃げるって、なんだかちぐはぐな感じもするけど。そこんとこに事情があるのかな。


「ま、いいや。僕は別に――……」


 と、意識していないところに現れた圧迫感に言葉が詰まった。


「え……?」


 つられて彼女も言葉に詰まる。思わず、思考が停止する。


「……やぁ、こんにちは」


 男の人が立っていて、彼女の首筋に手をかけていた。細い首を握り潰すように。


「……?」


 そして僕は反射的にその腕を掴んでいた。


「おや? なんだい、この手は」

「……いえ、どっちかっていうとそれはこちらのセリフといいますか、なんで首締めようとしてるんですか。しかも片手で」

「ああ、そうか、締めるときは両手で雑巾を絞るように……、ぉ……?」

「だから、なにしてんですか」


 見知らぬ男の両手首を掴む。当の彼女は事態についてこれていないのか呆然とかたまるばかりだ。


「ふーむ……ふむふむ、ふーむ……こりゃ失敬。人の女に手を出すのは紳士的じゃなかったかな。すまないすまない」


 そういって黒いコートを羽織った男は桜さんから手を離し、僕の腕を振り払う。

 見るから見るに怪しい。怪しすぎて警戒心マックスだ。


「……どなたですか」


 彼女の声が震えていた。目の前の男に怯え、今にも逃げ出しそうに足を半歩下げている。

 まぁ、いきなり首絞められそうになりゃそうなるだろうけど。ちょっとビビりすぎ。


「――秋堂元(しゅうどうはじめ)だ。よろしく少年少女?」


 その人の笑みは、まるで三日月が笑っているようだった。

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