第42話 変わらない家族

 父親のヨアキム、それに母親と兄妹もそろって真新しい衣装で着飾り、喜色を浮かべてアリーセに近づいてくる。


「アリーセ、ドレスも宝石も上等だな。さすがは我が娘。ブラント公爵の婚約者だ」

「公爵様に愛されているのねぇ」

「……お久しぶりです」


 本当ならこうして言葉も交わしたくないが、仕方なく挨拶する。両親はアリーセが結んだ良縁に上機嫌で、さらに擦り寄ろうとしているのが見ただけで分かるほどだ。一方、兄と妹はアリーセの幸せが気に入らないのか、じろじろと眺めた挙げ句、鼻で馬鹿にするように笑った。


「せっかくの衣装も、お姉様が着てたんじゃもったいないわね。私だったらもっと華やかに着こなせるのに」

「身の丈に合わないとはこのことだな。まあ、アリーセにしては頑張ったほうか」


 兄と妹の人を見下すような視線と口調が本当に嫌だ。それをたしなめない両親にも、いつものことだが失望する。


 冷めた眼差しで家族を見つめていると、妹のモニカが上目遣いになってエドゥアルトに近づいてきた。


「ねえ、エドゥアルト様ぁ。私、新しいドレスが欲しいんです。これから家族になるんですから、可愛い義妹のためにアリーセのより素敵なドレスとそれに合う靴と宝石も買ってくれませんか? そうしたら私、エドゥアルト様のために何でも・・・しますから」


 頬を染めながらエドゥアルトに触れようとしたモニカの手を、エドゥアルトがすかさず叩き払った。


「失礼、あまりに不快だったものだから」

「なっ……!」


 驚いて叩かれた手を押さえるモニカに、エドゥアルトがさらに言い放つ。


「可愛い義妹だなどと、よく言えたものだ。俺には美しく気高い姉を食い物にしようとする身の程知らずの性悪にしか見えないが」


 おそらく今までの鬱憤も込められた侮蔑にモニカが凍りつく。


「兄も兄でいつになったら自立するんだ。ろくに仕事もせず、君までギャンブルを始めたんだって? 貴族としての責任も果たさずに遊び呆けている君が、よくそんな口を聞けたものだ」


 視線だけで射殺されそうなエドゥアルトの眼光を真正面から受け、兄のデニスは一瞬で蒼白になった。放心状態のデニスとモニカ、そして明確な怒りを滲ませるエドゥアルトに、フランセル夫妻が狼狽える。


「こ、公爵様、今夜は少々ご気分が優れないようですわね。ほらアリーセ、あなたのご奉仕が足りないのでなくて? もっと尽くして差し上げて──」


 フランセル夫人の言葉に怒りが頂点に達したエドゥアルトが口を開く……が、アリーセがそれを制した。


「いい加減にしてください」


 アリーセの冷ややかで凛とした声が会場に響く。


「ここは王家主催の格式高い夜会です。それなのにこの醜態……。時と場所を弁えることもできないのですか? 恥さらしな真似はおやめください」


 アリーセの冷静な警告に家族たちが息を呑む。今まではアリーセが何か言ってきたところで、やかましい小言だとあしらえていたのに、どうして今は体がすくんでしまうのだろう。


「で、でも、私たちはお金が足りなくて困っているの! お姉様は裕福な暮らしができてるんだから、少しくらい回してくれたっていいじゃない……!」


 モニカが無謀にも声を荒らげて言い返す。悔しさで口をわななかせて睨んでくる妹に、アリーセは小さく嘆息した。


「お金がない? 私を売って手に入れた五千万ゴールドはどこへ消えてしまったのかしら。今あなたが着ているドレス? それともお母様のネイルサロン代? いえ、お父様とお兄様のギャンブル代かしら」


 モニカ以外の家族が俯いて視線を逸らす。


「あなたたちこそ、身の丈に合わない暮らしをしすぎだわ。お金がないと言うなら、浪費することをやめなくては。不要なものを売って節制できるところは節制すれば、借金もいくらかマシになるでしょう。そしてモニカ、買いたいものがあるなら自分で働いて稼いでみたらどう? あなたの年齢なら子供の家庭教師くらいできるはずよ」

「む、無理よ。勉強なんて分からないもの……!」

「それなら学びなさい。あなた自身のために」


 何も言い返すことができない家族に、アリーセが最後の通告を言い渡す。


「もうあなたたちとは縁を切ります。今後は一切、私に近づかないでください」


 毅然と言い放つ家族との訣別。清らかに輝くエメラルドの瞳には、決して揺らぐことのない強い意思の光が宿っている。


 鮮やかに反旗を翻したアリーセに、家族たちの成す術はなかった。今までの立場を覆され、失ってはならなかった宝に見捨てられ、絶大な権力を誇るエドゥアルト・ブラント公爵の逆鱗に触れてしまい──絶望だけが残されたフランセル家の人々は、周囲の貴族たちに嘲笑われながら会場の外へと消えていったのだった。





「……さすが俺のアリーセだ」


 エドゥアルトが敬意のこもった眼差しでアリーセを見つめる。彼にそんな目で見てもらえることが、アリーセは嬉しかった。


「あなたがそばにいてくれたから強くなれたの」


 昔のアリーセだったら、あんな風に言い返すことはできなかったし、家族を手放すこともできなかった。どうしようも人々だと事あるごとに痛感させられても、見捨てることができなかった。家族以外に、アリーセを見てくれる人はいないと思っていたから。


 けれど今は違う。今は、エドゥアルトがアリーセを見てくれる。すぐそばで寄り添って、たくさんの愛で包んで満たしてくれる。おかげで、家族はアリーセのことなんて見ていなかったのだと、アリーセが自分を犠牲にしてまで付き合う必要などないのだとやっと分かった。


 煌びやかなホールに、ワルツの曲が流れる。


「俺と一曲踊っていただけますか?」

「ええ、喜んで」


 エドゥアルトが手を差し出してダンスを申し込む。アリーセに触れるたびに大きな安心を与えてくれる愛しい手。他の誰にも渡したくないその手を取って、アリーセは軽やかに一歩を踏み出した。

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