第41話 王宮での夜会

 三日月がひっそりと浮かぶ仄暗い夜闇の中。死者が眠る静かな墓地をひとりの男が歩いていた。ランタンを片手に慣れた様子で暗闇を突き進む彼は、とある墓石の前でぴたりと足を止めた。揺れる炎の光に照らされた真っ白な墓石には、『カミラ・ヨハンソン』という女性の名前が刻まれている。


「……カミラ、今夜は三日月だよ」


 そう呼びかければ、「本当ね、綺麗だわ」とこちらを見て微笑む彼女の姿が浮かび上がるようだった。


 愛しいカミラ。一緒に幸せになるはずだった、かけがえのない女性。


 ──けれど今は幻影でしか会うことができない。


「ねえ、カミラ。もうすぐ君の夢を叶えてみせるからね」


 白い墓の前で可憐に首を傾げるカミラに伝える。


「そして、あいつに復讐するよ」


 だから安らかに眠って。

 もう誰にも傷つけられることのない穏やかな場所で。

 僕のことを見守っていて。


 深い悲しみの色をした碧眼から、ひとすじの涙がこぼれ落ちた。



◇◇◇



「王宮で夜会?」


 アリーセが大きな瞳をぱちぱちとさせて尋ねると、エドゥアルトが金色の封蝋が押された手紙をひらひらと振って見せた。


「イェンス殿下から招待状が届いた。無理して参加しなくても大丈夫とは書いてあるが……。どうする? 君が行きたくないなら、俺も行かない」


 イェンスもエドゥアルトも、アリーセを気遣ってくれているのだろう。


 夜会に出席すれば、好奇心旺盛な貴族たちの視線にさらされる。話したくない話題を振られ、過去のことを好き勝手に噂されるかもしれない。アリーセにとって居心地のいい公爵邸やエイデシュテッド孤児院とは訳が違う。


(……でも、ずっと人目を避けてばかりではいられない)


 王宮でアリーセに懐疑的な目を向ける文官たちと堂々と話し合うことだってできたのだ。きっと夜会でも大丈夫。


「エドゥアルト。私、夜会に参加するわ」



◇◇◇



 そして、夜会当日の夜。使用人たちに今までになく磨き上げられ、飾り立てられたアリーセがエドゥアルトの前に姿を現した。


 いつかエドゥアルトが「自分のためだ」と言い張って買ってくれた深いグリーンのドレスをまとい、最高級のアクセサリーを身につけたアリーセは、まるで遅咲きの薔薇が花開いたような美しさだった。


 その洗練された美貌に目を奪われたエドゥアルトが、瞬きもせずに呆然と呟く。


「……信じられないくらい綺麗だ。君は女神だったのか?」


 夢か現実か分かっていないような顔をしているが、エドゥアルトだって盛装をして、王都の誰よりも凛々しくて素敵だ。


 アリーセが優美な笑みを浮かべて、エドゥアルトの目の前に手を差し伸べた。


「私の騎士様。馬車までエスコートしてくださる?」


 アリーセにお願いされたエドゥアルトが、やっと我に返って彼女の手に恭しく触れた。


「仰せのとおりに。俺の女王様」



◇◇◇



 煌びやかな王宮のホールは、アリーセにとって初めて訪れる場所だった。デビュタントは王宮ではない別の夜会だったし、そうして社交界デビューしたあとは、家の状況もあり一度も夜会に出ていない。ただ、家計に欠片も興味のない兄と妹は、さまざまな夜会に出かけていたようだったが。


「ねえ、あれってアリーセ様じゃない? なんだか前より垢抜けたような……」

「公爵家のメイドの腕がいいんでしょ」

「ああ、今は公爵様と一緒に暮らしていたんだったわね。まだ結婚前なのに」

「まあ四十も歳の離れた老人とも寝るんだから、見かけによらず奔放なんじゃない」

「あら、たしか伯爵は初夜の前に亡くなったんじゃなかったかしら」

「そうだった? ま、どっちでもいいんだけど」


 案の定、アリーセのことを好き勝手言う内容があちこちから聞こえてくる。覚悟はしていたが、実際に耳にするとさすがに辛い気持ちになってしまう。


「アリーセ、大丈夫か……?」


 エドゥアルトが心配そうにアリーセの顔を覗きこむ。やはり連れてこなければよかっただろうかと考えているのが丸分かりだ。アリーセはくいっと口角を上げて笑みを作ると、エドゥアルトの手にそっと触れた。


「大丈夫よ。……でも、私の手を握ってくれる?」

「もちろんだ」


 エドゥアルトの大きな手がアリーセの小さな手を包み込む。こうして彼に触れていると、ざわついていた心が次第に落ち着いていくように感じる。


「……ありがとう。おかげで気が楽に──」

「アリーセ嬢!」


 そろそろ手を離そうとしたとき、アリーセを呼ぶ朗らかな声が響いた。


「……スヴェン殿下?」


 振り返れば、王弟スヴェンが手を振ってこちらに向かってくる。今夜は王族らしい豪華な装いで彼の繊細な美貌が際立っているが、そのおかげで余計に周囲の注目が集まる。


「アリーセ嬢、今夜は一段と美しいね」

「ありがとうございます。スヴェン殿下もとても素敵でいらっしゃいます」

「ありがとう」


 互いに挨拶を交わしていると、隣のエドゥアルトがじろりとスヴェンを睨んだ。


「俺への挨拶はないのですか?」

「ああ、ごめんごめん。アリーセ嬢が綺麗すぎてエドゥアルトの存在に気づかなかったよ」

「……まあ、それは分かりますが」


 冗談なのか分かりにくいエドゥアルトの返事に苦笑していると、今度は第一王子のイェンスと第三王女のフェリシアもやって来た。


「お二人とも来てくださったんですね」

「会いたかったわ、アリーセ!」

「イェンス殿下、素晴らしい夜会にお招きいただきありがとうございます。フェリシア殿下、私もお会いしたかったです」


 久しぶりの再会を喜び合っていると、スヴェンが意外そうに首をひねった。


「君たちもアリーセ嬢と親しかったの?」

「叔父上、ご無沙汰しております」

「アリーセとは偶然知り合ったんですけど、とっても素敵な方ですぐに仲良くなったんです」

「私も先日、お茶会でいろいろお話をさせていただきまして……」

「ふーん」


 アリーセとの出会いを説明する甥と姪に、スヴェンが短い返事をする。投げやりでどうでもよさそうな、けれどどこかに棘を感じる返事。いつもの明るいスヴェンとは違う雰囲気に感じて、アリーセが彼のほうを向いたとき、周囲からまた噂話の声が聞こえてきた。


「ねえ、王弟殿下に王子殿下に王女殿下に、みんなアリーセ様と親しくされているなんて何事……?」

「王女殿下があんなに懐いてくっついていらっしゃるなんて」

「ねえ、もしかしてアリーセ様って凄い方なんじゃ……?」

「ど、どどどうしましょう……!? アリーセ様を悪く言ってたなんて知られたら……」


 驚く声や後悔する声があちこちから聞こえてくる。すると、フェリシアがひそひそ話している貴族たちを横目で見てにやりと笑った。


「これでアリーセの嫌な噂をする人はいなくなるわね」

「えっ、まさかそのためにこうやって抱きついて……?」

「そのためだけじゃないけど……でも、大事なアリーセの力になりたかったから」

「フェリシア殿下……」


 フェリシアの気遣いが胸に沁みる。きっとイェンスと話し合って計画してくれたのだろう。スヴェンもいることは想定外だったかもしれないが、おかげで効果も倍増してまさにフェリシアの思い通りだ。


「本当にありがとうございます。お二人は私の恩人です」

「気にしないで。大切なお友達のためだから」

「そうですよ。では、僕たちはもう行きますので、ゆっくり楽しんでくださいね」


 フェリシアとイェンスは作戦を大成功へと導くと、そのまま爽やかに去っていってしまった。


「二人には頭が上がらないな」

「そうね……」


 溢れる感謝と友情の気持ちに胸を押さえる。二人の心遣いに報いるためにも今夜は楽しもうと決意していると──正面からよく見覚えのある人々がやって来るのが見えた。


「おお、アリーセ! 久しぶりじゃないか!」

「お父様……」

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