第39話 スヴェンからの誘い

「聞きたいこと……? 何でしょうか?」


 アリーセが小首を傾げると、スヴェンがにやりと笑った。


「君さ、学校づくりに興味はある?」



◇◇◇



 数分後、アリーセは廊下で感動の声をあげた。


「素晴らしい考えですね!」


 スヴェンが話してくれたのは、平民の子供たちが通う学校づくりの構想だった。貴族向けの学校は王都にいくつかあるが、平民向けの教育機関はひとつもない。裕福な平民が家庭教師を雇って勉強するか、本当に勉強したい者が図書館で本を借りて独学する。そうやって学ぶくらいで、平民にとって学びへのハードルは高かった。だから大人になっても字が書けなかったり、簡単な計算もできない人がいたりする。


「誰でも通える平民のための学校を作ることで、彼らの可能性を広げたいんだ。学ぶことで暮らしが豊かになるかもしれないし、国益にもつながるはずだ」


 熱心に語るスヴェンの話を聞いていると、アリーセまでわくわくして夢が膨らんでくる。この孤児院の子供たちは比較的勉強をする機会に恵まれているが、他の孤児院では農作業や大工の手伝いなどをしてそのまま職人になる子供たちが多い。それらもなくてはならない立派な仕事だが、彼らのような孤児や貧しい家の子供たちが勉強をして文官の仕事に就けば、貧民の支援となる国の政策も充実し、予算も潤沢になるかもしれない。


 平民の学校は、きっと未来を明るく照らす灯火となる。アリーセはそう確信した。


「お世辞ではなく本当に素晴らしいです。私も何か力になれたら……」


 アリーセの言葉を待っていたようにスヴェンが顔を綻ばせた。


「だったら、今度文官たちで話し合う予定があるから、アリーセ嬢も来てくれないかな? 君の意見も聞けたらすごく助かる」

「私がお邪魔してもよろしいのですか?」

「もちろん、大歓迎だよ。五日後の午後に王宮まで来てもらってもいいかな?」

「はい、大丈夫だと思います」

「よかった。一応、エドゥアルトにも伝えておくよ。変な嫉妬をされたら困るからね」

「はい、分かりました」


 スヴェンの気遣いに苦笑すると、彼が申し訳なさそうに道を開けた。


「院長に用があったんだろう? 長々と話してしまって悪かったね」

「いえ、有意義なお話をありがとうございました。また後日よろしくお願いいたします」


 スヴェンにお辞儀をして別れたあと、アリーセは院長の部屋へと入っていったのだった。



◇◇◇



 その日の夜。エドゥアルトとソファに並んで座って寛いでいたアリーセは、スヴェンからの誘いについて自分の口からも伝えてみた。平民のための学校づくりの構想があること、その話し合いが予定されていること。自分もぜひ参加してみたいのだと、つい熱を込めて主張すると、エドゥアルトはどこか嬉しそうに目を細めて頷いてくれた。


「いいじゃないか。俺も君こそ参加するべきだと思う」

「本当? 気持ちだけはあるんだけど、私でも大丈夫かしら?」

「大丈夫に決まってる。君の優秀さを見せつけてくるといい」

「……ありがとう」


 エドゥアルトにそう言われると、きっと大丈夫だという自信が湧いてくる。彼がそばにいて、すべてを温かく受け入れてくれるから、アリーセは前よりずっと強く堂々とした自分になれる気がした。


 エドゥアルトの肩に頭を預けてもたれると、向こうもアリーセの肩を抱き寄せて、輝く黄金の髪にキスを落とす。横髪を耳に掛けられ、その耳に彼の唇がちゅ、と音を立てて触れ、アリーセがびくりと身じろいだ。エドゥアルトのキスはさらに続き、耳から頬、首すじへと移動する。思わず変な声を漏らしてしまいそうになったところで、アリーセが慌てて口を開いた。


「そ、そういえば……!」

「──どうした?」


 エドゥアルトが不満を隠しきれていない顔でキスを止める。アリーセも申し訳ないとは思うが、あれ以上は危険だったので仕方ない。


「えっとね、私が孤児院から出ていったあとのことをカイから聞いたの。あなたが毎日孤児院を訪れて、私がいた部屋で名前を呼んでたって」

「なっ……」

「私がいなくて、ずっと死にそうな顔をしてたって」

「…………」

「ねえ、それって本当に?」


 アリーセの質問に、エドゥアルトは顔を逸らしたまま答えてくれない。さっきまでの積極性はどこへ行ってしまったのだろう。


「ねえ、エドゥアルト。ちゃんと答えて。じゃないと、明日はキスを禁止するわよ」


 アリーセが奥の手の罰則を持ち出すと、エドゥアルトは悲しみに暮れた大型犬のような顔をして、小さな声で返事した。


「……だ」

「え? 聞こえないわ」

「……俺……君…………い……た」

「もっと大きな声が出せるでしょう?」


 アリーセがエドゥアルトの唇をツンとつつくと、エドゥアルトは何かを耐えるかのごとく眉を寄せて声を絞り出した。


「……そうだ。俺は君がいなくて死にそうだった。少しでも君を感じたくて、君の部屋に入ってしまった。ああ……俺はなんてことを……まるで変態みたいじゃないか……」


 エドゥアルトが絶望の表情で頭を抱え、うああぁ……と生き霊のようにうめいている。ついさっきまで色気たっぷりにキスを降らせていたエドゥアルトとは別人みたいだが、こっちはこっちで母性本能をくすぐってくるから困る。


 アリーセは心底落ち込んでいるエドゥアルトの頭を自分のほうへ向けると、彼の頬に優しくキスをした。


「私にとっては、そんなあなたも愛しいわ。あのときは悲しい思いをさせてごめんなさい」

「……いいんだ。今はこうしてここにいてくれるんだから」


 アリーセの両手の中で、エドゥアルトはその温もりを確かめるかのように、そっと目を閉じた。

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2024年11月30日 07:00

家族に売られた侯爵令嬢は3つの愛に翻弄される 紫陽花 @ajisai_ajisai

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