第40話 アリーセの提案
五日後。学校づくりについて話し合う会議にて、アリーセは緊張の面持ちで挨拶をしていた。
「皆様、はじめまして。アリーセ・フランセルと申します。この度、スヴェン殿下にお声がけいただき、私も会議に参加させていただくことになりました。微力ながら何か力になれればと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「アリーセ嬢は孤児院についての知見もあって、僕たちの構想にきっと大きく貢献してくれると思っている。みんなも温かく迎えてほしい」
アリーセが無難な挨拶を終えると、スヴェンがすかさず歓迎の意思を示してくれ、他の文官たちも拍手で迎えてくれた。ただ、その眼差しにはまだ余所者を見るような色が浮かんでいる。
「公共事業は夢を語るだけでは実現できませんからね」
「その通り。妥協も必要になりますが、そこは前もってご理解いただければと」
文官たちの牽制するような返事にたじろいでしまったが、彼らも部外者に会議の場を荒らされないか心配しているだけで、悪意はないはずだ。
「皆様に比べれば知識も未熟だと思いますが、よりよい案を出せるよう努めたいと思います」
そうして、学校づくりの会議は始まったのだったが──アリーセは早くも議論の難しさを知る。
「──でですね、そもそものところから論じたいと思うのですが、平民のための学校をつくったところで生徒は集まるのかという話ですよ」
「いえね、殿下肝入りの構想だと分かっていますが、現実問題ほとんど集まらないと思いますよ」
「学ぼうという強い意志がない限り来ないでしょう」
(うーん、これは……)
アリーセは無言で話を聞きつつも、内心で唸ってしまった。どうやら文官たちは平民のための学校をつくったところで、学びに来る人はほとんどいないと考えているらしい。てっきり、もう学校づくりの合意は取れているものだと思っていたので驚いてしまう。
ちらりとスヴェンに視線を向けてみれば、若干うんざりしている様子が見て取れる。もしかすると、こんな状況が長いこと続いているのかもしれない。
(せめて話を前に進めないと……)
アリーセが意を決して手を挙げると、皆の注目が集まった。少し怯んでしまうが、子供たちのためにもやらなければならない。
「あの、僭越ながら少しよろしいですか?」
「アリーセ嬢、もちろんどうぞ」
スヴェンに促されてアリーセが続ける。
「学校をつくっても肝心の生徒が集まらないかもしれないという皆様の懸念はよく分かります」
「そうでしょう? 第一にそこが問題なんですよ。予算をドブに捨てるわけにはいきませんから」
「そうですよね。まずは学校に行こうという気になってもらわないと」
「その通り!」
「そこで考えたのですが──学校で朝食を無料で提供するというのはいかがですか?」
アリーセの提案に文官たちが目を丸くする。スヴェンも同じような顔になっているのは、それだけ意外な内容だったのだろうか。
「朝食を無料で……?」
「はい。まずは食事がとれることを通学の動機にするのです。初めは朝食目当てでも、そのうち勉強することで得られる知識の大切さにも気づくはずです」
「なるほど。食事に困っている人たちこそ、勉強によって開かれる道がより大きくなるだろうしね」
「はい。子供たちの朝食を学校が賄えば、家庭や孤児院の生計の余裕にもつながると思います」
「たしかに、一石二鳥だな」
スヴェンもアリーセの案を気に入ったようで、先ほどまでのうんざり顔に笑顔が戻る。しかし、その奥に座る文官が険しい顔で意を唱えた。
「たしかに斬新な案だとは思いますが、財源はどうするのです? 朝食用の予算の確保は難しいと思います」
たしかに、朝食の無料提供をするとなると、当初の計画よりだいぶ予算が増えてしまうだろう。だが、この点についても考えはあった。
「今、国で寡婦支援の政策がありますよね? この政策と連携させる形で調理員を募集できれば、人件費の問題は解決できると思います。食材費や光熱費については、当面は寄付金を募るのが現実的な落としどころではないでしょうか」
「それも検討する価値はあると思うけど、貴族からそれほど集まるかな……」
「エドゥアルトがブラント公爵家から寄付すると言ってくれているので、追従する家門は出てくると思います。それから最近、リンドブロム神殿で大きな不祥事がありましたので、信頼回復のためにと言えば、かなりの支援を引き出せるかと」
「素晴らしい! 学校運営が軌道に乗れば予算の上乗せも可能になるだろうし、それまでの体制としては申し分ないんじゃないかな。君たちもそう思わないか?」
スヴェンが文官たちに話を振ると、さっきまでは後ろ向きだった彼らの目に真剣な光が宿っていた。
「そうですね、アリーセ様の妙案のおかげで具体的な形が見えてきた気がします」
「ここからさらに細かく詰める必要はありますが……」
「それは君たちの得意分野だろう?」
「ええ、アリーセ様の働きに負けていられませんからね。我々の本気をお見せしますよ」
文官たちが歴戦の猛者のように頼もしい笑みを浮かべる。学校づくりの構想が勢いよく進んでいきそうな気配に、アリーセは胸が高鳴るのを感じた。
「アリーセ嬢、今日はどうもありがとう。本当に助けられたよ」
会議が終わったあと、スヴェンは馬車まで送ると言ってアリーセと一緒に王宮の外まで来てくれた。
「やっぱり君に声を掛けてよかった」
「こちらこそ、貴重な機会をいただいてありがとうございました。他にもお役に立てそうなことがあればぜひ手伝わせてください」
「それはありがたい」
馬車の前に到着して立ち止まると、スヴェンが手を差し出した。
「君のこと、きっと素晴らしい女性だと思っていたけど、僕の想像以上だったよ。こうして巡り会えてよかった。これからもよろしく頼むよ」
スヴェンの真っ直ぐな賞賛を浴びて、アリーセは気恥ずかしさと誇らしさで顔が熱くなる。彼がこうして握手を求めてくれているのも、自分の働きを認めてもらえたようでとても嬉しい。
「殿下にそんな風に仰っていただけて光栄です。こちらこそよろしくお願いいたします」
アリーセも遠慮がちに手を伸ばし、学校づくりの同志としての握手を交わしたのだった。
◇◇◇
観葉植物に囲まれたサンルームにオレンジ色が混じった陽光が差し込む。アリーセはその温かな部屋の真ん中に置かれたソファに腰掛け、優雅に読書をしていた。ただし、読んでいるのは小説ではなく教育学の書物だ。学校をつくるとなれば、教育に関する正しい知識があったほうがいい。王宮での会議のあと、一層やる気が湧き出したアリーセは公爵家の書庫で教育関連の書物を手当たり次第に借りて来たのだった。
「俺のアリーセは勉強熱心でさすがだな」
横から愛情に満ちた心地よい声が聞こえてきて、アリーセは笑顔で顔を上げた。
「エドゥアルト、お仕事おつかれさま」
「ありがとう、君こそ今日は疲れただろう。会議はどうだった?」
エドゥアルトに問いかけられたアリーセが、少し得意げに眉を上げる。
「とてもいい話し合いができたと思うわ。私の案も褒めてもらえたのよ」
「君は昔から賢かったからな。文官たちも感嘆しただろう」
「自分の意見が尊重されるのって嬉しいわね」
文官たちの驚いた顔や、妙案と褒められたときのことを思い出すと、胸が熱いもので満たされて、もっと力になりたいという意欲が湧いてくる。
そんな前向きに華やいだ表情のアリーセに、エドゥアルトが柔らかく目を細めながらアリーセの美しい髪を撫で梳いた。
「君は今まで不当な扱いを受けすぎていたんだ。これからは君がやりたいことはなんでもやっていい」
「何でも? もし王宮より立派なお城を建ててって言ったらどうすの?」
「もちろん建てるさ。君は俺の女王様だから」
「もう、エドゥアルトったら」
アリーセが噴き出して笑うと、エドゥアルトも嬉しそうに笑い返す。オレンジ色の陽光が差し込むサンルームに、アリーセの幸せそうな笑い声が響いた。
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