1 猫と死体


 猫の懐く人に悪い人は居ない。と、祖母が言っていた。


 学校帰りの公園で、滑り台の上に登って猫に囲まれている女の子を見つけた。グレーの帽子に、同じくグレーのパーカー。化粧っけはなくて、ショートパンツにニーハイ。黒ぶち眼鏡で大人しそうな女の子で、そう年は変わらない。とてもつまらなそうに猫のお腹を撫でていた。


「…………」


 学校帰りの裏道山中。大通りからは離れているから、電車の音も限りなく控えめに聞こえて来る。夕日に傾き始めた太陽の光は暖かく、オレンジ色に染まった春の終わりの夕暮れ時。そろそろ夕焼け小焼けが町内のスピーカーから響き渡ってもおかしく無い。

 ぼんやり猫と戯れている姿を眺め、どうしたものかと立ち尽くす。


「ふむ……」


 ふと、足下を駆け抜けて行く三毛猫を見送った。向こうの柵を飛び越えてやって来る黒猫は、澄まし顔で彼女の元へと駆け上がって行く。

 とりあえず、物は試しだ。何もしないよりかはマシだろうと鞄から猫缶を取り出して蓋を開けてみる。そのまま足下にゆっくりと置き、僅かに距離を作る。


 ……沈黙。


 何も起きはしない。


「……ふむぅ……」


 遠くから聞こえるにゃーにゃーという可愛らしい泣き声。次いで聞こえる猫に囲まれた少女の小さな悲鳴。そこそこ値段の張る猫缶だと言うのにも関わらず、完全に無視されてしまっている。あんなにいつも懐いて来るくせに。


 何処の世界も男よりも女の方が人を集めるのか? いや、この場合は猫だけど。


 一方彼女は突然ぞろぞろと現れ始めた猫達をどう対処すれば良いのか分からないらしく、わたわたと小さな滑り台の上で踊っていた。助けどころなのかもなー……。

 ここの猫は餌がもらえるとなると遠慮なしに寄って来る。それこそにゃんこネットワークを通じで公園外の猫が街中の猫がわんさかと。


「ここの猫は僕に懐いているはずなんだけど」


 拾い上げた猫缶を手に近くまで行って見上げてみた。

 逆光になった夕日が眩しい。


「…………」


 返答は、ない。驚いているのかぽかーんと口を開けてこちらを見つめ返して来る。


「……あの、」


 沈黙に耐えかねて僕が話し出そうとするとそれを遮るように「……そう」と静かにこぼし、彼女は視線をそらす。


「うん……?」


 知らない人とは話してはいけませんって教わってる類いのお嬢様なのかな……。少し興味が湧いてぼんやりとその様を眺める。幸いにもそのことに関しては何も言うつもりはないようで、否、それどころではないらしく猫を踏まないように慎重に滑り台へと向かっていく。


「…………」


 それを追いかける猫の大合唱。どうやらまだまだ触れ合いが足りないらしい。

 でも彼女はあいかわず真剣な顔をしている。どうやら猫を踏まないように神経を使っているのではなく、高いところが苦手のようだ。恐る恐る必死に遊具の枠を握っては後ろ向きに滑り台を“歩き降りていくこと約数十秒。彼女は地面に降り立ち、もう一度「――そう」と小さく零した。


「……」


 できる限りカッコよく決めたかったのかもしれないけど、諦めきれない猫達に先回りされてしまっていて足下では猫の大合唱が響き渡っていた。


「……高い所苦手なの?」

「うっさい!」


 俯いて表情は見えないけど髪から覗く耳は赤い。……案外恥ずかしがり屋さんなのかな。


 ――なんて事を考えていたら踵を返され、彼女は帰りはじめていた。


「ありゃりゃ」


 完全にボーイミーツガールには失敗してしまったようだ。

 別段、それを狙って話しかけた訳ではなかったから構わないのだけど。

 公園から出て行く彼女を見送ってから寂しそうな野良猫達に猫缶を置き与え、少し離れたベンチに腰掛ける。


 街のメイン通りから線路を挟んで反対側。小山の山腹に作られたこの場所には殆んど人も訪れる事無く、行政委託されている清掃のおじさんが朝やって来るぐらいで殆んど人気は無い。


 故に、ここで何が起こったとしても人の目にはなかなか止まらず、寂しい限りのショータイム。何か重大な事件が起きていたとしても、それに気付くのは翌朝の清掃タイム。おじさんが寝ぼけていればそのまま見過ごされる事になるのが悲しいかなこの街の現状である。


 そしてこれは何かの偶然なのか、それとも彼女の必然なのか。

 ベンチの背にもたれて首を落とした向こう側。反対向きにひっくり返った視線の先にその人は転がっていた。

 誰も来ないから気付きはしない。

 その理屈で僕が来るまで誰にも発見されなかったらしい。

 いや、もしくは誰かが来ても気がつかなかったのかも知れないけれど。


 兎にも角にも、いまだに誰にも発見されず、何の話題にもなっていないらしい。そう思うと少し不憫にも感じるけれど、無駄なトラウマを植え付けずに済んでいると言う点ではグッジョブと言うべきなのかもしれない。幼少期にみたのなら一生忘れられないだろう。


 目の前で困っている人がいたら基本的に関わりたくないのが世の常。現代社会の闇は深い。余計な事に首を突っ込んだ所で火傷をするか手を引っ掻かれるか、とにかくまぁろくなコトにはならない。


 孤独社会と疑問視され、問題視されたとしてもやっぱり関わらないで良い事には関わらない方が一番なのだ。それはこの街に限らず、この日本社会、ひいては人間社会に置ける鉄板中の定番。生きて行く上での処世術って奴だ。


 閑話休題。


 どうにも話が逸れた。まぁ、うだうだ考えたところで何も変わらないし、何をするわけでもない。僕にとっても「コレ」は通りがかった公園の火事で、下手に手を出して火傷をするのはごめんだ。できれば今すぐにでもここから離れたほうがいいんだろうけどそこまで急を成す話でもないだろう。


 ってのはほんの建前、少しだけさっきの女の子のことが気になっていた。


「……死体があって気がつかない、だなんて。ありえるのかな」


 夕日色の死体色。ベンチの向こうの茂みの中には転がっているのは大学生らしき女性と、性別判定不可能な謎のバラバラ死体が転がっていた。散らばった衣類から察するに中年のサラリーマンだろうか。少し離れた所に経済誌が落ちている。


「んー……?」


 彼女の登っていた滑り台からは丁度見えない角度だったとか。そして彼女は眼鏡さんだったから近眼で遠くの事はアウトオブ眼中でしたとか。

 足下の野良猫達にかまけて周辺からの情報収集を怠るなんて愚の骨頂。とんだおマヌケさんのようだ。

 無論、そんなことで済む話でもないだろうけど。


「善良なる市民といては通報しなきゃかなー……」


 足がつく事を避けて絶滅危惧種の公衆電話から緊急通報ダイヤルぷるるるる。

 手際よく通報を済ませて僕はさっさとここを去る。

 猫缶だけは入り口に置いていった。



 そしてその日から僕は彼女のことを探し始めた。

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