第37話 王女宮でのひととき

 フェリシア王女を成り行きで王宮へと送ったあと、公爵邸にはすぐにフェリシアからの手紙が届いた。そこには丁寧なお礼と王女宮に招待する旨が綴られていた。


 そして一週間後──。


「フェリシア殿下、本日は王女宮にお招きいただき誠にありがとうございます」


 エドゥアルトとともにアリーセが挨拶すると、フェリシアは満面の笑顔で歓迎してくれた。それから、その隣に佇む鮮やかな赤髪の男性も。


「イェンス殿下にもお会いできて大変光栄でございます」

「こちらこそ。アリーセ嬢にお会いできるのを楽しみにしていました」


 イェンスは今年十五歳になる第一王子で、文武両道と名高い人物だ。いつだったか遠目で姿を見たときは父親である国王に似た精悍な雰囲気を感じたが、こうして近くで接してみると、深い青色の瞳に聡明さと優しさも滲んでいるように思われる。


「ふふ、お兄様も二人に会いたがっていたからお呼びしたの」

「先日はフェリシアを助けていただきありがとうございました。それから……姉のベルタがお二人にご迷惑をお掛けしたこと、弟としてお詫びします」


 イェンスが申し訳なさそうに眉を寄せてアリーセとエドゥアルトに謝罪する。彼もベルタの横暴を知り、心を痛めていたらしい。一国の王子からの詫びにエドゥアルトがかぶりを振る。


「イェンス殿下が詫びられる必要はありません」

「ええ、エドゥアルトの言うとおりです。もう過ぎたことですし、気に病まれないでください」

「……お二人とも、ありがとうございます」


 イェンスが安堵して表情を緩めると、エドゥアルトがふっと笑った。


「まったく、弟妹はこんなにまともなのに、ベルタ王女だけなぜああなってしまったのか」


 エドゥアルトの不敬とも言える発言にイェンスが苦笑する。


「姉は第一子だったうえ、ご存知のように初代女王と同じ色の髪と瞳を持って生まれたので、両親をはじめ周囲から特別扱いされてきたんです」


 初代女王はこのリンドブロム王国を建国した人物だ。また、歴代で最も偉大な聖女であり、優れた神聖力と未来視・過去視の力によって国を繁栄させたという。この国で初代女王ウルスラ・シーラ・リンドブロムの名を知らぬ者はいない。


「たしかに、ベルタ殿下の外見はウルスラ女王の伝承にある『薔薇のごとき真紅の髪と瞳』を彷彿させますね」

「ええ、ウルスラ女王はリンドブロムにとって特別なお方ですからね。誰も姉を強く叱れなかったようです。そのせいであんな性格に……」


 イェンスが遠い目をする。きっと彼もベルタには散々迷惑を掛けられてきたのだろうと察するにあまりあった。


「まあ、僕も姉のことでいろいろ苦労はありましたが、フェリシアが生まれてからは気にならなくなりました。妹が誇れる自慢の兄でありたいですからね。……ほらフェリィ、僕の苺もあげるよ」

「ありがとう、お兄様。甘くて美味しいわ!」


 イェンスが自分のケーキに載っていた苺をフォークで刺し、フェリシアに食べさせる。行儀の面から言えばマナー違反だが、今は堅苦しい席でもないし気にしなくてもいいだろう。それに、フェリシアが目をきらきらさせて食べる様子をイェンスが嬉しそうに眺めている姿には妹への深い愛情が感じられて、なんとも微笑ましい。


「兄妹仲がよろしいのですね」

「はは、どうも妹には甘くなってしまって……」


 イェンスは姉に困らされた分、天真爛漫な妹が可愛くて仕方ないのだろう。やっぱり、兄妹は仲がいいに越したことはない。


(それに引き換え、うちは……)


 イェンスとフェリシアを見ているうちに、フランセル家の兄デニスのことを思い出してしまった。デニスがアリーセに自分の苺を食べさせてくれるなんてあり得ない。むしろアリーセの苺を勝手に奪って食べるほうが彼らしい。デニスもイェンスのように優しい兄だったらよかったのに。


「羨ましいわ……」


 優しい兄に憧れて、ついそんなことを呟くと、なぜか隣に座っているエドゥアルトが「分かった」と返事をした。


(分かったって、何が……?)


 きょとんとしてエドゥアルトのほうを向けば、なぜかエドゥアルトが優しい笑顔で見つめ返してくる。そして、フォークに刺した苺をアリーセに差し出した。


「ほらアリーセ、俺の苺をやる」

「…………は?」


 もしかして、さっきアリーセが言った「羨ましい」を、苺を食べさせてもらうことだと思っているのだろうか。


「エドゥアルト、ちが……」

「ほらアリーセ、口を開けて」

「いえ、だから……」

「甘くて美味しいぞ」


 あまりにも慈愛あふれる顔で差し出してくるので、アリーセはとうとう誤解を正せないまま口を開け、苺を受け入れてしまった。


「……本当ね、甘いわ」

「だろう?」


 ひどく満足そうなエドゥアルトの表情に、アリーセは何も言えなくなってしまう。自分は何をやっているのだろうと反省していると、フェリシアが夢見る乙女の顔でこちらを見つめていることに気がついた。


「はあ〜、やっぱりあなたたちは仲睦まじいわね。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうわ、ねえお兄様?」

「そ、そうだな。なんだか顔が熱くなってきたよ」


 恥ずかしいのはこちらだ、とアリーセの顔が真っ赤になる。王女と王子の前でなんてことをしてしまったのだろう。俯いて顔を隠しながら後悔していると、エドゥアルトがふっと笑う声が聞こえてきた。


「アリーセにねだられたら、しない訳にはいきませんから」

「ち、ちがっ……」


 とんでもない嘘を主張されて思わず顔を上げるが、エドゥアルトは止まらない。


「イェンス殿下も愛する婚約者ができれば分かりますよ」

「そうでしょうか……。僕もそろそろ婚約者を見つけないといけませんが、お二人のように相性のいい相手がいいですね」

「まあ、俺たちは幼馴染なので。いろいろ知り尽くしていますからね」

「なるほど。実は父上と母上も幼馴染だったそうなんです。やっぱり幼い頃から気心の知れた相手がいいのでしょうか。でも僕にはそういう相手がいないから……」

「これから運命の人と出会うかもしれないですよ」

「……そうですね、幼馴染じゃなくても合う人はいますよね。なかなかこういうことを相談できる相手がいないので、お話しできてよかったです」


 イェンスがはにかんだ笑顔を浮かべると、フェリシアがぷうと小動物のように可愛らしく頬を膨らませた。


「あら、恋の相談なら私にしてくれればいいのに」

「フェリィにかい? まだ早いんじゃないかな?」

「そんなことないわ。そういう話には詳しいんだから! メイドのアンと騎士のギルバートが隠れて付き合ってるのだって知ってるのよ」


 フェリシアが得意げに鼻を鳴らす。メイドのアンと騎士のギルバートも、まさかここで話題になっているとは思いもしていないだろう。


「へえ、知らなかったよ。フェリィはすごいね。他にも何か知ってるのかい?」


 フェリシアの情報通ぶりが愛おしくなったのだろう。イェンスが目を細めて話を深掘りする。すると、フェリシアは少しだけ秘密めいた顔になって、さっきより声を落として返事した。


「そうね。これはとっておきの情報なんだけど──叔父様に恋人ができたと思うわ」

「えっ、叔父様に?」


 叔父様というのは、つまり王弟スヴェンのことだ。彼はまだ未婚だし、エドゥアルトより五歳ほど年上なので恋人がいてもおかしくはない。しかし、アリーセ以外の三人にとっては意外なことだったようで、エドゥアルトも目を丸くした。


「本当ですか? 最近会ったときはそんな話言ってませんでしたが……」

「絶対いるわ。最近ずっと楽しそうな感じがするもの」

「ということは、やっと立ち直れたのかな」

「そうかもしれませんね」


 三人の会話が気になってアリーセが尋ねてみる。


「あの、立ち直れたというのは……?」

「──実は叔父上には昔、婚約者の女性がいらっしゃったのですが、とある事件で亡くなられてしまって……」

「そうだったのですね……」


 この間初めて会ったときは飄々として見えたが、そんな悲しい過去を背負っていたなんて知らなかった。あのとき、エドゥアルトとアリーセをどんな気持ちで眺めていたのだろう。


 アリーセは切ない気持ちになってしまったが、エドゥアルトは安堵しているようだった。


「スヴェン殿下に恋人か……。この前は揶揄われて逃げられたから、今度はこっちが根掘り葉掘り聞いてやらないとな。イェンス殿下も、恋愛相談があれば俺たちが助言して差し上げますよ」


 エドゥアルトが恋愛の先輩ぶって安請け合いする。しかし、アリーセが溜め息をついてたしなめた。


「あなたも私も過去は互いにすれ違ってばかりだったじゃない。まともな助言ができるとは思えないけど」

「まあ、たしかに……」


 エドゥアルトが気まずそうに言葉を濁す。そんな二人を見てイェンスがおかしそうに噴き出した。


「恋愛相談ではなくても、お二人とまたお話ししたいです」

「私も! いつでも王女宮に遊びに来てちょうだいね」

「ありがとうございます。嬉しいです」


 フェリシアともイェンスともすっかり打ち解けた様子のアリーセを、エドゥアルトが穏やかな眼差しで見つめていた。

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