第43話 月光降り注ぐバルコニーにて
ワルツの曲に合わせて、エドゥアルトとともにステップを踏む。壮麗な王宮のホールで、豪奢なシャンデリアの明かりが二人を照らす。こんなに素敵な場所で愛する人と踊れる日が来るなんて思ってもみなかった。
悠然とリードしながらエドゥアルトがアリーセに囁く。
「みんなアリーセに目を奪われてる」
「あなたに見惚れている令嬢もいるじゃない」
「でも俺はアリーセしか見えないからな」
「私も、あなただけを見てるわ」
もう誰に注目されても怖くない。自分の体がこんなにも自由にしなやかに動けるだなんて知らなかった。お気に入りのドレスの裾を翻らせ、エドゥアルトと二人、互いだけを瞳に映して軽やかなリズムに乗る。
そうしてダンスを楽しんでいるうち、やがてワルツの演奏が終わりを迎えた。
「あっという間だったわね。楽しかったわ」
「君はダンスの才能もすごいんだな」
「あなたのリードのおかげよ。……ふう、たくさん動いたせいか暑くなっちゃったわ」
ホール内の熱気もあって、涼しい風にあたりたい気分だ。
「バルコニーに行ってもいいかしら?」
「もちろん」
そう返事してエスコートしようとしたエドゥアルトだったが、なぜか途中で方向転換して赤い髪をした
「スヴェン殿下、ちょっとアリーセをバルコニーに連れていってくださいませんか? ホールが少し暑いので」
「は? 君は?」
「俺は飲み物を取ってこようと思いまして。アリーセひとりだと危ないので付いていてやってください」
「……まったく、僕にそんなことを頼むのは君くらいだよ」
アリーセもまさか付き人役を頼むためにスヴェンに声をかけたのだとは思わなかった。アリーセも顔見知りとはいえ、一応王弟の身分にある人だ。申し訳なくて恐縮してしまう。
「い、いいわよ、エドゥアルト。あなたが戻るまで待ってるから」
くいっとエドゥアルトの袖を引いて耳打ちすると、スヴェンがプッと笑ってアリーセのほうを見た。
「僕でよかったらバルコニーに付き添うよ」
なんということだろう。親切なスヴェンが引き受けてしまった。ありがたいけれど、これはまずい気がする。
「あの……大変光栄ですが、殿下と二人きりだとちょっと……」
「僕と二人だと気まずい?」
「いえ、気まずいと言いますか、殿下には恋人の女性がいらっしゃるのでは……?」
たしかフェリシアがそんなことを言っていた。だとしたら、恋人以外の令嬢と二人きりになるのはよくないのではないだろうか。そんなことを考えて伝えれば、スヴェンはきょとんとした表情になったあと、おかしそうにくすくすと笑った。
「なんだ、そんなことを気にしてくれてたんだ。大丈夫だよ、恋人なんていないから」
今度はエドゥアルトが意外そうに目を見張る。
「なんだ、そのうち揶揄おうと思っていたのに、当てが外れてしまったな」
「おあいにくさま。まったく、先輩を揶揄おうだなんて悪い後輩だ」
「残念です。まあ、それならアリーセのことを頼みますよ」
「はいはい、じゃあ行ってらっしゃい」
スヴェンがひらひらと手を振ると、エドゥアルトが飲み物を取りに奥へと歩いていった。
「ではアリーセ嬢、バルコニーまでお連れしましょう」
「ふふ、ありがとうございます」
演劇のように勿体ぶったスヴェンの振る舞いに、思わず笑ってしまう。そのままスヴェンのエスコートでバルコニーに出れば、ひんやりとした夜風が頬を撫でていった。
「外は涼しくて気持ちいいね」
「はい、それに静かで落ち着きます」
窓一枚を隔てただけなのに、少し離れただけでホールの喧騒が聞こえなくなった。
「夜会の感想は?」
「初めは緊張していましたけど、殿下たちのおかげでリラックスして楽しめました」
「それはよかった。君の家族が来たときはどうしようかと思ったけどね」
「お騒がせして大変失礼いたしました……」
せっかくの夜会であんな騒動を起こしてしまって申し訳ないことこの上ない。思い出すと恥ずかしくなって俯くと、スヴェンが「大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれた。
「あのくらい気にしなくていい。むしろよく言ったと思ったよ」
「本当ですか……?」
「うん、本当に。でも意外だったな。アリーセ嬢があんな威厳を備えていたなんて。やっぱり君は理想の人だよ、アリーセ嬢」
スヴェンはいつもアリーセのことを褒めてくれるが、威厳だとか理想だとか、あまりピンとこない。そんな大そうなものが自分にあるだろうか。
つい首を傾げると、アリーセの視界に美しい光が入ってきた。
「あ、スヴェン殿下、見てください。今夜は満月みたいですよ」
夜空に真円を描く白い月を指差して、アリーセがスヴェンに微笑みかける。するとスヴェンは、まるで時が止まってしまったかのように、大きく目を見開いたまま固まってしまった。
アリーセが指差した夜空に浮かぶ満月ではなく、バルコニーに佇むアリーセを見つめながら。
「スヴェン殿下……? どうなさったのですか?」
様子のおかしいスヴェンにおずおずと声をかけると、スヴェンははっとしたように瞬きをして、いつもの彼に戻った。
「……ごめんね、少し考えごとをしていて」
「いえ、殿下はお忙しいですものね。そういえば、学校づくりのほうはいかがですか?」
「君のおかげで順調そのものだよ。そうだ、今度学校の建設予定地を見に行くんだけど、よければアリーセ嬢も一緒に来てくれるかい?」
「まあ、ぜひご一緒させてください」
学校はどんなところに建つのだろう。実際の場所を見たら、具体的な構想がいろいろと湧いてくるかもしれない。
校舎は東向きがいいだろうか、そういえば学校の名前はどうするのだろうかなど、あれこれ考えを巡らせていると、ホールのほうからグラスを持ったエドゥアルトがやって来るのが見えた。
「……君のパートナーが戻ってきたね。じゃあ僕はこれで」
「もう行かれるのですか? よろしければ三人でゆっくりお話でも……」
バルコニーから去ろうと踵を返したスヴェンをアリーセが呼び止めるが、スヴェンは困ったように眉を下げてかぶりを振った。
「せっかくだけど、今夜も仕事をしないといけないんだ。少し予定を早めないといけなくなりそうで」
「そうなのですね……」
きっと文官長ともなると、学校づくり以外にもたくさんの仕事を抱えていて多忙なのだろう。引き止めるほうがよくないかもしれないと思い、付き添いのお礼を伝える。
「ご親切に付き添ってくださってありがとうございました。お仕事、あまり無理はされませんよう」
「ありがとう。僕のほうこそ、君の護衛役を務められて光栄だったよ。エドゥアルトと良い夜を」
ベルベットのマントを翻して爽やかに去っていくスヴェンを見送ると、エドゥアルトが到着して肩をすくめた。
「殿下に礼を言いそびれたな」
「とてもお忙しいみたいよ。今夜もお仕事なんですって」
「さすが文官長様だな。ほら、アリーセ。喉が渇いただろう」
「ありがとう、エドゥアルト」
差し出されたグラスを受け取って口をつけると、シャンパンの華やかな香りが鼻腔をくすぐった。甘い香りのわりにさっぱりとした味わいで、喉を潤すのにちょうどいい。
「うん、美味しいわ」
グラスを片手に持ったままエドゥアルトに笑いかけると、彼の瞳に珍しく緊張の色が浮かんでいることに気がついた。
「──アリーセ、君に話がある」
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