第35話 星空の下で
「さあ、着いたぞ」
エドゥアルトのエスコートで馬車を降りると、そこにはこじんまりとした、けれどとても趣味のいい外装の邸宅がひっそりと佇んでいた。王都から離れた静かな場所で、すぐそばには美しい湖もあってゆっくり過ごせそうだ。
(デートに行くってどんなところかと思ったら、こんなに素敵な場所だったなんて)
昔、エドゥアルトと一緒に湖でボートに乗ったことを思い出す。あのときとは違う場所だが、もしかするとエドゥアルトも昔のことを覚えていて似たような湖のある場所に連れてきてくれたのだろうか。
「……エドゥアルト、前にあなたと二人でボートに乗ったことがあったわね。覚えているかしら?」
自分にとっては初めてのボートで思い出深い出来事だったけれど、エドゥアルトにとっては珍しいことでもないから覚えていないかもしれない。だからさほど期待せず聞いてみたが、エドゥアルトはニヤッと口角を上げてみせた。
「もちろん、忘れるはずないだろう? アリーセの初めてをもらったんだから」
「ちょっと、おかしな言い方しないで」
エドゥアルトの妙な言い回しを注意しつつ、彼も覚えていてくれたことが嬉しくなる。
「……ちゃんと覚えていてくれたのね。あれが私の初ボートだったことも」
「ああ。あんなに可愛くはしゃいでいたアリーセを忘れるわけがない。絵に描いて残したかったくらいだ」
「もう、言い過ぎよ……」
「言い足りないくらいだが?」
赤いなるアリーセの顔をエドゥアルトが満足そうに覗き込む。
「あとでまたボートに乗ろう。それから、森でバードウォッチングもできるし、夜は星が綺麗に見えるんだ。湖で一緒に見よう」
「まあ、とても素敵だわ!」
バードウォッチングも初めての体験だ。森の中にはどんな鳥がいるのだろう。それに、湖畔で星空を眺めるなんてすごくロマンチック──……。
そこでアリーセはあることに気がついた。
「待ってエドゥアルト、星空を見ていたら屋敷に帰るのが遅くなってしまうんじゃ……」
王都からこの場所までは少し離れていて、行きだけで二時間以上はかかった。だから、夜空を鑑賞してから馬車で帰ると王都の屋敷に着くのは深夜になってしまうだろう。そんな心配をして尋ねたのだったが……。
「問題ない。今夜はここに泊まって明日の朝に帰るつもりだからな」
「あ……それなら大丈夫ね」
そうだ、泊まるという選択肢があった。どうして思いつかなかったのだろう。そう考えたところで、なぜか急に昨日スヴェンに言われた言葉がアリーセの脳裏に浮かんだ。
──結婚前に子供は作らないように。
(わ、私ったらどうしてこんなことを思い出して……。はしたない……!)
アリーセの顔が一気にりんごのように真っ赤になる。
「アリーセ、どうした? 急に顔が赤くなって……まさか熱でも出たんじゃ」
「な、なんでもないから心配しないで」
「いやでも尋常じゃないくらい真っ赤だが……」
「本当に! 本当に大丈夫だから……!」
そうして、しつこく心配するエドゥアルトをなんとか宥め、昼食を食べたいと話を逸らしてやっと落ち着いたのだった。
◇◇◇
昼食を食べたあと、アリーセたちはボートに乗って、湖で泳ぐ魚を眺めたり、昔のボートデートを懐かしんだりしながらのんびりと過ごした。そのあとは野鳥の観察をしに森に出かけ、途中で熟れた野生のベリーを摘んで味見をしたり、子供の頃のように草笛の練習をしたりと充実した時間だった。
邸宅に戻ってとった夕食も、森で獲れた鹿肉や湖で釣れた魚など、王都の屋敷で食べるのとは違った料理なのが面白く、しかもとても美味しかった。
「今日一日で一週間分くらい楽しんだ気がするわ」
食後の紅茶を飲みながらアリーセが感想を語る。本当にすべてが楽しかった。日記に書くとしたら何ページにもなってしまいそうだ。
心から満足しているのが伝わってくるアリーセの様子に、エドゥアルトも嬉しそうに顔を綻ばせる。
「それはよかった。でも、まだこれで終わりじゃないぞ」
「そうね。最後に湖で星空を眺めないと。それも楽しみにしていたの」
「そろそろ綺麗に見える時間だ。行ってみよう」
「ええ」
お昼にボートに乗った湖の桟橋に行ってみると、湖面は真っ暗でよく見えない代わりに、夜空は満天の星で輝いていた。
「綺麗……眩暈がしそうだわ」
溜め息混じりで感動の声を漏らせば、エドゥアルトも同じ夜空を見上げながら「そうだな」と呟いた。
「アリーセ、寒くないか? 水辺は冷えるからこれを着ていろ」
「ありがとう」
エドゥアルトが貸してくれた上着を羽織って、また美しい星空を見上げる。
「なんだか空が広く感じるわ」
「周りに何もないからな」
「王都の夜空も綺麗だけれど、今眺めている星空はもっとずっと特別に感じる気がするわ。自然の中にいるからかしら?」
よく知っている星座でさえ、ここでは違って見える気がする。不思議に思って言葉にしてみると、エドゥアルトがアリーセの手を取り、指を絡ませるようにしてぎゅっと握った。
「それもあるだろうが……俺と君と、二人きりで見る夜空だからじゃないか?」
エドゥアルトの瞳に、熱を帯びた光が煌めく。夜空の星よりも強い輝きに魅せられて、アリーセがエドゥアルトの甘く凛々しい顔を見上げた。夜空の星には決して手が届かないけれど、この瞳の星は願えばすぐそばで瞬いてくれる、アリーセだけの星だ。
「エドゥアルト……そばに来て」
ぽつりと呟くようにそうお願いすると、エドゥアルトはアリーセの背中に手を回し、正面からそっと抱きしめた。
「エドゥアルト、ずっとこうして私を離さないでね」
「ああ、一生離さない」
アリーセの星が近づいてきて、唇を優しく塞ぐ。
夜空を流れ星が通り過ぎていったのに気づかないまま、二人は深い口づけを交わし合った。
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