三日目

 昨日はなんだかんだで作業が長引き、いつの間にか夜になってしまい、ほどよい疲れを感じて、夕食を食べたあとそのまま倒れ込むように寝入ってしまった。薬もなしで眠ったのはいつ以来だっただろう。

 今日の作業は午前だったか。

 彼女の言う通り、昨日のはかなりつまらないものだった。今日も同じようなものだろう。

 ベッドサイドに彼女から受け取ったものが置かれている。それの端を摘まんで持ち上げる。部屋の窓から差し込む光を通してそれを見た。

 白い羽だ。

 重さはほとんど感じない。

 鳩だろうか。

 それを置き直して食堂へ向かうことにする。

 午前中の想像通りのつまらない作業を終えて、午後は自由時間になった。明日は夕方から開始するらしい。こうやって時間を変えて行うことに意味があるらしい。

 昼食はミートソースのパスタだった。

 周りを見渡す。自分以外にも何人か昼食を取っていた。年齢は様々だ。老人もいれば、自分よりももっと若い、児童といっても差し支えない子供もいた。一様に暗い顔をしている。そもそも明るい人間はここにはいないのだろうか。

 食べ終わり、その足で庭へと向かう。日差しは暖かい。太陽がこの世界が生きていると告げている。

 木の下のベンチでは天使がすでに座っていた。

「やあ少年」

 天使は俯いたまま、顔を上げない。最初から開けていたというように、ベンチの左側を手で指したのでそこに座る。右側に天使がいる。

「こんにちは」

「ああ、いい天気だね」

「そうですね」

「明日は雨だそうだ」

「そうなんですか?」

「どうかな」

「ええ……」

 まさか天使が冗談を言うとは思わなかった。

 いや、今までの言葉がすべて冗談か。

「明日は雨にしたい、そういう気分のときもある」

「あなたが天気を変えられるんですか? 『時間の天使』の権限とかいうので?」

 天使が髪に覆われている頭を左右に振った。

「いや、それは我々の領分ではないよ」

「じゃあ」

「『我々』は『時間』を司っている」

「時間というのは、その、時計とかの時間?」

「そういう捉え方もあるが、厳密には違う。もっと広い概念だ。すべてのものには時間があり、そのすべてのものが始まりと終わりを内包している。それを調節するのが『我々』だ」

「すべて?」

「そう、すべて」

 天使が頭を上げて天を見た。昨日と同じ、白い顔と深いクマがある。

「個々の生命の寿命だけの話ではない。群れとしての寿命、都市の寿命、文化の寿命、技術の寿命、人類の寿命、そして星の寿命、そのすべてだ。いわば、『時間』とは『事象』の寿命、その長短を指す」

「それを操ることができる?」

「規模が小さいものは、昨日の少年のように、時間の感覚を直接変えることができるが、もっと大きな範囲の寿命はそれこそ長い時間をかけてゆっくりと変えていく」

 反射的に、自分の時間を『規模が小さい』と言われたことに少しだけムッとする。

「昨日は、修正をすると言っていました。ロードマップのようなものがあると。あなた、いえ、あなたたちが、あるべき道を知っている、ということですか?」

「そうだ、ただ」

「ただ」

 天使が薄く開いていた瞳を閉じる。

「思っていたよりも、変化が速い。『我々』のときはそうではなかった。これは今までの操作の積み重ねが影響をしたのかもしれない。結局、『時間』を変えるだけでは不十分だったのかもしれない」

「あなたたち、はどのような存在なんですか? 天使というからには、神様からの使いのようなものですか?」

「いや、天使、というのも通称、かつて我々に接した人間の一部がそう勝手に呼んだだけだ。その行為が、彼らには天啓のように見えたのだろうね。その前は『監視者』、あるいはもっと未来では『ウォッチ』と呼ばれた。我々には我々に対して呼ぶ固有の名称は存在していない。我々はすべてで一つなのだから、呼び合うこともない。呼ばれないものに名前は不要だろう?」

「それはそうかもしれませんが」

「少年には名前がある。少年を個体として認識し、呼ぶ必要があるからだ」

「それは……」

 どうだろう、か。今の自分を名前で呼ぶ人間がどれだけ残っているのだろう。心の中で頭を振り、その問いかけを消し去る。

「あなたたちが、正しい道を知っているのだというのであれば、あなたたちの道を、こちら側、こちら側というのは、こういう場合人類というべきなのかもしれませんが、なぞるように誘導しているということですか? あなたたちという先行者を手本にして?」

「そうだ、そう捉えてもらってかまわない」

「その道は、正しかったのですか?」

 その言葉を聞いて、天使は目を開けて、ゆっくりと自分を見た。微笑んでいるような気もしたが、深淵のような瞳の奥を見て、なんだかぞっとしてしまう。

「少年、今のはとても本質的な質問だ。少なくとも『我々』にとっては」

「間違っていたのですね?」

 天使が頷く。

「おそらくは、そうだったのだろう。我々は、あまりに『同じように』することに固執してしまった。それが結果的に誤差を生み出した。君たちは、我々ではなかった。ただそれだけのことに気がつかなかったのだ。だから、今、我々の中でも意見がわかれている」

「すべてで一つではなかったのですか? 意見がわかれることがあるんですか?」

 天使と話をしていて、楽しい気持ちになっていた。論破をしてやろうとか、隙を見つけてやろうとか、そういうつもりでもなく、彼女の話に応答している自分という存在が愉快に感じたのだ。こんな気持ちになったのはいつぶりだろう。

「一人の人間にも複雑な意思決定プロセスがあるように、我々にも同時に相反する意見が出ることがある」

「今は、どのような意見があるんですか?」

「静観、積極的介入、そして、やり直しだ」

「最初の二つはわかりますが、やり直し、というのは、今の人類の文明をやり直すということですか?」

「そう」

「そんなことが可能なんですか? 文明を消し去るということが、あなたたちにはできる?」

「不可能ではない。長い時間をかければ。幸い、我々には時間がある」

「どの意見が優勢なんですか?」

「静観、だ」

「あなたは? あなた個人には意見があるんですか?」

 天使が小さく首を振った。

「すべての意見があるが、そうだな、やはり、静観、が強い。我々の全体として静観が優勢な以上、私個人の意見も同じ割合になる」

「そもそも、なんですが、あなたたちは、人類をそのように、あなたたちと同じように進歩するように誘導して、何を求めているんですか?」

 再び天使が頷く。

「もう少し未来に、人類は我々に追いつく。そして、そこで我々は、人類に、我々と違った選択をさせるつもりだった。その結果を見て、我々は、本当に間違っていたのか、その判断をする」

「少なくとも、あなたたちは、自分たちが間違った選択をしていた、という認識があるんですね?」

「そうだ」

「それなら、あなたたち自身がやり直しをすればいいんじゃないですか?」

「それがそうもいかないのだ」

「なぜですか?」

 天使は長く息を吐いた。

「我々は、進化の行き止まりに達したからだ」

「行き止まり?」

「少年、人間が進歩するのに必要なのは何だと思う?」

 唐突な天使の質問について考える。

 十秒ほど考えて、口を開く。

「必要は発明の母だという言葉がありますが」

「それも正しいが、それは表層的なものだ。もっと深い、根源的なものだ。それを少年、君は知っているはずだ」

「え?」

 突然の天使の言葉に困惑する。

「僕の事を知っているんですか?」

「知らないが、知っている」

「わかりません」

「それでは、次回の宿題にしよう。なに、一晩寝れば、少年はわかるはずだ。すでに思い当たることはあるだろう?」

「いいえ、ああ、はい、そう、ですか」

 頭の中を見透かされた気分になる。

「また、可能であれば、明日。雨が降らないといいね。私もそろそろ自室に戻るよ」

 そう言いながら、天使は立ち上がろうとしない。

 自分に先にここから去ってほしい、とでも言っているようだった。

「はい、それじゃあ、明日」

 立ち上がり、庭から戻る。建物に入るドアを開ける前に一度振り返ったが、天使はまだベンチに深く腰をかけたままだった。

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