第36話 偶然の出会い
翌日。王都の屋敷へと戻る馬車の中で、アリーセは昨日の出来事を思い出していた。すべてに心が躍って満たされて、充実した一日だった。今日帰ってしまうのが惜しいくらいに。
(できればもっと泊まっていたかったわね。……あ、でも)
湖で星空を眺めたときのことを思い出して、アリーセが赤面する。桟橋でエドゥアルトとキスしていたとき、彼は急にアリーセから距離を取ってそわそわし出した。
『そ、それにしても綺麗な星空だな。そうだ、流れ星でも探すかな、はは』
そう言って桟橋の上を行ったり来たりし始めたのだ。様子がおかしすぎる。
『ねえ、どうしたの? 流れ星ならこっちで一緒に探しましょうよ』
『いや、それはちょっと……』
『どうして? そばにいてほしいのに……』
突然離れてしまったエドゥアルトの温もりが恋しくて寂しくて、ねだるように見つめると、彼は「うぐうぅ……」と妙なうめき声をあげて顔を覆った。
『ねえ、本当にどうしたの? 様子が変よ』
だんだん心配になってきてエドゥアルトに近づくと、彼が何かを唱える声が聞こえてきた。
『自制心、仕事しろ……おかしなことを考えるな……紳士であれ……』
『エドゥアルト……? あなた何を言っているの?』
本当におかしくなってしまったのかもしれない。今すぐ医者に連れて行くべきだろうかと不安になっていると、エドゥアルトはアリーセから目を逸らしたまま謝り出した。
『……すまない、さっきキスをしたら君が愛おしくなりすぎて、やましいことを考えてしまった。このまま君とくっついていると気持ちが抑えられなくなって愚かなことをしてしまいそうだったから……』
『それで急に離れてぶつぶつ言っていたの?』
『とにかく自制しないと……まだ婚約者だし、君を傷つけたくないから』
彼はアリーセのために必死に気持ちを落ち着かせようとしていたらしい。情けない姿なのに、どうしてか胸がきゅうっとして愛しさが込み上げてくる。
(……あなただったら別にいいのに)
そう思ったけれど、これほど懸命に我慢している彼の前で言うのは可哀想だろう。アリーセは小さく微笑んで、優しく声を掛けた。
『じゃあ、冷えてきたしそろそろ中に入りましょうか。すごく楽しかったわ』
『そ、そうか……? じゃあ、そろそろ戻るか……』
まだ目を逸らそうとするエドゥアルトと、少しだけ距離を取って並んで歩く。彼の新たな一面があまりにも可愛らしくて、心の中がほんのり温かくなった。
──昨日の夜はそうやって何事もなかったけれど、もし何泊もしていたらどうなっていたか分からない。王都の屋敷ではあれほど気持ちが高まることはなかったのに、場所が変わるだけで我慢が難しくなるなんて。人の目が少ないせいだろうか。
(……やっぱり、一泊だけでよかったのかもしれないわ)
咳払いして気持ちを整えていると、ふいに馬車が停まった。まだ帰路の途中なのにどうしたのだろうか。
「何かあったのかしら」
「少し様子を見てくる」
エドゥアルトが馬車の外に出ていく。しばらく経って戻ってきた彼は、なぜか見知らぬ女の子を連れていた。年齢はおそらく十歳ほど。濃い桃色の髪がふわふわと揺れ、くりっとした大きな水色の瞳が愛らしい。着ているドレスも上質な生地に繊細なレースやリボンがふんだんにあしらわれていて、確実にどこかの貴族のお嬢様だろう。エドゥアルトの知り合いだろうかと考えていると、彼が女の子を紹介してくれた。
「アリーセ、こちらは第三王女のフェリシア殿下だ」
「王女殿下……」
「フェリシアよ。あなたがアリーセね」
王女フェリシアがにっこりと可憐に微笑む。アリーセは突然の王女との遭遇に内心焦りながらも、努めて平静を装って挨拶した。
「初めてお目にかかります、アリーセ・フランセルと申します」
なぜ王女がこの馬車に……とエドゥアルトに目線で尋ねる。
「すぐそこでフェリシア殿下の馬車が故障して立ち往生していたんだ。修理に時間がかかるようだから、うちの馬車で王宮まで送ろうと思ってな」
「急にお邪魔することになってごめんなさい」
「とんでもないです。ぜひお乗りください」
「ありがとう」
フェリシアが馬車に乗り込んで、アリーセの目の前にちょこんと座る。エドゥアルトがアリーセの隣に席を移して座ると、馬車が出発した。
軽快に進む公爵家の馬車。あと一時間もすれば王宮に到着するだろう。その間、会話で間をもたせないと……と思うアリーセだったが、先ほどからずっとフェリシアに凝視されており、さすがに気になる。仕方なくにっこりと微笑むと、フェリシアが水色の瞳をきらきらと輝かせた。
「なんて美人なのかしら! エドゥアルトったら相当な面食いだったのね!」
「まあ、王都……いや王国中を探してもアリーセより美しい令嬢はいないでしょうね。でも彼女の美貌だけに惹かれた訳ではないですから。アリーセは内面も清らかで素晴らしい女性なんです」
「もう〜、ノロけてくれるわね! 二人の馴れ初めはどんな感じなの?」
「俺たちは幼馴染で、物心ついた頃からいつも一緒だったというか……。だから誰よりも通じ合っているんです」
「子供の頃からお互いに好き合っていたということ!?」
「まあそうですね。お互いに初恋でした」
「その初恋を実らせたということなのね!? まるで恋愛小説みたい! 憧れるわぁ……!」
フェリシアが両手を組んでうっとりとした表情を浮かべる。まさに恋に憧れる乙女そのものだ。
一方のアリーセは、二人の会話──特にエドゥアルトの返事に物申したい気持ちだったが、さすがに王女との会話を遮るわけにもいかず、黙って羞恥に耐えていた。
その後も延々とフェリシアの質問が続き、エドゥアルトが堂々と惚気たり、フェリシアに話を向けられたアリーセがエドゥアルトの誇張を訂正したりしているうちに、馬車は無事王宮へと到着した。
「送ってくれてどうもありがとう。本当に助かったわ。それに、二人の恋の話もすごく楽しかった! 今度お礼に王女宮へ招待するからぜひ来てちょうだいね。それじゃあまた!」
明るく挨拶して王宮へと戻っていくフェリシアを馬車の中で見送りながら、アリーセは緊張から解放された安堵の溜め息を漏らした。
「フェリシア殿下には初めてお会いしたけれど、ああいう方だったのね」
「ああ、勢いが凄いだろう。質問攻めになってしまってすまなかった」
「ううん、大丈夫。恋に興味があるお年頃なのね。目をきらきらさせたり赤くなったり、可愛らしかったわ」
王女に対して可愛らしいというのは不敬かもしれないが、実際そんな風に感じた。王女と聞いて、第一王女ベルタのことを思い出してしまったが、彼女とはだいぶ違った性格のようだ。勢いがあるところは似ているが、とても親しみやすくて、つい色々話してしまった。
「殿下はアリーセのことを気に入ったみたいだな。とても懐いていた」
「そう?」
「ああ、人懐っこいところのある方だが、誰にでもそうという訳ではないからな」
「それならよかったわ。あなたの婚約者として、ちゃんと認めてもらいたいもの」
「……アリーセ、密室でそういう可愛いことを言ってはだめだ」
「え、ちょっと……」
馬車が公爵家に到着したあと、アリーセは頬を染め、エドゥアルトは大変機嫌がよかったため、使用人たちは何があったのか丸分かりだったという──。
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