四日目

 目が覚めて、身体を起こす。

 全身に汗をかいているのがわかった。

 これまで何度見たかわからない夢を思い出し、夢ではなく現実を繰り返し見させられているのだと思い知らされ、胸に手を当てて動悸をおさえる。

 どうして、自分だけが生き残ったのか。

 どうして、自分だったのか。

 窓から外を見る。

 外は靄がかかっていた。

 一階に降り、食堂で朝食を食べる。パン、スクランブルエッグ、スープ。もしかすると、このメニューはずっと変わっていないのかもしれない。

 庭に出るためのドアを開けて、霧で視界が悪くなっている中を歩く。

 ベンチが見える距離まで行き、天使が昨日と同じように座っているのを確認する。

「おはようございます」

「ああ、少年、おはよう」

「結局雨になりませんでしたね」

「これも雨だと認識すれば雨だ」

「それはそうですね、傘は持ってきませんでしたが」

 顔の皮膚に水滴がつく。その冷たさが、自分が生きていることを実感させる。

 天使に対する答えもこれに近い。

「あなたは、朝食は取らなくていいんですか? 僕は大分早い時間に食堂に行ったと思うんですが」

 天使の横に座る。

「食事は取ったり取らなかったり、その日の気分で決めている。この身体を維持するだけなら、それほど頻繁に食べることもない」

「あなたのその身体は、人間のものなんですか? それとも、その姿がもう人間とは違うんですか?」

「これは、人間だよ。私の身体は、人間のものと変わらない。我々の中にはこういった物質的な姿を取らないものも多いがね、部分的に役割分担がある。それも流動的だが。人間を観察、干渉するのに、やはり一番いいのは人間の形をすることだ。だから栄養を取る必要もある」

 天使が腕を交差して腹部をおさえている。寒いのかもしれない。

「さあて、少年。君への宿題だが」

「人類が進歩をするのに必要なものですね」

「そう」

 あれから一晩考えた。というよりもあの聞かれた時点で、ほぼ自分なりの答えは出ていた。

「それは、『死への恐怖』です」

 これについては、ここしばらく考えていたことだ。

 それに対して、天使はわずかに間を空けた。

 顔をこちらに向け、優しい表情をする。

「少年はどうしてそう思うんだい?」

 昨日の夜に組み立てた文章を脳から引き出す。

「死を恐れ、回避しようと行為が、人類が集団で行動する意味となりました。他の集団からの攻撃に備えるためです。あるいは、他の集団を攻撃して資源を奪い集団を維持するためです。死を恐れ、宗教が生まれ、また集団が強固なものになりました。そして、死を避けるためにあらゆる科学技術が生まれ、今も、それが続いています」

「そう、それは大体正しい理解と言える。メメントモリ、死を想え、だ。やはり少年は聡明だね」

 天使が褒める。

「より正確に言うなら、『恐怖』ではない。少年が言った『回避』の方が重要だ。死の回避、つまり、『不死』への欲求が人間を動かしてきた。宗教は肉体の死のあとに何が起こるかを考えた。いつか肉体を再び得て蘇ると考えたものもいた。肉体から霊魂が抜け、この世界とは別な階層に向かうと考えたものもいた。あるいは霊魂がもう一度地上の別な生命に降りてきて、それを繰り返すと考えたものもいた」

 低い声、力強い口調で天使が言う。

「文化もそうだ。有形無形にかかわらず、かつての権力者の石像から現代の市民のネットへのアップロードまで自分のコピーを残そうとする行為は、肉体が滅んだあとも、自分が世界から忘れられないようにする。これも名声が残り続けるという、その点では『不死』の一形態だ。かつては、次の権力者が前の権力者の功績を隠すために徹底的に記録を破棄し、その名を語ること自体を罪に問うこともあった。これは、記録に残ることが『不死』性を帯びていると認識していたからだ。また都市というのは、それ自体が大きくて有機的な生命体と見なすことができる。そこの一部となることは、都市が続いている限り、やはり『不死』を実現していると言えるだろう。不死というのは、脳の活動が永久に残るというだけではない。もちろん、これはどのように不死を定義するかによるわけだが」

 天使が大きく息を吸う。背が少し伸び、胸が膨らむ。

「そして現代では、もっと直接的に不死を実現しようと試みられている。科学は人間がどこまで生きることが可能かを見極めようとして、あわよくばそれが永遠になるのではないかと考えている。現にその試みは少しずつ成功しているかのように見られている」

「なるほど。それをあなたたちは適切な進度になるように誘導しているのですね。具体的にはどのようなことをしているんですか?」

「『生』が無期限ではないことを意識させ『不死』への欲求を想起させる。我々が一部の人間に直接的にも間接的にも働きかけ、それを受けた人間が人類の時を進める。そうして新しい進歩が生まれる。そのわずかな進歩はうねりとなって自然と拡張し、それは結果的に様々なものを生み出す。大きなものでは、疫病や戦争といったものだ。これも時を進める。その後、その手法では『不死』が可能ではないということを示し、もちろん人類自体が気がつくこともあるが、また別な方向へ関心を向かわせる。それが『事象』の『時間』を操作するということだ。我々はこれを人類が知恵を持ち始めてからずっと続けている。今は、それを人類が自覚し始めているため、進歩は加速度的に進んでいる」

「その先に、あなたたちの現状があるんですね?」

「ああ」

「ということは、科学、生命工学の分野ですか? 僕には、不死に到達するとすればその分野のように思えます」

 天使が長い息を吐く。

「いや、そうではない。我々は、そうではなかったし、人類も同じ問題に突き当たるだろう。生命工学では『限りなく』不死に近い段階までしか持っていけない。寿命は伸びるがそれには限度があり、それを不死と呼ぶことはできない。百年延びても、千年延びても、有限のものは不死ではない。病気や事故に対する治療技術も向上はするだろうが、脳や心臓に致命的な衝撃を受ければ死んでしまう。今後はそれを人々は恐れることになるだろう」

「一部を機械化するという方向はあると思います」

「結局、脳の寿命が人間の寿命となる」

「そうですね」

 天使の指摘は全うなもののように思えた。

「ただ、そういったものに対するイレギュラーな存在はいる」

「イレギュラー?」

「そう」

 天使が顔を上げる。視線を建物の方に向けたので自分もそちらの方を見る。窓を通して建物の廊下が見える。

 食堂で見たことがある老人がいた。

「我々は様々な時代、様々な場所で干渉を行っていた。それは、感覚的に捉えるのであれば、『波紋』のようなものだ。水面の上から、色のついた液体をわずかばかり落とすような行為だ。その『波紋』は大多数の人間にはほとんど影響がないが、ごく稀に影響を強く受けてしまう。それは、精神だけではなく、肉体にも影響を与えることがある」

 老人はゆっくりとした、やや不安定な足取りで通路を歩いている。

「彼は、その波紋の影響を受けた者のうちの一人だ。彼は今のところ、ここでは不死に近い存在だと思われている。少なくとも、平均的な寿命を大幅に超えている。どのような仕組みになっているかはわからないが、本当は永遠ではないとしても、現代の科学ではまだ到達していない領域にいる」

 老人が立ち止まり、また足を進めている。

「不老不死ですか?」

「いや、違う、『不死』であるかもしれないが、『不老』ではなかった。彼は生き続けている限り、他の人間よりは遅いが肉体や脳が劣化していっている。それがどこまで耐えられるかはわからないが、彼はもう自分がどんな人間だったのか覚えてもいないだろう。もしかしたらいずれ寝たきりになって、それでも脳と心臓だけは動き続けるかもしれない。それを不死と呼べるかどうかはわからないが」

「人間が想像する不死は、健康で、正常な活動できるという前提があるように思います」

「そうだね、そうだと思われている、それが不死への欲求で大事なところだろう。それなら不死と同時に肉体を若返らせる方法が必要になる。さきほど少年が言ったように、我々は、それを機械に置き換えることにした。いずれにしても、脳の劣化が問題となって、不死とは到底呼べないものになった」

「脳だけでも若返らせることができるなら問題は解決するのでは」

「我々にはそれを成し遂げることができなかった。しかし」

 また天使が通路を見る。

 通路には小学生くらいの子供がいた。メタリックな青いボールを抱えている。

「彼女は、『不老』だ。『不死』かどうかはまだわからない。あの状態で、数十年生きている」

 ボールを床に叩いてドリブルをしている。

「そのような病気では? ホルモンの異常のような」

「数々の検査をした上で、彼女自体は正常だということがわかっている。彼女のような存在は、他に確認されていない。だからここにいるわけだが」

「それであれば、彼女を再現すれば不老不死は実現できるのでは? 一例でもあれば、科学はいずれ解明するでしょう」

「彼女は彼女で問題がある。『不老』であるがゆえに、脳が成長をしていない。つまり、新しく学習することができない。記憶はあの年齢に達したときに止まってしまった。新たに単語を覚えることは多少できるが、それを体系立てて理解することはできない。まさにあの年齢相当の知能で止まっている。その再現で人間は納得するだろうか」

「しないと思います。永遠に学習し続け、経験が蓄積されていくことが前提だと思います。その点では『不死』の老人と同じです」

「そうだ、少年の言うとおりだ」

「それ以外に、ここにいる人たちはどうなんですか?」

「普段は部屋から出てこないが、自然治癒能力が非常に高い女性がいる。不老でも不死でもないとみなされているが、その特殊性からここにいる。自分が死なないのではないかという思考は彼女を蝕み、何度も自傷行為をしているが、失敗に終わっている。どこから回復しなくなるのかは調べられている途中だ。彼女も死ぬことはできるはずだが、そうは彼女も決断はできないのだろう。それも当然だと思うがね。突出しているのはこの三人だ。あとはこれらの大なり小なりといったところか。彼らはここで保護されている」

 自分をわざわざ呼び寄せるくらいだから、そういう人間がいることを完全否定できるわけではないが、やはり荒唐無稽も甚だしいと思った。

「保護? 研究では?」

「どちらも同じ事だよ。経過観察をするくらいしかできることはない」

「それでは」

 言いかけて、冷静になって口を閉じる。

 踏み込むのは、タブーに違いないと思ったからだ。

 天使がこちらを見る。穏やかな笑みだ。

「私は保護対象ではない。なぜなら、ここを作ったのが我々だからだ。私はここを管理するために設立当初から管理人としている。やることはないがね、人間の形をしているというだけで選ばれた」

 天使は自分の疑問の先を言う。

「はるか昔の話だ。我々は様々なイレギュラーを発見した。もしかしたら我々の長い歴史にもいたかもしれないが、これは我々には驚異的なことだった。我々の影響、波紋の結果生まれたかもしれない彼らは、いずれにしても人間社会から疎外されていた。些細な差異を社会は長く許容することができない。彼らはどこにも行けず、多くは精神を病んでいた」

「保護しているのは、彼らを助けるためですか?」

「助けるというより、『それでも死ななかった』者を集めて観察しているだけだよ。我々は彼らが我々が望んでいない方向に世界を決定的に変えてしまうことを恐れているしね」

「なるほど」

「信じていないね」

 天使が口の端を曲げて言った。

「はい」

 率直に言う。

 なにより、彼女がこちらの肯定を強制しているようには見えなかった。

「素直なのはいいことだよ。鵜呑みにする理由もない」

「はい、ええ」

「さて、今日はもう終わりかな。今日もずいぶんと喋ってしまった。さすがに冷えるし、昼以降は部屋にいることするよ」

「そうですね、僕もそうします」

「少年はいつ帰るのかね、前も聞いたが」

「問題がなければ明後日の朝には帰ります」

「そうか、では話せても明日が最後かな」

「そうかもしれません」

「では、可能であれば、少年、君の話を聞きたい」

 天使に見つめられて、心のどこかが固まってしまう。

「……ええ、わかりました」

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