4 踏んだり蹴ったり
「――――――――」
彼女の目が見開かれた。
それは確かに死体を捉えていて、一瞬口を開き、慌ててそれを手で押さえた。
込み上げたのは悲鳴か胃の中身か。
直視すればなんて事は無い。人間の死体だった。
カエルの解剖よろしく体を盛大に切り開かれ、壁にへばりついている。
切り開かれたというよりも「叩き付けられて破裂した」という見方の方が正しいかもしれない。車のタイヤに踏みつぶされたカエル。そんな感じだ。
「ぁっ……あァ……」
眼鏡の奥で瞳が揺れる。
揺れた気持ちは体に現れ、更に一歩後ろへとさがらせた。
「――で、そちらにも気付いてはいないんですね」
ぐちゃ、と足を下げた先。
実はさっき僕も踏みつけてしまったのだけど、草が生い茂っていて気がつかなかったし不幸中の事故だと思って頂きたい。
「きっ……、きゃぁッ……」
足下のそれに気がついて慌ててその場から飛び退く彼女。思わずバランスを崩しそうになった所を僕が受け止め、受け止めた手を慌てて払いのけた。
「……やはり貴方は……」
「ッ……」
距離を取り、僕を睨むささのえさん。完全に敵意を芽生えさせてしまったようでその視線は鋭い。しかし、歯を食いしばり、隙あらば逃げ出そうとしている彼女は怯えきっていた。だから僕はのんびりと構える。隙を見せなければ逃げることはないだろうから。
「……貴方は、“死体が見えていない”んですね?」
「…………ッ!」
言って、返事を聞く前に彼女が逃げた。――けーど、今度はちゃんと腕をつかむ。話はまだ終わってない。
「離しなさいよ!!」
「大好きです!!」
「はっ……?」
――人は、虚をつかれると思考が止まる。
「へへっ」
だから腕を引いて抱き寄せる。逃がさない為に。話しを聞いてもらう為に。また一週間彼女を探して回るのはちょっとごめんなので。
「きゃっ……?!」
腕を掴まれたことをようやく察したのか短く悲鳴をあげる彼女を抱き寄せる。
とりあえず抱きしめれば人は安心するって言いますし――、
「――――って、うぁっ……!?」
しかし思いっきり死体を踏んでしまった。
彼女の腕をつかんだままバランスを崩してぐるんと視界が一回転する。
「っ……!!!」
背中に激しい衝撃。ごんっ、と頭を地面で打って目の前がちかちかする。
「……った……」
同時に彼女の体が僕に被さっていた。みぞおち辺りが痛むのは多分肘か何かが突き刺さったんだろう。口の中に酸っぱい物が込み上げてくる。
「……ッ……!!」
事態を飲み込んだ彼女が即座に僕の腕を押さえ込み、マウントポジションを取る。首を絞めてこなかったのは不幸中の幸いだった。
「え、えーと……ぼくじゃありませんよ……?」
一応、弁明する機会は与えられたようなので必死の抵抗。あくまで犯人の作り出した死体を利用させてもらったにすぎない。
「何処からどう見てもあんたが怪しい!!」
しかし怒鳴られた。いや、叫ばれた。どっちかって言うと突っ込みに近いかもしれない。
「勘違いしてるかもしれないけど僕は君に興味があるだけで死体には興味はないよ……?」
「どっちだっていいし……!! ていうか、ああもうっ……最悪……」
……何が? 服が汚れた事? 死体を踏んづけた事? 両方な気もするけど。
「何なのよあんた……、何がしたいわけ……!?」
突然後をつけられて、突然死体を見せつけられた少女は叫ぶ。まるで子供みたいだ。
「君は“誰かに言われなければ死体を認識する事が出来ない。” これって、なんだかおもしろいと思わない?」
隠す必要もないので素直に告げる。重ねるようになるが僕の関心は彼女だけだ。
「ッ……」
動揺で揺れていた瞳が一瞬で怒りに変わった。右腕が自由になったのもつかの間、次の瞬間には頬を思いっきり叩かれていた。
「ったぁ……、……へぇ? 左利きなんだ?」
付いて出た感想はお気に召さなかったらしく、
「……マジ、有り得ない……」
激しく軽蔑された。ドエム属性の方ならこの理不尽さに身震いして頂けるだろう。
「いまのは僕が悪かったゴメンナサイ」
「…………」
いまになってジンジンと頬が痛み始める。ほっぺた叩かれるなんて経験なかったからちょっと新鮮だ。彼女自身、馬乗りになって殴るだなんてことは今までになかったのか徐々に正気を取り戻しては落ち着かないようだった。
「ううん、私も殴ってゴメン……」
「ん」
気まずい空気が流れる。
「で、見えないの?」
ぶつかる視線、逃げる目線。
まぁ探られたくない話題ではあるわな。
「僕が力になろう」
なんて台詞はありきたりだろうし、さて、どうしたものか……。
「…………」
よくよく考えれば死体が二つ転がっている空間で何をしてるんだろう僕らは。こんな所人に見られたら大変だ。色んな意味で。
「死体が見えなくて困る事は?」
「答えに困る質問ね」
「ごもっとも」
世界が滅んだ世界なら生きやすいかもしれないな。死屍累々の状況を目の当たりにしなくて済む。無論、世界が滅んでることにも気が付かなくなる。
閑話休題。
「でもさ、君がそれで困ってるなら直す手助けをしようか」
「は……?」
「言っただろ? なんだか君の事が心配だって。――僕が力になろう」
ぁ、結局この台詞になっちゃった。
「――――」
見開かれる目、小さく零された吐息。少しズレてしまった眼鏡を解放された右手を使って直してあげる。
「青山湊だ、よろしくね」
改めて名乗り直した笑顔の先で浮かび上がったのは悔しそうに顔を歪ませた。
「っ……、好きに……すれば……」
っとー、わー。ここで照れるのかこの人は。
なんだか意外な反応にドギマギしつつ、外した視線の先で、視界に映ってしまった死体から目を逸らす仕草に笑いが溢れる。
「面白いね、君は」
「……はぁ?」
怪訝そうな顔。ころころと変わる表情は見ていて飽きない。
「いや、これからよろしくどうぞ」
いつの間にか死体の周りだけではなく、川全体にまで赤く染め上げられている。長い彼女の黒髪も赤く燃え上がり、そんな姿が眩しく思えた。
こうして僕は、少し人とは違う少女・篠乃枝桜と知り合うことになった。
そしてそれは、この街に潜む「ヒトゴロし」に近づいて行く物語の始まりに過ぎなかった。
この街には人殺しが住んでいる 葵依幸 @aoi_kou
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