五日目

 一階に行き朝食を食べて、作業をこなす。今日は午後も連続して作業をするらしい。

 昼食を取るために食堂へ行く。今日の昼は親子丼だった。食堂には、天使が不死だと言った老人、不老だと言った子供がいた。外から見る分は判別できるようなものはない。二人とも、一人で食事を取ることはできるようだった。

 今日は食堂の隅に天使がいた。食事ももう終わっているのか、目の前に何も置かれていなかった。そこだけ時間が止まっている。なんとなく声をかけられるような雰囲気ではなかったので、食堂を後にする。

 午後の作業が終わり、夕方に自由時間になった。まだ太陽は降りていないので夕暮れという感じもしない。

 一階に降り廊下から庭を見ていたが、ベンチには誰もいないようだった。

 庭を眺めていたことに気がついたのか、通りかかった年配の女性の職員に今日はもう庭には行けない時間だと言われる。

 部屋に戻り、ベッドに転がる。窓から差し込む光が徐々に弱まり、やがて闇が部屋に侵入してきた。部屋の電気をつけようとしたところで、ベッドサイドで光るものを見つける。

 天使がくれた羽だ。

 羽が今、淡く光っている。

 それを掴んで、部屋を出た。消灯時間までにはまだあり、廊下は電気がついていた。廊下はしんとしていた。足音を立てないように、階下に降りる。庭へと繋がるドアに手をかけた。施錠されているのかと思ったが、ドアは簡単に開いた。空を仰ぐ。月が明るく、星が輝いている。

 その月明かりの下で、ベンチに座っている天使を認めて、横に座る。

「ああ、少年か」

「こんばんは」

「そうか、少しうとうとしてしまったみたいだ」

「夕方にはいなかったと思いますが」

「私も完全に暇というわけではないからね。それにここはいつも開放されているのだよ」

「日中限定だと聞きました」

「そんなことはない。現に私がいるし、少年がいる。これが結果だ」

「そうですね」

「さて、今日は、約束通り、君の話を聞かせてもらおうかな」

「僕の事も知っているんじゃないですか?」

 天使はそのような口ぶりだった。

「ああ、そうだな。少年は『生還者』だね」

「ええ、はい、そう言われました」

 ここに来て最初に言われたのがこの名称である。それ以前にも一般的な意味で言われてもいた。

「二度、生還しました」

「そうか」

 自分が生還者と呼ばれる所以は、多数の犠牲者を出した大きな事故で、奇跡的に生き残ったからだった。最初はバスが峠を走っているときに崖から落ちて、クラスメイトたちが死んだ。この段階で自分は、奇跡の少年と言われるようになった。

 ただそれからまもなくして、家族と乗っていた飛行機が不時着、炎上をして、また多数が亡くなった。その中に家族も含まれていたが、自分は生き残った。

 自分が助かったということは、なぜか報道されなかった。テレビを見ていても、軽傷の人間がいた、というだけだった。自分のことが知れ渡ればバス事故と結びつけて色々と言われるだろうと思っていたが、何か大きな力が働いたのか、病院で軽い手当を受けただけで退院をした。

 自宅に戻り、これからの生き方を考えていたところに、ここから連絡が来て、色々と調べたいことがあると言われたのだ。それで、意図的に報道されないようにしたのだということがわかった。詳細は不明だが、報道を制限することが可能なところから国家機関に類する何かなのだろうと思った。

「『生還者』は不老不死に密接に関係している。寿命を無期限に延ばして不死を暫定的に実現して、そして不老を克服したとしても、偶発的な事故によって人間は死ぬかもしれない。だから、その事故を回避する方法を得なければいけない。『生還者』はその意味では、死すべき運命から逃れた者だと言っていい。それが単なる幸運の連続なのか、再現可能な事象なのか、それを解明する必要がある。少年もまた波紋の影響を受けているのではないかと」

 天使が自分がここにいる理由を述べる。

 そう考えるとすんなり腑に落ちる。自分がそういう立ち位置なら、天使が言っていた不死と不老の二人を全くの冗談だと切り捨てることはできない。ここはこの程度の自分を研究対象にしたい、という場所なのである。

「少年は、自分のことをどう思っている?」

「正直、わかりません。偶然が重なることはあり得ないわけではないと思います。統計的に起こりうることは、いつか必ず起こる、ということではないでしょうか」

「少年の言うことはもっともだ。無限の時間があれば、すべての事象は生じうる。円周率に任意の数字の並びがあるようなものだ」

 ここに来てから自分が行っているのは、超自然的な感覚、有り体に言えば超能力のようなものがあるのか、を調べるという作業だ。あまり芳しくないことは相手の反応を見てわかっている。やはり単なる偶然にすぎない、というのが結論になりそうだった。しかし、『生命』がかかっている場合は違うかもしれないというのは捨てきれないようだったが、ロシアンルーレットをさせるわけにもいかないだろうから、今日で作業が終わることになった。

「あなたたちは、この事象については克服したんですか?」

「ああ、そうだ」

「どうやってですか?」

「我々は不死を得るために肉体を捨てることにした」

「捨てる?」

「今の人類の表現では、マインドアップロードと言われている。記憶や人格を脳からスキャンをして、電子の海に放り込んだ。同時に肉体を消滅させた」

「アップロードだけではないのはなぜですか? わざわざ肉体を消滅させる必要はないでしょう?」

「まず、第一に、肉体が残っている状況でマインドアップロードを行うと、現実的には同一人物が『二人』生じることになる。これは非常に問題だった。同じ人間が同時に存在するというのはね、かなりの問題がある。だからどちらかを消して『一人』にする必要があった。いや、そもそも、我々は肉体が限界を迎えようとしていたんだ。延命を繰り返し、長寿命を達成した。結果、高齢者で溢れることになった。脳を若返らせることはできなかったから、脳が使い物にならなくなる前に実行する必要があった。それ以来、我々は電子の海を漂うことになった。それまでの様々な技術を使い、一部は統合意思を造ることで減衰しながらも長い航程を乗り切ることに成功した。それが我々、地球に降り立った『時間の天使』だ」

「それは、不老不死なんじゃないですか?」

「そうだとも言える。もっとも、数億年というオーダーではどうなるかわからないから、その点でも意見はわかれるところだ」

「いずれ人類もその地点まで到達するんですか?」

「このペースで進歩をしていけば、それほど遠い未来ではない。もっとも、外部エネルギーをほとんど不要とする我々と同水準になるのはまだ少し先だと思う。しかし」

「それを防ぐんですね?」

「ああ、そのつもりだった」

「どうしてですか? あなたたちは、人類が不老不死になることで不都合が生じるんですか?」

 天使がまぶたを閉じる。

 そのまま喋る。

「我々は、不老不死が生命体として実現してはいけない技術だと確信しているからだ。これは、進化の行き止まりだ。不老不死は生命としての完成だと思っていた。現実は違った。いや、完成してしまったからこそ、不老不死は、何も生み出さなくなった。なにより時間が無限にあるのだから、次の世代に引き継ぐことも、新しい何かを生み出すこともなかった。不死は、すべての可能性がある。すべての可能性があるというのは、結果的に、何もする必要がないということだ」

「だから人類がその、マインドアップロードをすることを止めるつもりなんですね」

 天使がわずかに首を左右に振った。

「現状では、我々には止められなくなった。人類は、我々の介入なしでも同じところまでいくだろう。手前で止めるつもりだった。しかし人類は先に行く。それが計画の誤差だった。我々は、この選択をしなかった人類を見たかった。我々が失敗しなかったらどうなっていたのかを知りたかったのだ。それだけが目的だった」

「静観が優勢なのはどうしてですか? 積極的介入ややり直しならまだ人類を止められるのでは?」

「我々は『不老不死』は実現されるべきではない技術だが、『不老不死』を求める意欲そのものはその他の技術を発展させることを知っている。それは生命の根源的欲求なのだから。それに、我々は、今では人類のことを好意的に思っているのだよ。だから、ここから先は君たちに任せたい」

「それは責任の放棄だと思いますが」

 天使が無言になり、十分な間を取る。

「そうだね、そうかもしれない。それについては、本当に、どうしようもない。申し訳ないと思っている」

 天使が謝罪の言葉を言った。

「少年は、死ぬのが怖いかい?」

「事故に遭う前、昔はそうでした。今はそれほどでもありません。死は思いのほか近くに存在して、逃げることができないのでしょう。どのような歩き方をしてもいつか追いつかれるものです。少なくとも、あなたたちのようにマインドアップロードでもしない限りは」

「ああ、そうだね。追いつかれ方の違いでしかない。少年、君がどのような状況にあったとしても、毎日を大事に生き、人生に感謝をすることだ。死への恐怖を避け、不死の欲求に囚われない方法は、それしかない」

「はい」

「さあ、これで話はおしまいだ。もうすぐ日が回る。少年、君が波紋の影響の結果ではなく、波紋を起こす側になることを祈るよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る